「本能寺の変」直後の柴田勝家直筆の書状 新潟県で見つかる
天下統一を目前にした織田信長が、家臣の明智光秀に討たれた「本能寺の変」。その8日後の天正10年6月10日、現在の福井市の居城にいた柴田勝家が、織田方の武将、溝口半左衛門に宛てて書いた直筆の書状が、新潟県新発田市で見つかった。新発田市の溝口家に残る歴史資料の中から見つかった。
文面には、光秀の討伐に出遅れた勝家が当時、京都から大坂に展開していた光秀の居場所を正確に把握できていなかったことがうかがえる内容が記されている。そのうえで、光秀が拠点としていた江州、現在の滋賀県にいるとみて、当時の大坂にいた織田方の重臣、丹羽長秀と連携して光秀を討伐する計画を明らかにしている。