古代の幹線道路「中ツ道」の路面の遺構発見 藤原京跡北で
奈良県立橿原市考古学研究所は5月11日、奈良盆地を南北に縦断していた古代の幹線道路の一つ「中ツ道」の路面の遺構が、奈良県天理市喜殿町で見つかったと発表した。場所は藤原京跡(奈良県橿原市)の北端から北約10㌔の地点。中ツ道の路面の遺構が見つかるは初めて。粘土質の地面を平らにならした上に、土を混ぜて硬くした砂が約10㌢敷き詰められ、古代の「国道」の舗装状況も分かるという。
中ツ道は道路部分の幅が約23㍍と推定され、両側に側溝があったとされる。橿原研の2012年度の調査では、今回の発掘現場南で、中ツ道東側側溝の一部が出土していた。新たに見つかったのは道路部分の東端一部(南北約15㍍、最大幅3㍍)で、それに沿うように側溝(幅約2.2㍍、深さ約70㌢)も確認された。
古代の幹線道路は7世紀ごろ造営されたとみられ、『日本書紀』の壬申の乱(672年)の記述で登場する。上ツ道、中ツ道、下ツ道の3本が約2.1㌔間隔で並行し、藤原京と平城京を結んでいたとみられる。