(偉人・賢人検定 蝦夷地・北方探検家 編)

Q1.最上徳内は1754年、出羽国楯岡村(現在の山形県村山市楯岡)の農家の子として出生。1781年江戸へ出府、1784年、師となるこの人物が主宰する音羽塾に入門。天文、測量、経済論など様々なことを学ぶ。この人物は誰?
イ.佐藤信淵 ロ.本多利明 ハ.佐久間象山 ニ.伊藤仁斎

Q2.1785年、師のQ1が蝦夷地調査団の東蝦夷地探検隊への随行を許されるが、師が病いのため徳内を代役に推薦。これにより徳内は釧路、厚岸、根室まで探索。地理やアイヌの生活・風俗などを調査。また、この時アイヌに案内されて下記のオホーツク海の島へも渡っている。該当しないのはどれ?
イ.千島列島 ロ.樺太 ハ.国後島 ニ.択捉島

Q3.徳内は8度にわたって蝦夷地上陸(探検)し、北方探検の功労者として賞賛される一方、同地で場所請負制などを行っていたこの藩には危険人物として警戒される存在だった。それは次のうちどれ?
イ.函館藩 ロ.弘前藩 ハ.松前藩 ニ.七戸藩

Q4.1786年、この十代将軍が死去すると、壮大な計画のもとに蝦夷地開発を推進していた老中・田沼意次が失脚。松平定信の治世となり夢の蝦夷地開発は中止された。この将軍とは誰?
イ.徳川家治 ロ.徳川吉宗 ハ.徳川家重 ニ.徳川家斉 
 
Q5.近藤重蔵は1771年、御先手組与力、近藤右膳守知の三男として江戸駒込で出生。幼児の頃から神童といわれ8歳で「四書五経」を諳んじ、若くして私塾「白山義学」を開くなど並々ならぬ学才の持ち主だった。では彼が私塾を開いたのは何歳のとき?
イ.14歳  ロ.17歳  ハ.21歳  ニ.25歳

Q6.
1798年、重蔵は松前蝦夷地御用取扱となり、4度蝦夷地へ赴き、最上徳内と千島列島、択捉島を探検。同地に木柱を立てたことで知られるが、その文言は次のうちどれ?
イ.大日本蝦夷地支所    ロ.大日本蝦夷地択捉分署 
ハ.大日本恵土呂府     ニ.大日本奥蝦夷地支所

Q7.重蔵は松前奉行設置にも貢献、蝦夷地調査、開拓に従事し、この貿易商人に国後から択捉間の航路を調査させた。では北前船で隆盛を誇ったこの商人とは誰?
イ.村山伝兵衛 ロ.銭屋五兵衛 ハ.山本理右衛門 ニ.高田屋嘉兵衛

Q8.1807年、重蔵は5度目の蝦夷入りし、利尻島や現在の札幌市周辺を探索。江戸へ帰り、将軍に謁見を許された。その際、札幌地域の重要性を説き、その後の札幌発展の先鞭を開いた。では彼を謁見した将軍とは誰?
イ.徳川家斉 ロ.徳川家慶 ハ.徳川家治 ニ.徳川家重

Q9.重蔵は自信過剰で豪胆な性格が見咎められ、1819年大坂勤番弓矢奉行に左遷。1826年、長男の近藤富蔵が町民を殺害して八丈島に流罪となり、重蔵も連座して近江国大溝藩に預けられる不遇をかこった。ただ、「清俗紀文」「安南紀略」など生涯に数多くの著作を残した。それは60余種何巻ぐらいに上ったか?
イ.900余巻 ロ.1200余巻 ハ.1500余巻 ニ.2000余巻

Q10.間宮林蔵は1780年、常陸国筑波郡上平柳村(現在の茨城県つくばみらい市)の農民の子として出生。1799年、彼は南千島に派遣され、同地にきていたこの人に測量技術を学び、1803年西蝦夷地を測量した。彼に本格的に測量技術を教えた、全国地図作成のため測量の旅を繰り返した人物は誰?
イ.松浦武四郎 ロ.伊能忠敬 ハ.最上徳内 ニ.近藤重蔵

Q11.林蔵はQ10の人物に学んだ測量技術を十分に活用し、蝦夷地の内陸部を苦労して踏査。実地測量して作成された地図を彼は何と名付けたか?
イ.蝦夷詳細図 ロ.蝦夷山川地理図 ハ.蝦夷地形図 ニ.蝦夷全図

Q12.樺太が島であることを確認した林蔵の功績は「間宮海峡」としてその名を残しているが、この海峡の存在はこの人物によって欧州に伝えられた。この人が日本地図をオランダへ持ち出そうとしたのを、皮肉にも林蔵が告発した形になったのだが、この人とは誰?
イ.シーボルト ロ.シドッチ ハ.ザビエル ニ.マルコポーロ

Q13.Q12の事件で捕らえられた、伊能忠敬の上司でもあった天文方兼書物奉行は誰?
イ.堀織部正利煕       ロ.津田半十郎 
ハ.高橋作左衛門景保     ニ.江川太郎左衛門

Q14.林蔵は蝦夷地および北方探検家の他に、幕府の別の職責を担っていたと伝えられている。それは次のうちどれ?
イ.寺社見回り役 ロ.公儀隠密 ハ.八洲見回り役 ニ.庭方役

Q15.1869年、開拓判官となり、蝦夷地を「北海道」と命名したのは次のうち誰?
イ.最上徳内 ロ.近藤重蔵 ハ.間宮林蔵 ニ.松浦武四郎

Q16.松浦武四郎は1818年、伊勢国一志郡須川村(現在の三重県松坂市小野江町)で郷士の四男として出生。山本亡羊に本草学を学び、早くから諸国を巡った。20歳で彼は常人とは異なる道を選んだが、それは次のうちどれ?
イ.仏師の修行に入った   ロ.浮世絵師を目指した 
ハ.僧となった       ニ.浮世草子の作家を目指した

Q17.1855年、武四郎は蝦夷地御用御雇に抜擢され、再び蝦夷地を踏査。この成果として彼はこれを出版した。それは次のうちどれ?
イ.東西蝦夷山川地理取調図   ロ.全蝦夷見取図 
ハ.蝦夷地理取調図       ニ.蝦夷地理全図

Q18.アイヌや北海道を心から愛した武四郎が後年、雅号として使ったのは次のうちどれ?
イ.蝦夷粋人 ロ.北海道庵 ハ.蝦夷庵人 ニ.北海道人

Q19.武四郎の蝦夷地探検は計6回に及んでいる。これにより踏破された地域は蝦夷地の海岸線のみならず道央、手塩・道南、道北、道東、日高の内陸部まで及んでいる。この探検の様子を著した作品は次のうちどれ?
イ.入北記 ロ.三航蝦夷日誌 ハ.蝦夷島奇観 ニ.北海随筆

Q20.蝦夷地に関してまとめられた記述の古いものとしては、1720年、諸人からの聞き取りによるものだが、新井白石が著した作品がある。それは次のうちどれ?
イ.蝦夷草紙 ロ.北海随筆 ハ.蝦夷志 ニ.入北記

歴史くらぶ 歴史くらぶ 歴史くらぶ 歴史くらぶ 歴史くらぶ 歴史くらぶ 歴史くらぶ 歴史くらぶ 歴史くらぶ 歴史くらぶ 歴史くらぶ 歴史検定 歴史検定 歴史検定 歴史検定