「本能寺の変」後の光秀書状の原本発見 幕府再興を構想
三重大の藤田達生教授(日本近世史)らは、織田信長を討ち果たした明智光秀が、その「本能寺の変」の10日後に記した書状の原本を発見した。
この書状は光秀が室町幕府最後の十五代将軍、足利義昭による幕府再興を目指していたことを示す内容とされ、東京大学史料編纂所が明治22(1889)年に書状の写しを作成した後、原本は行方が分からなくなっていた。
今回見つかったのは光秀が天正10(1582)年6月12日、現在の和歌山市周辺を拠点にしていた紀州雑賀衆で反信長派のリーダー格の武将、土橋重治に宛てた密書の原本。信長により、京から追放されていた義昭の上洛に向け、その指示を受けた重治と協力するという内容が書かれている。
この密書の原本の大きさは縦11㌢、横56㌢。小さい書状をさらに細かく折りたたんでおり、使者が極秘資料として運んだことが分かるという。