(偉人・賢人検定 伝統文化の先達編4)

Q1.歌舞伎、人形浄瑠璃の劇作家、近松門左衛門は1653年、松平昌親に仕える越前藩士、杉森信義と医者の家系岡本為竹法眼の娘、喜里の間に生まれた。近松が30歳ごろから座付作者として浄瑠璃の台本を執筆したが、その主宰者は誰?
  イ.鶴屋南北 ロ.竹本義太夫 ハ.片岡仁左衛門 ニ.河竹黙阿弥

Q2.近松(本名・杉森信盛)が初めて作者名として近松門左衛門と記載したのは竹本座上演の「佐々木大鑑」だが、それは彼が何歳のとき?
  イ.23歳  ロ.28歳  ハ.33歳  ニ.38歳

Q3.近松は若いとき、しばらく寺に身を寄せていたことがある。その経験が人形浄瑠璃の浄土教の思想が投影された「世話物」の作品に表れている。ではその寺とは次のうちどれ?
  イ.西教寺 ロ.石山寺 ハ.園城寺 ニ.近松寺(ごんしょうじ)

Q4.近松は歌舞伎の台本も執筆、活躍したが、その役者は誰?
  イ.坂田藤十郎 ロ.市川団十郎 ハ.尾上菊五郎 ニ.岩井半四郎 
 
Q5.近松は100作以上の浄瑠璃を書いたが、町人社会の義理や人情をテーマとした世話物はとくに近松作品の大きな特徴で、浄瑠璃の新しい分野として爆発的な人気を呼んだ。では近松は世話物の浄瑠璃作品をどれくらい残したか?
  イ.約15  ロ.約20  ハ.約30  ニ.約40

Q6.近松は17世紀後半、大坂で現実に起こった心中・情死事件を題材にして作品を書いた。近松によって日本の一つの文化的伝統にまでなった。では、治兵衛を中心にして、女房のおさんと遊女小春の互いの義理の張り合いが展開される、世話物の中でもとりわけ優れた作品といわれるのは?
  イ.曾根崎心中 ロ.冥土の飛脚 ハ.国姓爺合戦 ニ.心中天網島

Q7.近松が唱えた、「芸術とは虚構と現実の狭間にある…」という芸術論は何というか?
  イ.芸術進化論 ロ.情・実狭間論 ハ.虚実皮膜論 ニ.芸術皮膜論

Q8.日本で最初に文筆のみで自活した十返舎一九(本名重田貞一)は、武士の子として駿府(現在の静岡市)で出生。19歳のとき主に従って大坂へ移り、まもなく転身した。では彼はどうしたか?
  イ.武士をやめた       ロ.俳諧師になった 
ハ.医科を目指した      ニ.浮世絵師を目指した

Q9.一九は後年、大ベストセラー「東海道中膝栗毛」で有名な戯作者となるが、初期の彼は大坂では義太夫語りの家に寄宿し、志野流のこれを学んだ。それは何か?
  イ.華道  ロ.香道  ハ.浄瑠璃  ニ.狂言

Q10.一九はまた浄瑠璃「木下蔭狭間合戦」(このしたかげはざまがっせん)を合作したが、そのペンネームはどれ?
  イ.井原扇鶴 ロ.沢兵蔵 ハ.近松余七 ニ.山東京山

Q11.1794年、一九が30歳のとき江戸へ戻り通油町(現在の中央区日本橋大伝
馬町)の出版商の屋敷に寄宿して用紙の加工や挿絵描きなどを手伝った。彼が寄宿した有力出版商とは誰?
  イ.流行斎如圭 ロ.飯塚桃葉 ハ.谷素外 ニ.蔦屋重三郎

Q12.
1795年、一九はQ11に勧められて黄表紙「心学時計草」を出版し以降、生活のため20年以上にわたり毎年20部前後の新作を書き続けた。1802年、38歳のときに出した滑稽本が評判を呼び以後、21年間、続編を書き続け大流行作家となった。
  イ.浮世道中膝栗毛 ロ.浮世風呂 ハ.浮世床 ニ.傾城(けいせい)仏の原

Q13.式亭三馬(本名菊地久徳)は1776年出生。24歳のとき発表した作品で、モデルにした火消し人足とトラブルを起こし、手鎖の処分を受けた。その原因になった作品はどれ?
  イ.辰巳婦言 ロ.侠太平記向鉢巻(きゃんたいへいきむこうはちまき) 
ハ.船頭深話 ニ.彩入御伽草

Q14.三馬の本質は合巻や滑稽本にあり、これは合巻の先駆けとなった。その作品とは何?
  イ.平家女護島 ロ.出世景清 ハ.阿国御前化粧鏡 ニ.雷太郎強悪物語

Q15.三馬は数多くの号を使ったが、次のうち彼の号でなかったのはどれ?
  イ.本町庵 ロ.遊戯堂 ハ.蜀山人 ニ.四季山人

Q16.鶴屋南北は五世までいた。一般的に「鶴屋南北」といった場合四世を指す。四世と五世は狂言作者だった。一世から三世までは同じ職業に就いていたが、それは何
  イ.役者 ロ.浮世絵師 ハ.滑稽本作家 ニ.俳諧師

Q17.鶴屋南北・四世は1755年、江戸日本橋で出生。生来の芝居好きのため狂言作者を志して初代桜田治助の門に入り後、金井三笑に師事した。最初は桜田兵蔵と名乗ったが、後に認められ四世南北を襲名した。それは彼が何歳のとき?
  イ.49歳  ロ.56歳  ハ.61歳  ニ.67歳

Q18.四世南北は豊かで奇抜な着想とリアリズムに徹した脚本を多く書き、初代尾上松助と怪談物を、七代目市川團十郎、五代目尾上菊五郎、五代目岩井半四郎らと生世話物をそれぞれ確立した。次はいずれも彼の作品だが、違うのはどれ?
  イ.天竺徳兵衛韓噺(いこくばなし) 
ロ.於染久松色讀販(おそめひさまつうきなのよみうり) 
ハ.浮世風呂 
ニ.東海道四谷怪談

Q19.鈴木牧之(牧之は俳号)は1770年、越後国魚沼郡塩沢で地元名産の小千谷縮の仲買と質屋を営む「鈴木屋」の子として出生。19歳のとき初めて江戸に上り、雪を主題とした随筆で地元を紹介しようと決意。執筆した作品を出版するため1798年、彼が最初に依頼した作家は誰だったか?
  イ.曲亭馬琴 ロ.岡田玉山 ハ.鈴木芙蓉 ニ.山東京伝

Q20.牧之は様々な作家に出版を依頼するが、なかなか実現できず、ようやく山東京伝の弟、山東京山の協力を得て1837年「北越雪譜」初版3巻を刊行、好評を得た。続いて1842年にも4巻を刊行した。最初に依頼してから初版を刊行するまで要した期間は?
  イ.28年 ロ.39年 ハ.44年 ニ.49年
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