簡素な恭仁京・朝堂院南門 短期間での造営を裏付け

簡素な恭仁京・朝堂院南門  短期間での造営を裏付け

奈良時代に聖武天皇が造営した恭仁宮(くにきゅう、京都府木津川市)の朝堂院の南門は、掘っ立て柱を使った簡素な門だったことが12月3日、分かった。奈良時代の宮殿は、礎石の上に柱を据える工法が主体。ところが、南門跡は幅約15 ㍍のうち開閉部が約6㍍と当時では大規模だが、礎石の上に柱を据える工法は取られていなかった。聖武天皇が短期間に遷都を繰り返し、その一つが恭仁京だけに、京都府教育委員会では「短期間で建てられたことが裏付けられた」としている。恭仁京は740年、平城京から遷都したが、4年後に廃都となった。モデルとした平城京は何度も建て替えられており、府教委は平城京の初期の姿を研究するうえで貴重な発見だとしている。

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