歴史に見る人口変動
日本が人口減少社会に入るのは4度目
日本の人口が長期にわたって増えた時期は4回ある。
1. 縄文時代前半
2. 弥生時代から平安時代
3. 室町時代から江戸時代前期
4. 幕末から21世紀初頭
逆に人口が減った時期は
1. 縄文時代後半
2. 鎌倉時代
3. 江戸時代中・後期
4. 現在(2005年以降)
 *21世紀末には5000万人を切るとの予測もある


有史以来の日本の人口の変化
 歴史人口学の研究者、鬼頭宏氏の推計によると、縄文時代の人口は約10万人〜約26万人であり、弥生時代は約60万人だった。奈良時代は約450万人、平安時代(900年)には約550万人となり、慶長時代(1600年=関ケ原の合戦のころ)には約1220万人となった。
そして、江戸時代には17世紀に人口が増加し、18世紀には停滞して、3100万人から3300万人台で推移した。ちなみに、最盛期の江戸の人口は100万人といわれたが、このうち50万人が武士だった。そのころ大坂の人口は60万〜70万人で、江戸とは全く異なり、武士は諸藩の特産の商いをする蔵役人を除けば、東西両町奉行所の与力同心がざっと200人程度いただけだった。


明治以降の日本の人口の変化
 明治時代の人口推計によると、1872年(明治5年)の日本の総人口は3480万人だった。1904年(明治37年)には4613万人となった。それが1912年(明治45年)には5000万人を超え、1936年(昭和11年)には明治初期のほぼ2倍の6925万人となった。人口増加率は毎年平均して1%を超えていた。この背景には明治以降の農業生産力の増大、工業化による経済発展に伴う国民の所得水準の向上と生活の安定、保健・医療などの公衆衛生水準の向上などの要因が挙げられる。
 第二次世界大戦による経済社会の混乱を経て、1947年(昭和22年)から1949年(昭和24年)の第一次ベビーブーム期を迎えた。人口増加率は2%を超え、1948年(昭和23年)には総人口は8000万人を超えたが、さらにその8年後の1956年(昭和31年)には早くも9000万人を超えた。
日本の人口が1億人を超えたのは明治元年(1868年)以来100年目となる1967年(昭和42年)のことだ。当時、世界の国々の中で、人口が1億人を超えたのは中国、インド、アメリカ、ソ連(当時)、インドネシア、パキスタン(分離独立前のバングラデシュを含む)に次いで7番目だった。明治以降の近代日本の歴史は、100年間に総人口が3倍になるという人口拡大期だったのだ。
 さらに、1971年(昭和46年)から1974年(昭和49年)には、第一次ベビーブーム期の世代が結婚、出産期を迎えたことにより、第二次ベビーブーム期を迎えた。その後も人口は増大を続け、2003年(平成15年)10月時点で、1億2760万人と過去最高の人口となった。
 しかし、その後は「少子高齢化」の進行に伴い、人口増加率は1986年(昭和61年)から0.5%を割り込む低率となり、2003年(平成15年)では対前年比0.10%増と戦後最低の伸び率となっている。そして、その後は傾向として、有史以来初めて総人口が減少する「人口減少社会」に突入している。


人口増加・減少の要因
 縄文時代前半に人口が増えたのは、このころ気温が上昇、日本列島に食料資源がふんだんに用意されたからだ。縄文人はクリなどの木の実やサケ、マスなどの魚類を食べた。ところが、縄文時代中期から気温が下がり始め、落葉樹林の生産力が落ちる一方、西日本では照葉樹林が広がった。これが食料を減らし、人口を減少させる原因になった。縄文時代の人口はピーク時26万人だったが、末期には8万人にまで減少したとみられている。
 弥生時代に入ると再び増加に転じ、約60万人になる。大陸からの渡来人が持ち込んだ稲作の普及が主な原因だ。渡来人自体が人口増に貢献するとともに、稲作により食料が確保され、大量の労働力が必要になったことが増加の圧力になった。
 人口の分布も大きく変わった。縄文時代は東日本の方が圧倒的に人口が多かったが、稲作の普及で逆転、西日本の人口が増えた。以後、近代まで東西互角の時代が続く。


人口増加・減少時期に共通する特徴

 人口増、人口減の時代にはそれぞれ共通の特徴がある。増加した時代、弥生時代から奈良時代は稲作のほか、漢字、仏教、律令制度など大陸文明が次々に導入された時期にあたる。日本の人口が1000万人を超えるのは室町時代だが、この時代に市場経済が広がり、都市の組織、村落のコミュニティー、祭り、衣食住の文化など日本人の伝統となるものが築かれた。幕末から明治時代は欧米に学んだ文明開化の時代だ。
 一方、人口が減少する時代は文明が成熟する時期だ。縄文時代後期は高度な狩猟採集社会だった。平安時代から鎌倉時代にかけて人口は減少に転じるが、平安時代は世界的に評価が高い『源氏物語』を生むなど国風文化が花開き、爛熟した。江戸時代中・後期も町人文化が成熟した時代といっていい。人口停滞期と文明成熟期は重なる。


人口減少以上に人口再配置が課題
 幕末に約3200万人だった日本の人口は、明治時代以降一貫して増え続けたが、2005年に減少に転じた。近代の日本の人口は増え続けていたため、早くから人口過剰論が唱えられ、21世紀に入っても直後は減少が問題になることはなかった。現実に石油危機直後の1974年の人口白書は、人口抑制をはっきりと打ち出している。
 少子化は世界的な現象だ。先進国だけでなく、途上国でも新興国は出生率が低下している。心配されるのは人口減そのものより、それに伴う人口の再配置の問題だ。例えば今のままだと日本の農村は消滅するだろう。どういう都市や農村をつくるか、土地利用をどうするか、そこが大事だ。
 歴史を振り返ると、文明の成熟期は次の新しい文明システムの種をつくる時期でもあった。人口停滞期・減少期のいま、その好機にすべきだ。
(参考資料)鬼頭宏「人口から読む日本の歴史」、司馬遼太郎「歴史の中の日本」

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