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開館12日目で来場者1万人突破 真田丸大河ドラマ館

開館12日目で来場者1万人突破 真田丸大河ドラマ館

戦国武将、真田信繁(幸村)が主人公のNHK大河ドラマ「真田丸」の放送に合わせてオープンした「信州上田真田丸大河ドラマ館」(上田市)が1月28日、開館12日目にして来場者数1万人を突破した。真田家ゆかりの同市と長野市は観光地を整備してイベントを企画するなど誘客に力を注いでおり、上々の滑り出しとなった。
同館はドラマで使われた着物や小道具を展示し、「信繁の生きた時代」や「上田城と真田家の家族」など4つのゾーンに分けて真田丸の世界を体感してもらうのが”売り”だ。見学通路は城下町の街並みを再現した。展示面積は650平方㍍で、過去の大河ドラマ館を含めて最大級といわれる。同館では目標来場者数50万人を見込んでいる。

熊本城 城ランキングで3年連続首位 城郭全体復元中

熊本城 城ランキングで3年連続首位 城郭全体復元中

旅行口コミサイト「トリップアドバイザー」による「行ってよかった!日本の城ランキング2015」で熊本城が3年連続1位に選ばれた。
トリップアドバイザーは米国に本社を置き、世界45カ国で500万を超すレストランやホテル、観光スポットについて、旅行者から寄せられた情報を提供している。このうち日本の城ランキングは2014年6月から15年5月に投稿された口コミの件数や、5段階評価などを基に算出している。
熊本城は周知の通り、加藤清正が築いた熊本のシンボル。訪日外国人の割合も平成23年度の6.6%から26年度は17.2%まで高まっている。うち9割はアジア圏からの訪日客という。
現在の熊本城天守閣は昭和35年に外観を復元。平成10年度からは現存する絵地図や古文書を基に、城郭全体(98㌶)を対象に往時の姿に復元するプロジェクトも始動。このプロジェクトの費用を賄うため、一般から「一口城主制度」を設け資金提供を呼び掛け、すでに南大手門や本丸御殿大広間が完成している。

奈良・若草山で新春恒例「山焼き」極寒の夜空彩る

奈良・若草山で新春恒例「山焼き」極寒の夜空彩る

奈良・若草山で1月23日夜、新春恒例の「山焼き」が行われ、燃え上がる炎の明かりが極寒の古都の夜空を彩った。午後6時すぎ、花火が打ち上がると号砲が鳴り響き、これを合図に地元の消防団が山の斜面の枯れ草に松明の火を一斉に放った。
江戸時代から続く「若草山の山焼き」は、山頂にある古墳の霊魂を鎮めるために始まったと伝えられる。あいにく夕方から降り始めた雨の影響で、例年のような炎の勢いはなかったが、古都の夜空を赤く照らし出した。極寒の中、集まったおよそ15万人の見物客らは冬の祭典に魅入っていた。

権勢誇示する秀吉の33通の家臣宛て書状見つかる

権勢誇示する秀吉の33通の家臣宛て書状見つかる

兵庫県たつの市立龍野歴史文化資料館などは1月21日、「龍野神社旧蔵文書」から羽柴(後の豊臣)秀吉による家臣、脇坂安治(やすはる)宛ての33通の書状が見つかったと発表した。
これらの書状の中で秀吉は、天下取りを目指す精力的な進攻を記す一方で、家臣の動きの細部に目を配るなど厳格な統治者としての一面を示している。
当時、最後で最大の難敵だった徳川家康との戦い、1584年の小牧・長久手の戦いに関する書状では、徳川方から織田信雄(信長の次男)の娘、家康の長男と弟らを人質に出す和睦案が出されたが、秀吉は一度は拒絶したと記述。後に受け入れたとの書状もあり、調査した東大史料編纂所の村井祐樹助教は「詳細な情報によって(この時期の出来事を)時系列で追える意味は大きい」としている。
翌年(1585年)の書状では、秀吉が追放した家臣をかくまわないように指示。信長の時代のように甘く考えれば処罰も辞さない-などの意の書状もあり、主君だった信長をよびすてにし、自らの権勢を誇示している。

浜松に早くも「大河ドラマ館」主人公・井伊直虎で誘客

浜松に早くも「大河ドラマ館」 主人公・井伊直虎で誘客

遠州ゆかりの井伊直虎が主人公の2017年放送予定の大河ドラマを活用して地域振興を目指す官民連携組織「『おんな城主直虎』推進協議会」が1月12日、発足した。浜松市中区のホテルで初会合を開き、市が常設展示館「大河ドラマ館」を、市みおつくし文化センター(同市北区)に開設することを報告した。
大河ドラマ館は撮影セットや小道具、衣装の展示などを通じて大河ドラマの世界観を紹介する施設。2017年の放送開始に合わせオープンする予定。
「『おんな城主直虎』推進協議会」は行政機関、観光・経済団体や地元企業など77団体の代表者で構成、浜松商工会議所の大須賀正孝会頭が会長に就任した。市が設置した「おんな城主直虎」推進本部(本部長・鈴木康友市長)と連携し、観光誘客に向けた情報発信や市民啓発などの事業に取り組む。

江戸初期?の「富士参詣曼荼羅」愛知県常滑市で発見

江戸初期?の「富士参詣曼荼羅」愛知県常滑市で発見

静岡県の調査によると、世界遺産富士山への参詣登山の様子を描いた「富士参詣曼荼羅(まんだら)」が愛知県常滑市の松栄寺に保管されていることが分かった。江戸時代初期の作品とみられる。
古くから信仰の対象とされてきた富士山の、当時の参詣の様子が細かく描かれ、国の文化財に指定された富士山本宮浅間神社(富士宮市)所蔵の参詣曼荼羅と並ぶ史料として注目を集めそうだ。
松栄寺の富士参詣曼荼羅は縦179㌢、横145㌢、中央に大きく富士山が配置され、興津宿、清見ヶ関(現静岡市清水区)を出発して富士川を渡り、大宮口から表口登山道を登るルートを紹介している。建物のつくりから慶長年間の1602~1606年の作と推定される。