『奇人・怪人伝』

シーボルト 長崎・鳴滝塾で西洋医学を教え、多くの俊秀を輩出


 シーボルトといえば長崎・鳴滝塾を開設し、日本各地から集まってきた多くの医者や学者に西洋医学(蘭学)教育を行い、ここから高野長英、二宮敬作、伊東玄朴、小関三英、伊藤圭介ら俊秀が育ち、後に日本を代表する医者や学者として活躍している。しかし、シーボルトがオランダ人ではなくドイツ人であることも、そしてその人となりや、そもそもの来日の目的については意外に知られていない。果たしてシーボルトとはどんな人物だったのか…。シーボルトの生没年は1796〜1866年。

 フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは神聖ローマ帝国がまだ存続していた当時のドイツの司教領ヴュルツブルク(現在のドイツ連邦バイエルン州)に生まれた。名前は標準ドイツ語読みではジーボルトだが、本人は自らを「シーボルト」と発言していた。シーボルト家はドイツ医学界の名門だった。父はヨハン・ゲオルク・クリストーフ・フォン・シーボルト、母はマリア・アポロニア・ヨゼファー。姓の前のフォンは貴族階級を意味し、祖父の代から貴族階級に登録された。シーボルト姓を名乗る親類の多くも中部ドイツの貴族階級で、学才に秀で医者や医学教授を多数輩出している。

 両親は二男一女をもうけるが、長男と長女は幼年に死去し、次男のフィリップだけが成人した。フィリップが1歳1カ月のとき父が亡くなり、母方の叔父に育てられた。1815年、ヴュルツブルク大学に入学したシーボルトは家系や親類の意見に従い、医学を学ぶことになる。大学在学中は解剖学の教授デリンガー家に寄寓し、医学をはじめ動物、植物、地理などを学んだ。

ただ彼は常に、自分が名門の出身という誇りと自尊心が高かったから卒業後、彼に町の医師で終わる道を選ばせなかった。彼は東洋研究を志し、1822年オランダのハーグへ赴き、国王ヴィレム1世の侍医から斡旋を受け、オランダ領インド陸軍病院の外科少佐となった。

 オランダ・ロッテルダムから出港し、喜望峰を経由して1823年4月にジャワ島へ、そして6月に来日。鎖国時代の日本の対外貿易の窓口だった長崎の出島のオランダ商館医となった。出島内において開業。1824年には出島外に鳴滝塾を開設し、日本各地から集まってきた多くの医者や学者に西洋医学(蘭学)を講義した。代表的な塾生に高野長英、二宮敬作、伊東玄朴、小関三英、伊藤圭介らがいる。塾生は後に医者や学者として活躍している。

 シーボルトは日本の文化を探索・研究した。また、特別に長崎の町で診察することを唯一許され、感謝された。1823年4月には162回目にあたるオランダ商館長(カピタン)の江戸参府に随行。この際、道中を利用して日本の自然を研究することに没頭した。地理や植生、気候や天文などを調査した。1826年には十一代将軍徳川家斉に謁見。江戸においても学者らと交友。蝦夷や樺太など北方探査を行った最上徳内や幕府天文方・書物奉行の高橋作左衛門景保らと交友した。その間、楠本瀧との間に娘、後に日本初の女医となる楠本いねをもうけている。

 1828年に帰国する際、収集品の中に幕府禁制の日本地図があったことから問題になり、シーボルトは1829年国外追放のうえ再渡航禁止の処分の処分を受けた。後に「シーボルト事件」と呼ばれ、高橋景保ら十数名処分され、高橋が獄死した(その後、死罪判決を受けている)不幸な事件だ。これはシーボルトからクルーゼンシュテルンによる最新の世界地図をもらう見返りとして、高橋が伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図」の縮図を贈ったとされるもの。当時この事件は間宮林蔵の密告によるものと信じられた。

 シーボルトは1858年(安政5年)の日蘭修好通商条約締結によって、追放処分が取り消され、翌年オランダ商事会社の顧問として再来日し、長崎で楠本瀧・いね母娘と再会、江戸幕府の外交にも参画した。1862年(文久2年)帰国、4年後ミュンヘンで亡くなった。

 ところで、シーボルトの来日の目的は何だったのか?プロイセン政府から日本の内情探索を命じられたからだとする説がある。オランダから何かの密命を受けていたのか?定かではない。ただ彼はオランダ政府の後援で日本研究をまとめ、集大成として日本および蝦夷南千島樺太、朝鮮琉球諸島などに関する記録集全7巻を刊行し、その名を世界に知らしめた。それにより、「日本学」の祖として名声が高まり、故国ドイツのボン大学にヨーロッパ最初の日本学教授として招かれている。なぜか、その招聘には応じていないが…。招聘されたことで、誇りと自尊心が満たされ、自分の人生の目的は達成されたと納得できたのかも知れない。

(参考資料)吉村昭「ふぉん・しいほるとの娘」、吉村昭「間宮林蔵」杉本苑子「埠頭の風」、司馬遼太郎・ドナルド・キーン対談「日本人と日本文化」
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