滋賀県・水口岡山城の石垣に豊臣・徳川の抗争の跡

滋賀県・水口岡山城の石垣に豊臣・徳川の抗争の跡
 滋賀県甲賀市教育委員会は3月5日、豊臣秀吉の命令で築かれた水口岡山城(甲賀市)の石垣の城下町から見える側を、徳川幕府が徹底的に破壊していたと発表した。同市教委では、豊臣支配の終わりを世間に示す狙いがあったとしている。
 城は丘の上にあり、石垣の高さは8~9㍍と推定。城下町があった南側の発掘現場からは、長さ1㍍を超す石材が出土。威容を示すため意図的に巨石が使われたとみられる。一方、城の北側の石垣は一部が残っていた。水口岡山城は秀吉の重臣が1585年に築城。関ヶ原の戦いで当時の城主が西軍についたため攻められて開城。その後、幕府直轄地となり破壊された。

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