十返舎一九 直筆の礼状 長野・安曇野市で見つかる

十返舎一九 直筆の礼状 長野・安曇野市で見つかる

長野県安曇野市教育委員会によると、江戸時代、弥次さん喜多さんの珍道中を描いた作品「東海道中膝栗毛」で知られる作者、十返舎一九(1765~1831年)が知人に宛てた自筆とみられる書状が見つかった。
1814年ごろ、一九は安曇野市を訪れ、「東海道中膝栗毛」の続編の執筆に向けた取材をしていた。書状は宿泊場所を提供した藤森家当主の善兵衛に宛てたもので、世話になった感謝の思いが綴られている。書状には、ペンネームの十返舎ではなく、本姓を用いた「重田一九」と署名が入り、「御馳走に相成り誠にもって御礼筆紙に申し尽くし難く候」などと記されている。

京都・南座の大入り願い勘亭流「まねき書き」公開

京都・南座の大入り願い勘亭流「まねき書き」公開

京都・南座の歳末の風物詩「吉例顔見世(きちれいかおみせ)興行」を前に出演する歌舞伎役者の名を看板いっぱいに書き込む「まねき書き」が11月10日、京都市左京区の妙伝寺で報道陣に公開された。
太く丸みを帯びた「勘亭(かんてい)流」と呼ばれる独特の書体で「劇場に隙間なく客が入るように」と大入りへの願いを込めている。看板は11月25日の「まねき上げ」で、南座正面に掲げられる。

奈良・宗祐寺で「中尊寺経」の一部見つかる

奈良・宗祐寺で「中尊寺経」の一部見つかる

奈良県宇陀市の宗祐寺(そうゆうじ)は11月9日、金銀で書写した経典の断片が見つかり、栄華を極めた奥州藤原氏が12世紀に中尊寺(岩手県)に奉納した「中尊寺経」の一部とみられると発表した。油紙に金字と銀字で1行ずつ交互に書かれ計19行あった。同寺が1888年に入手した記録はが残っているが、出所は不詳。
中尊寺経は現在、高野山などに伝わり、国宝や重要文化財にもなっている。

色づき始めた奈良・談山神社境内で「けまり祭」

色づき始めた奈良・談山神社境内で「けまり祭」

奈良県桜井市の談山神社で11月3日、恒例の「けまり祭」が開かれた。木々が紅や黄に色づき始めた境内で行われ、参拝者らを楽しませた。烏帽子に鞠水干(まりすいかん)と呼ばれる上衣姿の保存会の人たちが8人グループになり、鹿の皮でできたまりを蹴りながら、落とさずにパスが続くと参拝者から歓声が沸いていた。
けまり祭は、神社が祀る藤原(当時は中臣)鎌足が、中大兄皇子(後の天智天皇)と蹴鞠会(けまりえ)で出会ったという故事にちなみ、毎年春と秋に開催されている。

はねのある字体の珍しい「和同開珎」長岡京で発見

はねのある字体の珍しい「和同開珎」長岡京で発見

桓武天皇が造営した長岡京(784~794年、京都府長岡京市など)跡から字体にはねのある珍しい「和同開珎(わどうかいちん)」が3枚見つかり、同市埋蔵文化財センターが11月2日までに発表した。出土したのは「和同開珎」の4字すべてにはねがある2枚と、「和同珎」の3字にはねがある1枚。
字体にはねのある和同開珎は長岡京市以外で石川、滋賀、奈良の3県でしか見つかっておらず、全国で数十枚しかないという。

与謝野晶子 病床の最晩年の草稿見つかる 推敲の跡

与謝野晶子  病床の最晩年の草稿見つかる  推敲の跡

歌人の与謝野晶子(1878~1942年)が亡くなる直前、病床で書き付けた短歌の草稿ノートが、東京都内の親戚宅で見つかった。かすれて乱れた鉛筆書きで、与謝野晶子記念館(大阪府堺市)では「病床にあっても、最期まで創作を続けた晶子の熱情がうかがえる」としている。
ノートは晶子のひ孫が都内の自宅の納戸で見つけ、2014年秋、同記念館に調査を依頼していた。ノートには晶子の絶筆とされる歌掛け軸「連峯の雲」(堺市博物館蔵)の歌の草稿もあった。雲が山々に映える箱根・十国峠の風景を詠んだ歌で、推敲を重ねた跡があった。