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奈良・高取町で古墳時代中期の人工池を発見 渡来人が築造か

奈良県高取町教育委員会は11月17日、同町の清水谷(しみずだに)遺跡で、川原石を積んで護岸を施した古墳時代中期(5世紀中ごろ)の人口の池の跡が見つかったと発表した。池は東西26m、南北13m、深さ60cm。石組みの護岸を施し、西側に排水溝を設けていた。
同町ではこれまでに大壁(おおかべ)建物と呼ばれる朝鮮半島から来た渡来人の古墳時代の住居跡が約40棟出土し、渡来人が多く住んでいたとみられる。同町教委によると、日本書紀の「応神7年の条」には「高麗(こま)人や百済人などが来朝し、池をつくり、その池を韓人(からひと)池という」と記されており、今回見つかった池は、こうした記述にみられるような渡来人が造った人口の池だったとしている。

奈良・斑鳩町「続・聖徳太子の足跡」特別展 ゆかりの出土品

奈良県斑鳩町の斑鳩文化財センターで、聖徳太子が亡くなって今年で1,400年になるのに合わせて、ゆかりの遺跡から出土した土器や瓦などを展示した特別展「続・聖徳太子の足跡」が開かれている。同展は11月28日まで。
会場には橿原市の東池尻・池之内遺跡、明日香村の雷丘(いかずちのおか)東方遺跡などゆかりの12の遺跡から出土した土器などおよそ80点が展示されている。「磐余池(いわれいけ)」、「小治田宮(おはりだのみや)」などゆかりの地名の土器もある。斑鳩町教育委員会は「聖徳太子ゆかりの斑鳩町は、今後も日本の歴史を形成づけた人物として顕彰していきたい」としている。

平安京の内裏「登華殿」の建物跡を初めて確認 柱穴発見

京都市埋蔵文化財研究所が行った発掘調査およびその報告書によると、平安京の天皇が暮らす「内裏」のうち、皇后らが住む「登華殿」の一部の柱の穴が見つかったことが分かった。平安時代の内裏の建物跡が確認されたのは初めてという。
報告書によると、建物の柱の穴が5カ所見つかり、江戸時代に記された文献と照らし合わせたところ平安京の天皇が暮らす「内裏」のうち皇后らが住む「登華殿」の跡だと分かったという。さらにこの穴は、およそ1mから2m四方の掘っ立て柱の穴で、この建物の形状が縄文時代のころからの建築様式で、中国の様式が好まれた平安時代初期になっても、古くからの様式を採用していたことが判明したとしている。また、柱の穴の間隔はおよそ3mあり、文献に基づくと南北27m、東西12mの建物だと推測できるという。

法隆寺金堂壁画27年ぶり公開 10日から事前申し込み限定50人

昭和24年に焼損し、国の重要文化財に指定されている法隆寺(所在地:奈良県斑鳩町)の金堂壁画が11月10日から27年ぶりに公開される。一日の見学者の数を事前に申し込んだ50人に限定し、合わせて10日間公開される。
今回公開される12枚の壁画は、高さが3.1m、幅が1.5mから2.6mで、如来や菩薩などが描かれている。火災によって鮮やかな「極彩食」は失われているもの、焼け残った輪郭から、かつての様子がうかがえる。法隆寺の金堂壁画は、飛鳥時代に描かれたとされる古代の仏教壁画の傑作。平成6年の一般公開を最後に、原則非公開とされてきた。

奈良・菅原遺跡で発見の円形建物跡 CG復元案4種類発表

公立鳥取環境大の浅川滋男教授(建築考古学)は11月8日、奈良市の菅原遺跡で見つかった円形建物跡のCG復元案4種類を発表した。この建物は東大寺大仏造立に携わった奈良時代の高僧・行基(668~749年)の供養堂とみられる。
いずれも中心部は八角形。その外側に十六角形の檜皮(ひわだ)葺きの屋根型飾り「裳階(もこし)」が取り付く構造。法隆寺夢殿(奈良県斑鳩町)などを参考にしている。
菅原遺跡は、平城京のすぐ外側にあり、行基が畿内に建立した「四十九院」の一つ「長岡院」とみられる。東大寺が東側に見える立地や年代から、弟子らが行基の供養堂として建てた可能性があるという。

大阪城の天守閣再建から90年 他自治体関係者迎え記念式典

大阪のシンボルの1つとして親しまれている大阪城の、現在の天守閣が再建されてから11月7日で90年を迎え同日、記念の式典が行われた。現在の天守閣は、昭和6(1931)年に市民の寄付で建て直された3代目。
式典は天守閣前の広場で、滋賀県長浜市や長野県上田市など城のある自治体から関係者を迎え開かれ、90年目の節目を祝った。