初代竹本義太夫「三百回忌法要」寄付2500万円が支えに 文楽の語り芸「義太夫節」を創始した初代、竹本義太夫(1651~1714年)の「三百回忌法要」が8月28日、大阪市天王寺区内で営まれた。墓石や供養塔は一部が剥落するなど損傷が激しかったが、自主公演売り上げのほか、文楽の技芸員(演者)や来場者の寄付で約2500万円を集め、新調したり、修復したりすることができた。
法要は技芸員有志でつくる「人形浄瑠璃文楽座 因講(ちなみこう)」が主催し、午前11時から超願寺(天王寺区)で始まった。集まった寄付で新調された墓石も公開された。
竹本義太夫は江戸時代の義太夫節の開祖。摂津国・天王寺村(現在の大阪市)出身。農家に生まれたが、音曲を修業し、清水(きよみず)理太夫の名で、古浄瑠璃界で頭角を現し1684年、竹本義太夫と改名、道頓堀に竹本座を興した。近松門左衛門を座付き作家に迎え、「出世景清(しゅっせかげきよ)」「国性爺(こくせんや)合戦」などヒット作を連発。人形操りと合体し、今日の文楽につながる人形浄瑠璃発展の主導的役割を果たした。