奈良市教育委員会の発掘調査によると、奈良時代に都があった「平城京跡」で、当時の権力者、左大臣・長屋王と同じ規模を持つ広大な宅地の跡が見つかった。場所は「平城宮跡」に近い奈良市法華町の市立一条高校の敷地内。藤原不比等邸宅跡の約150m東の一等地。所有者の特定につながる木簡などは見つかっていないが、かなり有力な貴族の屋敷だったとみられる。広さは、当時の宅地の区画である町(ちょう)4つ分にまたがる約6㏊(約6万1,000㎡)。奈良時代、宅地の広さは官位で決められ、4町を与えられる人物は左大臣など三位以上で、左大臣として権力を握っていた長屋王も町4つ分の広さの宅地だった。平城京跡の発掘調査で町4つ分の広さの宅地が見つかったのはのは3例目。