太古の地球寒冷化は磁場の弱まりが影響 立命・神戸大G

太古の地球寒冷化は磁場の弱まりが影響 立命・神戸大G

立命館大学や神戸大学などの研究グループはこのほど、78万年前と107万年前に地球の寒冷化が進んだのは、地球の磁場が弱まり、降り注ぐ宇宙線が増えた影響だとする研究結果を英科学誌サイエンティフィックリポーツに発表した。
グループは、大阪湾の海底を掘削して採取された試料を分析した。その結果、現在の2倍の宇宙線が降り注いだとされる78万年前と107年前の堆積物い含まれる花粉の化石の種類から当時の植生を推定「。植生が似た場所の現在の気象データから当時の平均気温や降水量を推定した。

キトラ古墳壁画「玄武」1/22から公開 奈良・明日香村

キトラ古墳壁画「玄武」1/22から公開 奈良・明日香村

奈良県明日香村のキトラ古墳(特別史跡、7世紀末~8世紀初め)の極彩色壁画「玄武(げんぶ)」が1月22日から2月19日まで、村内の「キトラ古墳壁画体験館 四神(しじん)の館」で一般公開される。
2016年9月末いオープンした四神の館での公開は「天文図」「朱雀(すざく)」「白虎(びゃっこ)」に続いて2回目。今回は玄武のほか、獣頭人身の十二支のうち「子(ね)」「丑(うし)」なども見ることができる。定員は各日約700人。無料。事前申し込みが必要。

世界文化・自然遺産登録に向け正式推薦書の提出決定

世界文化・自然遺産登録に向け正式推薦書の提出決定

政府は1月19日、2018年の世界遺産登録に向けた関係省庁の会議で、文化遺産と自然遺産の正式な推薦書を、閣議了解を経てユネスコ(国連教育科学文化機関)へ提出することを決めた。推薦書は2月1日までに提出する。
両遺産とも、ユネスコの諮問機関の助言で名称を改めた。文化遺産登録を目指すのは、以前は「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」だったが、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本両県)、自然遺産は「奄美・琉球」だったが、「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」(鹿児島、沖縄両県)に変更された。

「千葉時代」誕生に期待 地質年代名で日伊が攻防

「千葉時代」誕生に期待 地質年代名で日伊が攻防

地球の歴史を刻む地質年代に、初めて日本の名称が付くのか注目が集まっている。地球の磁気が逆転した数十万年前の年代名について、日本は千葉県に由来する「チバニアン」(千葉時代)を提唱しているが、命名を争うイタリアとの攻防が激化しているもの。
地球の誕生から現在までの約46億年を時代ごとに区切ったのが地質年代だ。地球の磁気や生物、気候などの変化を基に古生代、中生代、新生代などの大きな年代や、さらに細かい年代が決められている。
ただ、まだ名前がない年代もある。長期にわたり支配した恐竜が絶滅した後、哺乳類が繁栄した新生代のうち、約77万~12万6000年前の「第四紀中期更新世」がその一つ。この名称をめぐって日本とイタリアが激しく争っている。
日本は千葉県市原市の地層を基準地にチバニアンの名称を提唱。イタリアは南部2カ所の地層を提案し、いずれも地中海のイオニア海に由来する「イオニアン」の命名を目指す。
国際地質連合は5月末に申請を締め切り、作業部会で数カ月後に最有力地を決め2018年にも正式決定する。基準地の地層はその年代を示す国際標準の役割を持つ。このため①海で連続的に積もった安定した地層②当時の環境か詳しく分かる③地磁気の逆転が分かる-などの条件を満たすことが望ましい。
日本が当初イタリアより優勢だったのは、地磁気の逆転を示す明確なデータがあるからだ。これに対し、イタリアも地層に含まれる放射性元素の分析でその変化を捉え、巻き返している。この結果、現時点では勝敗の行方は五分五分という。チバニアンに決まれば、地球史の中での日本列島の重要性が再評価されることになるのだが…。

アイヌ木綿衣 世界最古級の可能性 ロシア所蔵品と酷似

アイヌ木綿衣 世界最古級の可能性 ロシア所蔵品と酷似

北海道釧路市立博物館所蔵のアイヌ民族の木綿衣(もめんい)が世界最古級の可能性が高まっている。現存する世界最古の木綿衣とされるロシア科学アカデミー・ピョートル大帝記念人類学民族学博物館(通称クンストカメラ)が所蔵する2点と見た目も縫製技法も酷似しており、研究者は同じ時期に北海道でつくられたものとみている。
この木綿衣は丈128㌢、両袖を広げた幅は136㌢。前部と背部に独特のアイヌ模様が施され、虻田地域(胆振西部、後志南部)で制作されたものとみられている。
国立民族学博物館の佐々木史郎教授が代表を務める研究チームによる調査が3月に終了後、早ければ5月にも一般公開される予定。

坂本龍馬 暗殺5日前の書状に「新国家」の文字

坂本龍馬 暗殺5日前の書状に「新国家」の文字

明治維新の関連資料からこのほど、幕末の志士、坂本龍馬が暗殺される5日前に書いたとみられる新政府の人事に関連する書状が新たに見つかった。
この書状に、これまで知られている龍馬の書状には見られない「新国家」という文字が記され、専門家は「(龍馬は)暗殺される直前まで『新国家』建設のため、邁進していたことが分かる貴重な発見」としている。
縦16㌢、横93㌢ほどの細長い和紙に毛筆で文字が記され、坂本龍馬の研究を行っている京都国立博物館の宮川禎一上席研究員らが鑑定して、筆跡や内容から龍馬の直筆で間違いないと判断した。
鑑定によると、書状は大政奉還の後、新政府の設立を急いでいた龍馬が京都で暗殺される5日前にあたる西暦1867年、慶応3年の11月10日に、越前・福井藩の重臣、中根雪江に宛てて書かれたものだという。
この中で龍馬は以前から親交があり、新政府の財政担当として適任だと考えていた福井藩士・三岡八郎(後の由利公正)が、京都に来て仕事ができるよう藩内の手続きを依頼するとともに、三岡が来るのが1日遅れれば、その分「新国家」の財政の成立が遅れてしまうと訴えている。
龍馬が「新国家」という言葉を使っているのが確認されたのはこれが初めて。龍馬が非業の死を遂げてから150年の今年、また一つ興味深い新たな事実が明らかになった。