藤原基俊
契りおきしさせもが露を命にて
あはれ今年の秋もいぬめり
【歌の背景】基俊の子の光覚が、毎年10月に興福寺で行われる維摩経を講ずる会の講師になりたいと願っていたのに幾度も選に漏れた。太政大臣藤原忠通に恨みごとを言うと、忠通は清水観音の歌と伝えられる「ただ頼めしめぢが原のさしも草われ世の中にあらむかぎりは(新古今集)」から引用して「しめぢが原だ。おれのいる限りは安心しろ」といった。ところが、また今年の選にも漏れた。そこで父、基俊がもぐさの産地である「しめぢが原」にかけて、「させもが露」と歌いこみ、違約をそれとなく忠通に訴えたもの。
【歌 意】あれほど堅くお約束してくださったお言葉を命とも頼み、待っておりましたのに、そのお約束は今年も叶えていただけず、秋も過ぎてしまうようです。
【作者のプロフィル】右大臣藤原俊家の子。御堂関白藤原道長の曾孫で名門だが、官位は低く従五位上左衛門佐に終わっている。出家して覚舜といい、近衛天皇の康治元年(1142)83歳で没。歌才・学才があり、源俊頼と歌の上で競った。伝統派の旗頭だったが、狭量で傲慢なところがあって、人望がなかったようだ。