相 模
※源頼光のむすめと伝えられている。
恨みわびほさぬ袖だにあるものを
恋に朽ちなむ名こそをしけれ
【歌の背景】永承6年(1051)の内裏歌合せの折、大江公資と別れた後、一条天皇の皇女、脩子内親王家に仕えていた時代に浮き名が知られた藤原定頼、源資通らとの奔放な恋を回顧して詠んだもの。
【歌意】男(恋人)の無情を恨めしく思い、涙で濡れて乾かぬ袖は朽ちてしまいそうです。そのうえ、この恋のために世間からとやかく言われて浮き名を立て、私の名まで朽ち果ててしまうのは本当に残念なことです。
【作者のプロフィル】大江山の鬼退治で名を馳せた源頼光のむすめとも養女ともいわれ、母は慶滋保章のむすめ。初めは後朱雀天皇の皇女、祐子内親王に仕えて乙侍従といわれたが、相模守大江公資の妻となったので、以後、相模と呼ばれた。生没年不詳だが、1020年代から1050年代にかけて優れた恋歌を多く残し、情熱的で妖艶な歌風で知られた