国産翡翠を初めて確認 77年前の画期的発見に”光”あてる
日本人に古から親しまれてきた緑の宝石、翡翠(ひすい)がこのほど、日本鉱物科学会の「日本の石(国石)」に選ばれた。今から77年前の1939年、国内で翡翠が採れることを突き止めたのは東北帝大(現東北大)の若き研究者、河野義礼(かわのよしのり)さん(1904~2000年)だ。
「埋もれた画期的な発見に光をあてたい」。地道に研究を重ねた鉱物学者の業績を紹介しようと、関係者はいま年内の企画展開催に向け準備中だ。
古代社会、縄文、弥生、古墳時代にかけて周知のとおり、翡翠は勾玉(まがたま)などの宝飾品として珍重され、各地の遺跡から出土している。しかし、昭和初期までは国内の産地が見つかっておらず、遺跡群から出土する翡翠はいずれもシルクロードや、中国、朝鮮半島からなど大陸から持ち込まれたものと考えられていた。
学会で支配的だったこうした説を覆したのが、東北帝大理学部助手だった河野さんだ。当時30代半ばの河野さんは新潟県糸魚川市で見つかった緑色鉱物の鑑定を依頼され、化学分析で翡翠と特定した。現地も調査し、国内で翡翠が算出することを初めて確認したという。
国内の翡翠産地発見は当時、日中戦争の混乱下であまり注目されなかったが、考古学史を塗り替えるほどインパクトのある出来事だった。
企画展は主催、会場いずれも東北大総合学術博物館。翡翠をはじめ宮城県にゆかりのある鉱物や化石を展示し、河野さんの業績を広く紹介する予定。
翡翠は国内では鳥取県、岡山県などでも算出され、海外ではミャンマーや中米が産地として有名。