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熊野那智大社で大たいまつ担ぐ勇壮な火祭

熊野那智大社で大たいまつ担ぐ勇壮な火祭

和歌山県那智勝浦町の熊野那智大社の神事「那智の扇祭」(通称:那智の火祭)が7月14日、行われた。
これは、熊野の神々が年に1度もともと祀られていた那智の滝へ里帰りするという神事。燃え盛る大たいまつを担ぎ、火の粉が飛び散る勇壮な火祭りとして知られている。
今回も12本の大たいまつを抱えた白装束の氏子たちが火の粉を飛ばしながら滝へと続く石段を練り歩いて清め、神々が乗る12体の扇神輿(みこし)を出迎える。こうした一連のさまを、訪れた観光客らは興味深そうに見守っていた。

ホメロスの古代叙事詩「オデッセイ」の粘土板発掘

ホメロスの古代叙事詩「オデッセイ」の粘土板発掘

ギリシャ文化省によると、ギリシャ西部オリンピアで古代の詩人ホメロスの叙事詩「オデッセイ」の一部が刻まれた粘土板が発掘された。この粘土板は3世紀ごろのものとみられ、ギリシャで発見された最古のオデッセイの記録の可能性があるという。
ギリシャとドイツの研究チームが、ゼウス神殿の近くで遺跡発掘の作業中に発見した。24歌で更生される長編叙事詩のうち、第14歌の一部が記されていた。複数のメディアが報じた。

西田幾多郎の多数の直筆ノート見つかる

西田幾多郎の多数の直筆ノート見つかる

「善の研究」などの著書で知られ近代日本を代表する哲学者、西田幾多郎(きたろう、1870~1945年)の遺族宅で、西田直筆の多数のノートが見つかった。
石川県かほく市の西田幾多郎記念哲学館などが、修復とともに読み解きを進めており、専門家はノートの修復や読み解きが今後の哲学研究のモデルになると指摘している。
西田は、西洋思想と東洋思想を融合させた独自の哲学体系をつくり、当時の知識人や若者に大きな影響を与え、「京都学派」の中心となった。

山鉾巡行「前祭」7/17「後祭」7/24 祇園祭の鉾建て始まる

山鉾巡行「前祭」7/17「後祭」7/24 祇園祭の鉾建て始まる

京都市中心部の四条通で7月10日、祇園祭のハイライト山鉾巡行を控え、道路の一部を規制して鉾の組み立て作業が始まった。鉾は木材を傷めないよう、釘(くぎ)を一切使わず、縄で固定する「縄がらみ」という伝統的手法で組み立てられる。山・鉾は14日ごろまでにすべて組み立てられ、出揃う。
祇園祭の山鉾巡行は「前祭(さきまつり)」が7月17日、「後祭(あとまつり)」が7月24日行われる。

長崎・天草の「潜伏キリシタン」世界文化遺産に登録決定

長崎・天草の「潜伏キリシタン」世界文化遺産に登録決定

バーレーンのマナマで開かれているユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産委員会は6月30日、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本両県)を世界文化遺産に登録することを決めた。日本の文化遺産は18件目で、自然遺産(4件)と合わせると世界遺産は22件となった。
登録されるのは、江戸幕府がキリスト教の信仰を禁じた17~19世紀、日本古来の伝統的な宗教や社会と”共生”しながら、密かに信仰を守り続けた「潜伏キリシタン」が育んだ独特の文化的伝統を示す遺産群。
禁教のきっかけとなった島原・天草一揆の舞台となった原城跡や信仰を集めた離島も含む集落や集落跡、長崎市内の大浦天主堂など12の構成資産すべてが対象となった。

淡路島で紀元前に埋納された最古級の銅鐸を確認

淡路島で紀元前に埋納された最古級の銅鐸を確認

兵庫県南あわじ市教育委員会は6月27日、同市で2015年に見つかった弥生時代の青銅器「松帆銅鐸(まつほどうたく)」の科学分析の結果、朝鮮半島産の鉛を含むなど弥生時代中期前半(紀元前4~前3世紀)の最古級の銅鐸と同じ特徴を持つことが分かったと発表した。多数の銅鐸が土中に埋められたのが、紀元前に遡って最古の事例となる可能性が強まった。
同市教委が奈良文化財研究所(奈良市)に依頼、銅鐸7個と、一緒に見つかった音を鳴らすための「舌(ぜつ)(=振り子)」7個について、元素の種類や含有量を測定する発光分光分析と鉛の同位体比から産地を推定する分析を行った。
銅鐸は豊作や集落の安全を祈るコメづくりを中心とした農業のまつりに使われたとされる。

銅鏡・鋳型で共同研究 橿原考古研と中国社会科学院

銅鏡・鋳型で共同研究 橿原考古研と中国社会科学院

奈良県立橿原考古学研究所と中国社会科学院考古研究所がこのほど、中国の山東省で出土する銅鏡や鋳型の共同研究をさらに進めるため、協議書を締結した。
中国の戦国時代の末期から前漢時代の銅鏡や、前漢時代の鋳型を最新技術で研究。鋳型の再利用状況など、製造技術の解明を進める。
戦国七雄の一つ、斉(せい)の城があった山東省臨二(りんし)地区で出土している紀元前3~2世紀の銅鏡などの調査を進める。同地区ではこれまでに計およそ7000枚の銅鏡が出土しているという。

鹿児島で7000万年前の大型草食恐竜の化石発見

鹿児島で7000万年前の大型草食恐竜の化石発見

国立科学博物館と鹿児島県薩摩川内市などは6月23日、同市の甑(こしき)島で、約7000万年前(中生代白亜紀最末期)の地層から、大型草食恐竜の左大腿(だいたい)骨の化石が見つかったと発表した。この恐竜は体長10㍍を超えるハドロサウルス類とみられる。
今回見つかった化石は長さ70㌢、直径最大28.5㌢。2016年7月、地質調査中に発見された。化石周辺の鉱物にレーザーを当てる「ウラン・鉛年代測定法」で、白亜紀最末期と特定した。白亜紀最末期は、恐竜が絶滅する直前の時期とされる。

纏向遺跡から出土の1800年前のイヌの骨初公開 桜井市

纏向遺跡から出土の1800年前のイヌの骨初公開 桜井市

奈良県桜井市の市立埋蔵文化財センターで、邪馬台国の有力候補地とされる同市の纏向(まきむく)遺跡から出土した、およそ1800年前の3世紀前半のイヌの骨が展示されている。一般公開は今回が初めて。9月30日まで。
このイヌの骨は平成26年度調査で、女王卑弥呼の居館との見方がある大型建物群より以前の区画溝とみられる溝から見つかった。古墳時代では貴重な事例で、ほぼ全身の骨が確認されている。

最古級の日本全図「日本扶桑国之図」発見 広島の博物館

最古級の日本全図「日本扶桑国之図」発見 広島の博物館

広島県立歴史博物館(広島県福山市)は6月15日、室町時代初期(14世紀中ごろ)に描かれたとみられる日本の古地図を確認したと発表した。
確認されたのは「日本扶桑国之図(ふそうこくのず)」と書かれた縦122㌢、横57㌢の地図で、広島出身の収集家から博物館に寄託された。扶桑国は日本の古い異称。
地図には北海道を除く東北から九州までの旧国名が、九州側が上、東北側が下に描かれ、薩摩、大隅両国から陸奥国まで68カ国の位置や名称などが記されている。九州の近くには当時の沖縄の地名「龍及(りゅうきゅう)」の文字もある。このほか、人口や寺の数なども記されている。

平城宮跡で大規模な調理場跡 “宴”開かれた跡

平城宮跡で大規模な調理場跡 “宴”開かれた跡

奈良文化財研究所によると、奈良時代の平城宮跡(奈良市)で火を使って煮炊きした大規模な調理場だったとみられる跡が見つかった。
同研究所の発掘調査で今回見つかったのは、平城宮跡の東にあたる皇太子の宮殿などがあった東院地区。建物があった場所に直径40㌢ほどの焼けた土が4カ所一列に並んで見つかったほか、大量の炭が確認された。周辺からは奈良時代の皿やお椀などの土器が数多く見つかっている。昨年はこの近くで洗い場とみられる跡も見つかった。平城宮跡で調理場とみられる跡が見つかったのは初めて。
古代の歴史書「続日本紀」には、この地区で天皇や貴族がたびたび盛大な”宴(うたげ)”を開いたという記述がある。

伏見稲荷大社で豊作祈る「田植祭」

伏見稲荷大社で豊作祈る「田植祭」

京都市伏見区の伏見稲荷大社で6月10日、今年1年の豊作を祈る「田植祭」が行われた。
境内にある約300平方㍍の水田で、あかね襷(たすき)に菅笠(すげがさ)姿の女性らおよそ20人が、丁寧に苗を植え付けていく。この田植えが行われている傍らで、平安時代の衣装を身にまとった4人の女性が伝統的な神楽の演奏に合わせて「御田舞(おたまい)」と呼ばれる舞を奉納し、今年の豊作を祈った。訪れた見物客はこの伝統的な神事を熱心にカメラに収めていた。秋には収穫され、神前に供えられる。
田植祭は、五穀豊穣の神さまとして知られる同大社で毎年行われる神事。

滋賀・西教寺で命日の6/14に明智光秀の功績称えフォーラム

滋賀・西教寺で命日の6/14に明智光秀の功績称えフォーラム

明智光秀公顕彰会は、光秀の命日とされる6月14日、ゆかりの滋賀県大津市の西教寺で、発足30年の記念フォーラムを開く。14日は午前10時から茶会(500円、茶菓付き)、正午から法要、午後1時から記念式典が行われる。15日には分科会、16日は散策ツアーなどが企画されている。
同顕彰会は1989年、武将として、領主としての光秀の功績を後世に残す目的で発足。事務局の西教寺は光秀の菩提寺で、毎年6月14日に追善法要が営まれる。今回は30周年の節目にあたることと、光秀が2020年のNHK大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」の主人公として取り上げられることが決まり、今後、マスメディアへの露出度が高まることが見込まれている。
西教寺の総門や梵鐘は光秀が築城した坂本城の城門や陣鐘だったと伝わる。

大和郡山で区画整備の道の跡 平城京の「条坊」か

大和郡山で区画整備の道の跡 平城京の「条坊」か

奈良県大和郡山市教育委員会によると、奈良時代の「平城京」の南に位置する同市の「平城京南方遺跡」から、平城京と同様に区画整備された道の跡が見つかった。
同市教委発掘調査の結果、東西に走る幅4㍍ほどの道の跡と、南北に走る幅6㍍ほどの道の跡の一部が見つかった。
平城京では道路が碁盤の目につくられた「条坊」と呼ばれる区画整備が行われているが、今回見つかった道の跡も同様の区画整備がされていたという。
平城京は東西に走る「九条大路」が南の端とされているが、平城京がこのエリアまで広がっていたのかどうかを、今後議論する必要があるとしている。

「北前船」寄港地 関西7市町が協力観光PR

「北前船」寄港地 関西7市町が協力観光PR

「北前船」の寄港地として文化庁が創設した「日本遺産」に認定された、関西の7市町が協力して歴史的な観光拠点としてPRしていくことになった。
江戸時代から明治初期にかけて日本の物流を支えた北前船。この寄港地だった全国38の市と町が日本遺産に認定されている。このうち関西で認定された大阪市や神戸市など7つの市と町は、今年10月から半年間、地元のガイドが案内しながら、北前船の歴史をたどる街あるきを企画するなど、協力して観光PRしていく。

鑑真しのび唐招提寺で「開山忌」鑑真和上坐像特別公開

鑑真しのび唐招提寺で「開山忌」鑑真和上坐像特別公開

奈良市の唐招提寺で、寺を開いた中国の高僧、鑑真の遺徳をしのぶ「開山忌」が6月5日と命日の6日の両日営まれる。これに合わせ国宝の「鑑真和上坐像(がんじんわじょうざぞう)」が特別公開されている。公開は7日まで。
5日は境内にある中興堂で、僧侶がお経を唱える中、茶道の薮内流の家元がたてた茶が、鑑真和上坐像の”お身代わり像”に供えられた。また参拝者らは普段は見ることができないだけに、開山忌に合わせて公開された国宝の鑑真和上坐像に向かって静かに手を合わせていた。

西田幾多郎の未公開ノート50冊見つかる 独自哲学へ思索の軌跡

西田幾多郎の未公開ノート50冊見つかる 独自哲学へ思索の軌跡

京都大学などはこのほど、「善の研究」などで知られる哲学者、西田幾多郎(1870~1945年)の未公開ノート50冊が見つかったと発表した。宗教学や倫理学と題した講義ノートなどで、「西田の生の思考過程をたどることのできる第一級の史料」(京都大)という。
これらは遺族から預けられたノート50冊とレポート類250点から見つかったもの。写真撮影して電子データ化。これまでにノート14冊分の内容を書き起こした。
これまでに分かっている範囲では東大の学生時代から、京大教授定年退職前後の数十年にわたる思索の軌跡が刻まれている。善の研究など独自の哲学を展開した西田だが、アリストテレスやカントなどの古典から、同時代のドイツの数学者や米国の心理学者にも言及し、幅広い範囲で他の研究者の思索に関心を払っていたことがうかがわれるという。

「適塾」で2戦役でたどる英才門下生たちの特別展

「適塾」で2戦役でたどる英才門下生たちの特別展

「適塾」の門下生たちが戊辰~西南戦争にどのように関わっていたかをたどる特別展が、大阪市中央区の「適塾」(史跡・重要文化財)で開かれている。6月10日まで。開館時間は10時~16時。入館料は一般260円、高校・大学生140円。
江戸後期に蘭方医・緒方洪庵が開いた適塾は、主に軍制と医療の双方に数多くの英才を輩出した。その門下生、大村益次郎や大鳥圭介は戊辰戦争で指揮を執り、大村は明治政府の軍制確立に大きな役割を果たした。高松凌雲と佐野常民は赤十字の「博愛主義」に基づき、戦地に赴いて傷病者の治療にあたっている。このほか、大老・井伊直弼が断行した「安政の大獄」で吉田松陰らとともに散った橋本左内や、明治以後、頑として官職に就かなかった福沢諭吉らも適塾出身だ。
展示は、国産初の蒸気船を完成させた佐野常民所蔵の化学書「舎密開宗(せいみかいそう)」、洪庵の次男、緒方惟準(おがたこれよし)が著した医学書「軍医須知」など24点を紹介している。

ナスカで新たに25点以上の地上絵 ドローンで発見

ナスカで新たに25点以上の地上絵 ドローンで発見

ペルー文化省が行ったドローンによる調査で、「ナスカの地上絵」の近くでサルやシャチ、女性の踊り子、戦士などを描いた地上絵が新たに25点以上見つかった。
今回見つかった地上絵は、長年風雨にさらされて線が細くなっていて、地上や上空の高い地点からは見えにくく、ドローンが飛行する低空からようやく形として認識でき新発見に至ったという。
世界遺産に登録されている「ナスカの地上絵」は、およそ2000年前にペルー南部のナスカ台地に描かれた巨大な絵で、動物や幾何学的な模様など1000点以上が確認されている。

神戸で楠木正成しのぶ5年ぶり武者行列

神戸で楠木正成しのぶ5年ぶり武者行列

南北朝時代の名将、楠木正成をしのぶ武者行列が5月26日、ゆかりの深い神戸市で5年ぶりに行われた。この武者行列は、神戸の「湊川の合戦」で南朝方の武将として足利尊氏率いる北朝軍と戦い、自刃した楠木正成をまつる湊川神社の行事「楠公祭」に合わせて、5年ごとに行われているもの。
楠公祭は、本殿で神事が行われた後、午前10時に豪華(?)な金の飾りを付けたかぶとやよろいで身を包んだ、楠木正成はじめ騎馬武者などに扮した地域の人たちが、神社を出発し街を練り歩いた。全長約1㌔㍍に及んだ行列には約700人と馬約30頭が参加した。沿道には多くの見物客が訪れ、その勇姿をカメラに収めていた。
正成は、本拠とした大阪・千早赤阪村に鎌倉幕府軍を迎え撃った戦いで、地理を熟知した知略・奇襲戦法で幕府軍を翻弄し、北条執権家の弱体化を世間に印象付けた。

滋賀県の遺跡から国内最古の「獣脚」の鋳型出土

滋賀県の遺跡から国内最古の「獣脚」の鋳型出土

滋賀県草津市教育委員会によると、同市野路町にある集落の遺跡、榊差遺跡から鍋や釜などの器を支える脚で、「獣脚」と呼ばれる部分を作るための鋳型が出土した。
同市教委は、この鋳型は奈良時代前半のものと推定され、これまでに出土した中では国内最古のものになるとしている。今回、同市教委は今年1月~3月にかけて古墳時代から平安時代にかけての集落の遺跡で発掘調査を行った。
その結果、金属製品を作るための鋳型の破片およそ50点が出土した。獣脚の鋳型の出土例は全国でも少なく貴重な発見という。天智天皇が造営した「近江大津京」が開かれて、多くの人が移り住んだことで、当時の最先端の技術が入ってきた可能性があるとしている。

与謝野晶子直筆の”歌人・晶子”誕生前の未発表和歌見つかる

与謝野晶子直筆の”歌人・晶子”誕生前の未発表和歌見つかる

“歌人・晶子”誕生以前の、大阪・堺市在住時代、与謝野晶子が東京で離れて暮らす兄に会いたい気持ちを詠んだ未発表の和歌が見つかった。
和歌は晶子が兄・秀太郎の妻に宛てた手紙の中で見つかった。堺市が兄の遺族から手紙を借りて調べた際に見つかり、天理大学の太田登名誉教授に依頼して手紙の内容を分析したところ、晶子が与謝野鉄幹と駆け落ちして実家と絶縁する前の、明治31年7月に詠まれた未発表の和歌で、直筆で現存するものとしては最も古いことが確認されたという。
和歌は「よひよひに 天の川なみ こひながめ 恋こふらしとしるらめや君」と詠んでいる。商家の堺でともに過ごし、結婚して上京した兄から連絡が来ないもどかしさを、天の川を題材にし詠んだもので、専門家らは仲が良かった時期の兄妹関係を示す貴重な資料と話している。

旧松江藩の鉄師・田部家などが「たたら製鉄」95年ぶり再開

旧松江藩の鉄師・田部家などが「たたら製鉄」95年ぶり再開

日本古来の製鉄法、「たたら製鉄」の操業が95年ぶりに再開される。これは、江戸時代に松江藩の主要な鉄師だった田部家などが途絶えていた、たたら製鉄の操業を再開するもの。
島根県雲南市吉田町吉田の和鋼生産研究開発施設で5月22日、田部家当主が社長を務める住宅・食品関連会社、田部(所在地:島根県雲南市)などが、たたらの炉に火入れする予定。日本古来の伝統を継承し、地域振興への貢献を目指すという。
たたら製鉄は、公益財団法人「日本美術刀剣保存協会」(所在地:東京都)が1977年から、奥出雲町大呂の製鉄施設「日刀保たたら」で操業を復活させ、日本刀の原料を供給している。

奈良で「吉野離宮」の正殿?大型建物跡見つかる

奈良で「吉野離宮」の正殿?大型建物跡見つかる

奈良県吉野町教育委員会と奈良県立橿原考古学研究所の発掘調査によると、吉野町の国史跡「宮滝遺跡」で、『日本書紀』や『続日本紀』などに記されている「吉野離宮」の中心的な建物「正殿」の跡ではないかとみられる大型の建物跡が見つかった。
この建物跡は東西23.7㍍、南北9.6㍍で、屋根の四方に庇(ひさし)が付いた格式の高い建物で、奈良時代前半のものとみられている。橿原考古学研究所の菅谷文則所長は「吉野離宮の所在地をめぐっては宮滝遺跡以外の説もあったが、今回の成果で宮滝遺跡だったと確定できたと考える」と話している。
吉野離宮は、飛鳥時代に奈良県中部を流れる吉野川のほとりに、様々な公共工事を行ったとされる女帝の斉明天皇(天智天皇、天武天皇の母)が造営したとされる離宮。その後、大海人皇子(後の天武天皇)が天智天皇の死後、皇位継承をめぐって大友皇子と対立して起きた「壬申の乱」で、最初に反撃の兵を挙げた場所とされている。
天武天皇の死後、即位した妻の持統天皇は30回以上も吉野離宮を訪れているほか、女帝・元正天皇や聖武天皇などもたびたび吉野離宮を訪れたことが日本書紀や続日本紀に記されている。

纏向遺跡で出土の桃の種は卑弥呼の時代のもの

纏向遺跡で出土の桃の種は卑弥呼の時代のもの

奈良県桜井市の纏向学研究センターの最新紀要によると、同市の纏向(まきむく)遺跡(国史跡、3世紀初め~4世紀初め)で出土した桃の種について、放射性炭素(C14)年代測定を行ったところ、西暦135~230年のものとみられることが分かった。「魏志倭人伝」に記されている邪馬台国の女王・卑弥呼が君臨した時代と重なる。
これらの桃の種は、遺跡の中枢部とみられる大型建物の跡(3世紀前半)の近くで出土したもので、大型建物の年代が自然科学の手法で初めて測定されたことになる。
今回の年代測定は、纏向遺跡が邪馬台国の重要拠点だったとする邪馬台国の「畿内説」を強める画期的な研究成果といえる。

京の平安絵巻「葵祭」夏日の都大路練り歩く

京の平安絵巻「葵祭」夏日の都大路練り歩く

全国各地で気温が25度以上の夏日となった5月15日、7月の祇園祭、10月の時代祭とともに京都三大祭りの一つ「葵祭」が行われた。
きらびやかな平安装束に身を包み、烏帽子や輿(こし)などに祭の名前の由来となった植物のフタバアオイを飾り付けた、およそ500人による優雅な行列が都大路を練り歩いた。京都御所を出発し、下鴨神社で神事が行われ、午後から上賀茂神社に向けて出発。およそ全8㌔㍍の行列コースの沿道には、至る所で見物客が平安絵巻の一コマを見守った。十二単(ひとえ)に身を包んだ、今年の祭の主役「斎王代」は、京都市在住の会社員、坂下志保さん(23)が務めた。
葵祭は、およそ1400年前、欽明天皇が五穀豊穣を祈って馬を走らせたのが始まりとされている。

平安時代の国内出土最古の「構造船」の一部公開

平安時代の国内出土最古の「構造船」の一部公開

滋賀県大津市の埋蔵文化財センターで、平安時代の高度な技が使われた「構造船」の一部が一般公開されている。公開されているのは3年前、長浜市の塩津港遺跡で見つかった、船の一部や船の模型など合わせて18点。一般公開は5月31日まで。
船は複数の木の板を組み合わせる高度な技が使われた「構造船」で、木に書かれた年号などから平安時代のものとみられている。国内で出土した構造船では最古のものだ。
今回公開されている木の板は縦2㍍余り、横60㌢程度で、釘の穴が3つ並んでいて、全長20㍍以上の船の一部だったと推定されている。同県文化財保護協会では、船の模型はへさきが尖っていて後部が平らなことから、江戸時代に琵琶湖で活躍した「丸子船」の原型だったと考えられるとしている。

金華山中腹で信長入城時の岐阜城の新たな石垣見つかる

金華山中腹で信長入城時の岐阜城の新たな石垣見つかる

岐阜市教育委員会によると、同市の金華山(標高329㍍)の中腹で岐阜城の石垣が新たに見つかった。これまで岐阜城は山頂の天守とふもとの居館で構成されていると考えられてきたが、今回の発見により山全体が城の役割を果たしていた可能性があるとしている。
今回、同市教委は標高145~160㍍の付近で新たな石垣を発見した。石垣に使われていた石材の中には幅270㌢、高さ60㌢の巨石もあり、石垣の上には重要な施設があった可能性が高いという。石垣は織田信長が入城した1567年ごろに築かれたとみられる。

大修理中の薬師寺東塔で「心柱」立てる儀式

大修理中の薬師寺東塔で「心柱」立てる儀式

およそ110年ぶりに大掛かりな修理が行われている奈良・薬師寺の国宝、東塔の中心「心柱(しんばしら)」と呼ばれる柱を立てる儀式が5月8日行われた。
僧侶や関係者たちが見守る中、上下に分かれている「心柱」のうち、高さおよそ13㍍ある上の部分の柱がクレーンで吊り上げられ、宮大工たちが慎重に位置を調整しながら下の柱とつなぎ合わせた。
薬師寺東塔は1300年前の創建時から残る34㍍の国宝の三重塔で、9年前から解体修理が進められており、現在作業は一度解体した塔を組み立て直す段階に入っている。薬師寺東塔は2020年4月に落慶法要が営まれる予定。

奈良の寺・神社などで「ムジークフェストなら」開幕

奈良の寺・神社などで「ムジークフェストなら」開幕

東大寺はじめ春日大社、唐招提寺など奈良県内各地の寺・神社、ホール、カフェを舞台にクラシック、ジャズ、民族音楽など様々なジャンルの音楽が楽しめるイベント「ムジークフェストなら」が5月7日開幕した。
初日の7日は、東大寺の大仏殿で記念式典が行われた。式典ではテノールやバリトン歌手によるオペラが披露された。訪れた人たちは大仏殿の荘厳な空間に、いつもとは全く違う、伸びやかに響きわたる歌声とピアノやバイオリンの音色に耳を傾け、じっくりと堪能していた。
このイベント、ムジークフェストならは6月3日まで28日間にわたって開かれる。

奈良・法華寺の仏像内部に180点の大量の巻物

奈良・法華寺の仏像内部に180点の大量の巻物

奈良国立博物館の調査によると、法華寺(奈良市)の本堂に安置されている鎌倉時代に制作された「文殊菩薩坐像」の内部に、およそ180点もの大量の巻物などが納められていることが分かった。これは同館が最新のCTスキャンを使って、画像検査で確認されたもの。
調査の結果、高さ73㌢の仏像の全身に空洞があり、頭の部分にはおよそ30の巻物や釈迦の遺物を納めた「舎利容器」とみられる容器が確認された。胴体にはおよそ150点の経典とみられる巻物が敷き詰められていたという。同館では、これらの品は一度も取り出された形跡がなく、つくられた当時のままの状態だとみられるとしている。
この仏像は5月8日から27日まで、奈良市の奈良国立博物館で特別公開される。

生誕140年 与謝野晶子の映像を記念館が公開

生誕140年 与謝野晶子の映像を記念館が公開

情熱の歌人、与謝野晶子の出身地、大阪府堺市の「与謝野晶子記念館」は4月27日から、生誕から今年で140年になるのに合わせて、80年以上前に彼女が家族と福島県を旅行した際に撮影された映像を常時公開している。
この映像は、与謝野晶子の孫から同記念館に寄贈された8ミリフィルムで撮影されたものを、2分余りに編集したもの。そこには昭和11年、57歳の時の与謝野晶子の姿があり、東京の荻窪にあった家を出発する時の様子や、福島県の磐梯山周辺を散策している様子などが収められているという。

幸村ゆかりの和歌山県九度山町で「真田まつり」

幸村ゆかりの和歌山九度山町で「真田まつり」

真田幸村ゆかりの地、和歌山県九度山町で5月5日、真田昌幸・幸村親子をしのび、武者行列が町なかを練り歩く恒例の「真田まつり」が行われた。
この武者行列には大人から子供まで約200人が参加し、出陣を告げる太鼓が打ち鳴らされた後、馬上の昌幸・幸村親子を先頭に出発。真田家の家紋、六文銭の印が入った赤い甲冑(かっちゅう)姿の武者や、幸村に仕えたとされる「真田十勇士」らが続いた。行列は、約2㌔㍍の道のりを練り歩いた。
九度山町は、関ヶ原の戦いで西軍に与し、敗れた後、処罰として昌幸・幸村親子が蟄居(ちっきょ)させられ移り住んだ地で、毎年この時期に真田まつりが行われている。

京都・藤森神社で駈馬神事 疾駆する馬上で曲技を披露

京都・藤森神社で駈馬神事 疾駆する馬上で曲技を披露

京都・藤森(ふじのもり)神社(京都市伏見区)で5月5日、伝統行事、駈馬(かけうま)神事が行われた。これは疾走する馬の上で曲技を披露する、約1200年前から伝わる伝統行事。
境内に設けられた約200㍍のコースに、20代から50代までの6人の乗子(のりこ=騎手)が、まさに曲芸に近い”技”を披露した。矢が体に当たったと見せかけるために、馬から落ちそうな姿勢の「藤下がり」や、降りしきる敵の矢を避けるため、体を馬の横のずらせて頭を下げる「手綱潜(くぐ)り」などに、詰めかけた約2万5000人の観客から歓声が上がっていた。

「奄美・沖縄」の世界自然遺産への登録延期を勧告 IUCN

「奄美・沖縄」の世界自然遺産への登録延期を勧告 IUCN

国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関の国際自然保護連合(IUCN)は5月4日(日本時間)、日本政府が世界自然遺産に推薦した「奄美大島、徳之島、沖縄東北部および西表島」に対し、内容の抜本的見直しを求める「登録延期」を勧告した。
候補地が細かく分断されるなど生態系の持続可能性に懸念が残ることや、米軍北部訓練場返還地の編入計画などについても指摘があり、構成要素の再選定などを求めた。国内の世界自然遺産候補地で、「登録延期」という評価を受けたのは今回が初めて。
奄美大島、徳之島、沖縄東北部および西表島は、独自の生物の進化がみられ、「イリオモテヤマネコ」や「アマミノクロウサギ」など、国際的にも希少な固有種が多く存在することから、日本政府は2017年、ユネスコに対し世界自然遺産に推薦した。

奈良・橿原考古学研究所創立80周年で特別展

奈良・橿原考古学研究所創立80周年で特別展

昭和13年に創立された奈良県立橿原考古学研究所は、今年80周年を迎え、春と秋の2回に分けて、附属博物館で特別展を開く。現在開催中の春の展示では古代の金の冠の飾り、海外から伝来のガラス製の皿、銅鏡など、国の需要文化財を含む800点余りが紹介されている。
例えば、昭和38年に橿原市の古墳「新沢千塚126号墳」で見つかった金の冠の飾りや指輪などの装飾品、中東のペルシャ地方からもたらされた葵ガラス製の皿、平成9年と同10年の調査で天理市の黒塚古墳から大量に見つかった古代の銅鏡「三角縁神獣鏡」などで、この三角縁神獣鏡は周知のとおり、邪馬台国の女王、卑弥呼の鏡という説もある。

「潜伏キリシタン関連遺産」世界文化遺産に登録へ

「潜伏キリシタン関連遺産」世界文化遺産登録へ

ユネスコの諮問機関「イコモス」は、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」について、現地調査を行った結果、「世界遺産登録にふさわしい」とする勧告をまとめた。
これにより、大浦天主堂や原城跡、さらにキリスト教の禁教期に、いわゆる”隠れキリシタン”が弾圧を逃れて移り住んだ集落など長崎県と熊本県の12の構成資産は、今年バーレーンで開かれる世界遺産委員会で正式に世界文化遺産に登録される見通しとなった。
日本国内の世界遺産は現在、文化遺産が17件、自然遺産が4件となっている。

幕末、高島秋帆が製造した国産初の西洋式大砲 高知で公開

幕末、高島秋帆が製造した国産初の西洋式大砲 高知で公開

海防意識が高まりをみせた幕末、西洋式砲術を国内に広めた砲術家・高島秋帆(たかしま・しゅうはん)が鋳造した国産初の西洋式大砲(国重要文化財)が、高知県立高知城歴史博物館(高知市)で県内初公開されている。5月28日まで。
独学で西洋の兵法書やオランダ人から、西洋式砲術を学んだ長崎の役人、高島は幕末、西南雄藩をはじめ開明派の諸藩や幕府などから、西洋式大砲の製造法や兵法指南を依頼される砲術家だった。現実に佐賀の鍋島氏や、韮山の幕臣、江川英龍らに大砲の製造技術や兵法を伝えている。
列強諸藩の近代兵器導入の先駆けとなった史料として、注目を集めるとみられる。

「壬生狂言」春の公演始まる 「炮烙割」に拍手

「壬生狂言」春の公演始まる 「炮烙割」に拍手

京都・壬生寺に伝わる「壬生狂言」の春の公演が4月29日始まった。今回の人気の演目は「炮烙割」。春の公演は5月5日まで行われる。
演目の内容は、「炮烙」という素焼きの皿を売る商人が、太鼓売りを騙(だま)したところ、怒った太鼓売りに売り物の素焼きをすべて割られてしまうというもの。「悪いことをすれば、必ず報いを受ける」という仏教の教えを表している。
そのため、舞台に高く積まれたおよそ1000枚の皿を太鼓売りが次々と地面に落とす最大の見せ場では、観客から”共感”の大きな拍手が起きていた。
壬生狂言は、壬生寺の僧侶が仏教の教えを分かりやすく伝えようとおよそ700年前の鎌倉時代に始まったとされ、国の重要無形文化財に指定されている。いまは地元の有志らによって、節分の時期と春・秋の年3回上演されている。

吉田松陰の厳選資料を展示 県立山口博物館

吉田松陰の厳選資料を展示 県立山口博物館

明治150年記念テーマ展「県指定有形文化財 吉田松陰関係資料」が、山口市の県立山口博物館で開かれている。県文書館の協力のもと、同館所蔵の文化財などの中から厳選した資料を12月24日まで、全8期に分けて紹介する。
5月20日までの「第1期 兵学者としての修業」では、松陰が門下生の中谷正亮に与えた「吉田松陰自賛肖像(中谷本)」など6点を出品。自賛肖像は昨年度、保存修理されてから初めての公開となる。
月曜休館、一般150円、学生100円。

旧石器人は南方系の顔つき 石垣島の人骨から復元

旧石器人は南方系の顔つき 石垣島の人骨から復元

沖縄県立埋蔵文化財センターによると、同県石垣島の白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴遺跡(石垣市)で見つかった旧石器時代人骨(約2万7000年前)の生前の顔がデジタル復元され、南方系の人々の顔つきに近いことが分かった。日本人の祖先がどんな容姿で、どこからやってきたのかを解き明かす手掛かりになるとみられる。
同センターはじめ国立科学博物館、複数の専門家らでつくる研究グループは、頭骨が残る4体をX線CT撮影し、そのデジタルデータをもとに頭部を復元。このうち30代から40歳前後の男性とみられる4号人骨について、3次元プリンターで骨格をつくり、肉付け作業をした。
その結果、鼻の付け根が落ち込む彫りの深い顔立ちが現れ、中国南部や東南アジアの古人骨や、後の縄文時代人と似ていることが確認できたという。

春日若宮おん祭 10月パリ「ジャポニズム2018」で披露

春日若宮おん祭 10月パリ「ジャポニズム2018」で披露

奈良・春日大社に伝わる伝統行事「春日若宮おん祭」が10月にパリで開かれる日本文化を紹介する「ジャポニズム2018」で披露されることになった。
催しでは時代装束をまとった行列が練り歩く「おん祭」の主要な行事の一つ、「お渡り式」が再現されるほか、祭りで演じられる舞楽や能などが披露される予定。春日若宮おん祭は、春日大社に平安時代から続く五穀豊穣や国の安泰を願う祭りで、国の重要無形文化財に指定されている。
ジャポニズム2018は、エッフェル塔近くの施設などで10月17~27日まで行われ、期間中、おん祭のほか、徳島県の「阿波おどり」、兵庫県の「淡路人形浄瑠璃」など全国の行事や文化が紹介される。

「国宝 春日大社のすべて」展 国宝・重文など224件

「国宝 春日大社のすべて」展 国宝・重文など224件

奈良・春日大社ゆかりの文化財を集めた展示会「国宝 春日大社のすべて」が4月14日から奈良国立博物館で始まった。6月10日まで。
展示会は、春日大社の創建1250年を記念して、奈良国立博物館などが開いているもので、平安時代を中心に国宝57件、重要文化財47件を含む合わせて224件が期間中、一部を入れ替えながら展示される。
このうち例えば国宝「金地螺鈿毛抜形太刀」は、鞘(さや)の部分に螺鈿(らでん)細工が施され、ガラスを使ってすずめを追う猫の様子がいきいきと表現されており、螺鈿細工の巧みさ・きれいさに目を見張らされる。

熊野那智大社で厳かに五穀豊穣祈る「桜花祭」

熊野那智大社で厳かに五穀豊穣祈る「桜花祭」

世界遺産の熊野那智大社(和歌山県)で4月14日、桜の花を神様に供えて五穀豊穣を祈る「桜花祭(おうかさい)」が行われた。
熊野那智大社のご神体、那智の滝の前で神職たちが、花の咲いた桜の枝を供えた後、五穀豊穣を祈って祝詞が読み上げられた。続いて桜の簪(かんざし)を着けた巫女が扇や鈴を手に持ち、厳かな雰囲気の中、優雅な舞を奉納した。
この神事は、平安時代に那智山で修行した花山法皇が桜の美しさを和歌に詠んだという故事にちなみ、毎年この時期に行われているもの。

英国で2億500万年前の史上最大級の魚竜の化石発見

英国で2億500万年前の史上最大級の魚竜の化石発見

英国などの研究チームによると、約2億500万年前の海を泳ぎまわっていた史上最大級の魚竜、イクチオサウルスの化石が英国で発見された。
骨の一部から推定すると、全長は約26㍍に達し、現在の哺乳動物でシロナガスクジラに匹敵する巨体だったという。同研究チームが米科学誌プロスワンに発表した。
この化石が発見されたのは英サマセット州の海岸で、2016年に見つかった。骨片を組み合わせると約1㍍の魚竜の下あごの骨と分かった。
これまで最大の魚竜は、カナダで見つかったショニサウルス(全長約21㍍)だと考えられてきた。だが、今回はそれを上回り、史上最大級の魚竜の一つとみられるという。

奈良・田原本町「唐古・鍵遺跡」史跡公園4/17オープン

奈良・田原本町「唐古・鍵遺跡」史跡公園4/17オープン

奈良県田原本町の唐古・鍵遺跡が「唐古・鍵遺跡史跡公園」として整備され、4月17日からオープンすることになった。同施設は、全国でも代表的な弥生時代の遺跡を保存するとともに、地域の観光拠点にしようと、田原本町が整備を進めてきた。
完成した施設のうち「遺構展示情報館」では、これまでの発掘踏査で見つかった弥生時代の大型建物の柱の跡を型取りした模型や、当時の集落の暮らしぶりが再現されたジオラマが展示されている。
また、唐古・鍵遺跡のシンボルとして、土器に描かれた絵をもとに復元された、平原にそびえ立つ高さ12㍍の「楼閣」もきれいに修復された。

ナスカの隣接地で謎の地上絵50点以上を発見

ナスカの隣接地で謎の地上絵50点以上を発見

ナショナルジオグラフィック日本版によると、ペルーの考古学者らが地上絵で知られるナスカのすぐ隣のパルパで、地上からは見えない、かすかな線で描かれた地上絵を、ドローンで新たに50点以上を発見した。これまで地元の人々だけに知られていた地上絵で、今回ドローンで初めて調査し、詳細な地図をつくった。
今回発見された地上絵は、この地域で西暦200~700年まで栄えたナスカ文化のものもあったが、その多くはもっと古く紀元前500~西暦200年のパラカス文化やトパラ文化のものと考えられている。今回発見された地上絵のほとんどは、”戦士”を描いたものという。

平等院鳳凰堂が初のサクラのライトアップ

平等院鳳凰堂が初のサクラのライトアップ

京都府宇治市の平等院鳳凰堂で4月5日から、サクラのシーズンでは初めてとなるライトアップの一般公開が始まった。一般公開は4月9日までの午後6時半~午後9時まで行われる。
世界遺産に登録されている平等院は外国人にも人気が高い。周辺店舗からも観光を盛り上げたいとの要望を受け実施することになった。
平等院は4年前に改修されており、ライトアップされると昼間はそれほど感じない、創建当時の色合いを取り戻した鳳凰堂がひと際赤く照らし出される。また、鳳凰堂の前に広がる池の対岸に植えられている、枝垂桜(しだれざくら)がいま見ごろを迎えていて、夜空を背景に、そして池に映るサクラと鳳凰堂の幻想的な姿が楽しめる。

日本画と工芸「明治150年展」京都国立近代美術館

日本画と工芸「明治150年展」京都国立近代美術館

京都国立近代美術館(京都市左京区)で、明治時代の作品を中心とした日本画や工芸品190点余を集めた作品展が開かれている。5月20日まで。
これは明治元年から今年で150年になるのに合わせ、京都市でこの時代に活躍した日本画家や工芸家の作品を集めたもの。
日本画では竹内栖鳳の「池塘浪静」、工芸品では武蔵家大関の装飾品「金蒔絵柴山花鳥図飾器」など著名な数多くの作品が展示されている。
江戸時代の文化を継承しつつ、次の新しい時代=明治の、創作者たちの息吹が感じられる作品群だ。

「卑弥呼の墓では?」福岡県赤村で巨大な前方後円墳の地形

「卑弥呼の墓では?」福岡県赤村で巨大な前方後円墳の地形

福岡県赤村の西端、内田小柳地区の雑木と竹に覆われた民有地に、謎の巨大な前方後円墳のような地形があり、古代史ファンから「卑弥呼の墓ではないか?」といった声も聞かれる。
地元の古代史研究グループによると、現場の航空写真から鍵穴型丘陵の全長は約450㍍あり、日本最大の前方後円墳「大山(だいせん)古墳」(所在地:大阪府堺市)の墳丘長に迫る規模。後円部にあたる部分は直径約150㍍で、「魏志倭人伝」にある邪馬台国女王、卑弥呼の墓の直径「径百余歩」とほぼ一致するという。
ただ、現在まで発掘調査は行われておらず、真偽は謎のまま。同地域の自治体の文化担当者らは一様に「自然の地形」として、前方後円墳との見方を明確に否定している。