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若き日の英傑たち 明治の4531人『人物写真帖』出版

若き日の英傑たち 明治の4531人『人物写真帖』出版

明治天皇の命で1880年前後に撮影された明治政府の鋼管や軍人ら4531人の写真を収録した図書が出版された。
44歳の時のひげのない板垣退助や、後に連合艦隊司令官としてロシアのバルチック艦隊を破った東郷平八郎の、34歳の少佐時代の写真が載せられている。また当時、世界最強といわれた、ロシアのコサック兵を翻弄したと伝えられる、22歳で陸軍騎兵少尉時代の秋山好古。
幕末、新政府軍に徹底抗戦した元会津藩主の松平容保、伊藤博文、桂太郎、勝海舟、榎本武揚らの写真も掲載されている。
この人物写真帖は菊葉文化協会刊。上・下巻セットで3700円。皇居東御苑大手売店で販売している。

「百舌鳥・古市古墳群」17年度の世界遺産登録目指す

「百舌鳥・古市古墳群」17年度の世界遺産登録目指す

堺市・大阪府は百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録に向けた取り組みを進める。大仙陵古墳など4世紀後半から5世紀後半につくられた古墳61基で構成される。
登録にはまず日本国内で暫定リストに掲載され、年間1件の国内推薦枠に選ばれる必要がある。古墳群は2010年に暫定リスト入りしたが、景観保護対策の不備などを理由に13年の推薦枠に入らなかった。今夏の推薦枠入り、17年度の世界遺産登録を目指す。

三百回忌「大光琳祭」琳派の巨星・天才絵師しのぶ

三百回忌「大光琳祭」琳派の巨星・天才絵師しのぶ

琳派を代表する江戸中期の絵師・尾形光琳の三百回忌に合わせた「大光琳祭」が6月2日、京都市上京区の妙顕寺で開かれた。荘厳な音楽大法要が営まれ、参列者は日本の美の流れを作った天才絵師をしのんだ。
尾形光琳は(1658~1716年)は京の呉服商に生まれ、私淑する本阿弥光悦や俵屋宗達の作風を高め、琳派を発展させた。琳派400年と合わせて命日の6月2日に企画。美術や工芸関係者ら約250人が参加した。

京都・下鴨神社で550年ぶりに「糺勧進能」再興

京都・下鴨神社で550年ぶりに「糺勧進能」再興

京都左京区の下鴨神社の舞殿(重要文化財)で5月30日、室町時代に将軍らの前で演じられた「糺(ただす)河原勧進猿楽」が約550年ぶりに「糺勧進能」として再興された。21年に1度の式年遷宮を祝う行事として、観世流宗家の観世清和さんらが神話にまつわる能「賀茂」を披露した。
糺河原勧進猿楽は、下鴨神社の近くで猿楽能を演じた大きな興行。この日は約700人の観客がかがり火に照らされた幽玄の舞台に見入っていた。

藤沢周平の草稿700枚 未発表作見つかる

藤沢周平の草稿700枚 未発表作見つかる

武家社会でも、薄給の下級武士や、町人をはじめ市井の庶民の生きざまを情感豊かに描いた作品を数多く残した作家、藤沢周平さん(1927~97年)が文壇デビュー前に執筆した、初期作品の草稿約700枚が見つかった。
これらの中には文学賞に応募した未発表作、直木賞受賞作「暗殺の年輪」の草稿、「又蔵の火」の原型などもある。欄外に吹き出しで文章を付け足したり、二重線を引いて書き直したりして推敲を重ねた跡があった。出身地の山形県鶴岡市立藤沢周平記念館で一部を公開しており、同館は「藤沢さんの創作意欲を物語る貴重な資料だ」と話している。
藤沢さんの長女が昨年10月ごろ、同館の企画展に出す資料の整理中に見つけた。

仁徳天皇陵築造時状態の葺き石 堺・収塚古墳で発見

仁徳天皇陵築造時状態の葺き石  堺・収塚古墳で発見

堺市は5月29日、仁徳天皇陵とされる大山古墳に付属する陪塚(ばいちょう)の一つ、収塚(おさめづか)古墳(5世紀半ば、前方後円墳)で築造時の状態とみられる葺き石が見つかったと発表した。前方部の端が確定し、古墳全長は従来の57.7㍍ではなく、約59㍍と分かった。
堺市によると、収塚古墳は大山古墳の南東にあり、世界文化遺産登録を目指す百舌鳥・古市古墳群の一つ。前方部が短い帆立て貝形だが、前方部はほとんど削られており、明治時代の地図には円墳として描かれていた。1972年ごろ、前方後円墳と認識したが、円墳として国指定史跡になったままという。