『英傑・名将の知られざる実像』

前田利家 壮語せず篤実な姿勢が好感され、大藩の基礎作りに貢献


 加賀藩の藩祖・前田利家は織田信長、豊臣秀吉に仕え、徳川の世に、全国で最大の120万石を領有する大藩の基礎をつくった人物だ。加賀藩の華麗さは今日もよく知られている。100万石以上もの大名第一等の大封を持ちながら、幕府への遠慮から、殊更に武の印象を抑え、学問と美術工芸を奨励した。このため藩都の金沢は、小京都といっていいほどに優美だった。

 前田利家は、尾張愛智郡荒子村で土豪の前田縫殿助(ぬいのすけ)利春(利昌ともいう)の四男として生まれた。幼名は犬千代。通称は又左衛門、又左、又四郎、孫四郎、越中少将。渾名は槍の又左衛門、槍の又左。利家の生没年は1537(天文6)〜1599年(慶長4年)。

 利家が生まれたのは、まさに戦国時代の真っ只中だ。このとき武田信玄18歳、上杉謙信9歳、織田信長5歳、そして徳川家康は4年後に生まれている。天下平定の覇気に燃える武将の中で尾張一円を勢力下に置き、まず頭角を現すのが織田信長だが、この信長の配下に属し、その勢力圏内で、荒子一帯を領していたのが前田利春だった。

 若い頃の利家は負けん気でやんちゃ、ことに信長に仕え始めたころは“かぶき者”で、周囲のひんしゅくを買う青年だった。こうした若い頃の無軌道ぶりや挫折が、中年以後の利家の器の大きさをもたらしたといえよう。利家は信長の父・信秀の死後、起こった「尾張海津の戦い」が信長配下としての初陣だ。この戦いで活躍した後、信長の伯父・津田孫三郎信家を烏帽子親として元服。犬千代から孫四郎利家と名乗ることになった。その後、1556年(弘治2年)、「尾張稲生(いのう)の合戦」に参戦。この戦いは、信長の弟・信行を擁した林美作守の反乱だったが、ここでも戦功を挙げ、利家は100貫の加増を受け150貫(石高にすると357石)の禄高となった。またこの合戦の後、利家の上手なとりなしで柴田勝家が信長の配下となった。

 ところで、利家はその生涯で二度、大きな挫折を味わっている。最初の挫折は1559年(永禄2年)、信長の同朋衆・拾阿弥を斬り、信長の勘気に触れ追放されたのだ。この後、変転目まぐるしい戦国の最中、2年もの間、主を持たない浪々の時期を過ごしている。そして「美濃森部の戦い」の功により晴れて帰参。「赤母衣(あかほろ)衆」に取り立てられ、300貫加増された。赤母衣衆とは指揮班の将校にあたる。

 1582年、主君・織田信長が京都・本能寺で明智光秀に討たれると、利家は初め柴田勝家に付くが、後に秀吉に臣従。豊臣家の宿老として秀吉の天下平定事業に従軍し、秀吉より加賀・越中を与えられ、加賀百万石の礎を築いた。1598年(慶長3年)には秀吉から徳川家康と並び、豊臣政権の五大老の一人に、また秀頼の傅役(後見人)に任じられた。秀吉がいま少し長寿であれば、まだ平穏な時が続くはずだった。

 ところが、同じ1598年(慶長3年)、五大老・五奉行など豊臣政権の行く末を定めた数カ月後、その要の秀吉が亡くなると時の流れは一気に加速。徳川家康に付く福島正則らの武断派と、石田三成らの文治派の対立が顕在化、事態は激しさを増していく。この争いに利家は加わらず、仲裁役として懸命に働き、覇権奪取のため横行する徳川家康の牽制に尽力する。
しかし、利家には傅役を全うする時間はもう残されてはいなかった。秀吉の死後、わずか8カ月後、病没した。

俗に“加賀百万石”と呼ばれ、大名のトップとしての権勢を誇った前田家は、菅原道真の後裔ということになっている。この菅原道真と戦国大名の前田と、どこに接点があるかといえば、配流された筑紫(九州)で生まれた子供の一人が前田氏の先祖となり、その一族が尾張愛智郡荒子村(現在の名古屋市中川区荒子町)に住みつき、前田姓を名乗ったという。

さらに、前田家にとって運が良かったことは利家が「関ケ原の戦い」(1600年)の前年に亡くなったことだ。前田家として、豊臣恩顧は利家までで、子の代になると、その点が身軽になった。秀吉の死後、豊臣家は石田三成派と徳川家康派に分裂したが、前田家はこの内紛に直に引き込まれずに済んだ。

 家禄を含め前田家を守るに際しては、利家の未亡人、芳春院(まつ)の果たした役割が大きい。頑固であまり融通の利かない利家とは違い、なかなかな政略家だった。彼女は若い頃からの友達だった秀吉の未亡人、高台院(北政所=ねね)と語り合い、徳川家康方に加担。お家取り潰しや改易を狙う徳川方からの挑発には一切乗らず、前田家(利家の晩年の石高、83万5000石)を守るべく、彼女は自ら江戸へ赴き、人質になった。徳川方にとっては想定外の離れ業だったに違いない。

(参考資料)酒井美意子「加賀百万石物語」、司馬遼太郎「街道をゆく37」、司馬遼太郎「豊臣家の人々」
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