大阪市立大学の研究グループは、現在の大阪城の地下に眠る豊臣秀吉が築いた当初の「大坂城」の詳しい構造を明らかにしたと発表した。これまで絵図などでしか確認されていなかった築城当初の大坂城の姿が大規模に確認されたのは初めて。秀吉によって築城された当初の大坂城は1615年、大坂夏の陣に勝利した徳川幕府によって、豊臣の勢威や名残を徹底して封じ込めるため埋め立てられ、現在の大阪城はその上に築かれている。ただ、この検証は極めて難しいとされてきた。それは大阪城一帯は国の特別史跡に指定されているためだ。それだけに発掘調査が難しく、当時の詳しい構造は図面や絵図で確認するしかなかった。今回同グループは細い金属の棒を地中に差し込んでその際の抵抗から地中の構造を推定する、スウェーデン式サウディング調査で、4年間かけて大坂城本丸のおよそ300地点を調べた。その結果、天守がある本丸の3段構造の石垣の一部や生活の場だった奥御殿と公務を行う表御殿をつなぐ橋とみられる跡などが確認できたという。
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