弥生時代中期の土偶出土 目鼻、耳の穴も原形とどめる

弥生時代中期の土偶出土 目鼻、耳の穴も原形とどめる

大阪府文化財センターによると、大阪府茨木市の郡(こおり)・倍賀(へか)遺跡で弥生時代中期とみられる人形土製品(ひとがたどせいひん)1点が見つかった。人をかたどった土偶の人形土製品は、弥生中期のものとしては府内では初めてで、ほぼ原形をとどめて出土したのも珍しいという。
今回の発掘調査で、140基を超す墓跡「方形周溝墓」とともに見つかったもので、高さ5.9㌢、胴幅3㌢で、球形の頭部と底が平らな円筒形の胴体部でできている。目鼻だけでなく、耳の穴まである精巧なものという。このほか、碧玉(へきぎょく)製とみられる装身具の管玉(くだだま)3点も見つかっている。

大阪・茨木市で弥生時代の大規模墓跡140基発見

大阪・茨木市で弥生時代の大規模墓跡140基発見

大阪府文化財センターは1月26日、大阪府茨木市の郡(こおり)遺跡・倍賀(へか)遺跡で発掘調査の結果、集落の部分とは別の部分に大小140もの墓の跡が集まっているのが見つかったと発表した。
弥生時代中期のものとみられ、大きなものは縦12㍍、横18㍍、小さなものは約3㍍四方で、様々な大きさの墓跡が混在していた。これらは「方形周溝墓」という形で、周囲が溝で囲まれた墓。弥生時代の状態の良い墓の跡がこれほど多く見つかるのは珍しい。
同センターは「大阪北部の拠点だったとみられる大規模な村」と推定。大阪大学の福永伸哉教授は「墓数が多く、国内有数の規模だ。墓の規模にばらつきがあり、少し階層的な関係が芽生え始めていたことが分かり、集団の内部構造を知る重要な手掛かりになる」と話している。
今回2016年6月以降、約1万6500平方㍍を発掘調査したところ、ほぼ全域で140基以上の墓跡が確認された。
また、これらの墓跡群のすぐ東で22棟分の竪穴建物跡や装身具の管玉、人の歯、人の顔を表現した約6㌢の人形土製品なども見つかった。

淡路・舟木遺跡で大型鉄器工房跡 国内最大級か

淡路・舟木遺跡で大型鉄器工房跡 国内最大級か

兵庫県淡路市教育委員会は1月25日、弥生時代後期の舟木遺跡(淡路市舟木)から大型の鉄器工房跡を確認したと発表した。遺跡中心部から鉄製品57点と工房を含む竪穴建物跡4棟が見つかった。
同市教委は、同遺跡全体の鉄器工房の規模が、南西約6㌔にある国内最大級の鉄器生産集落で国史跡の五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡(淡路市黒谷)をしのぐ可能性があるとしている。
舟木遺跡は約40㌶の大規模な山間地集落遺跡。これまでに約5700平方㍍を調査し、弥生時代後期の竪穴建物跡10棟や土器、中国鏡の破片が出土しているが、鉄器工房は確認されていなかった。
今回出土した鉄製品の明確な使途は分かっていないが、鍛冶に関連したものと、工具とみられる針状のものなどがある。鉄の加工に使った台石や砥石など石製工具42点や祭事用と考えられる弥生時代終末期(3世紀初頭)の土器も出土した。
同市教委は、建物跡は鉄器生産工房と、鉄工具を使用した何らかの生産工房で、大規模な工房群の存在も想定できるとみている。

川端康成邸で文豪らの直筆の書簡や絵画、大量に発見

川端康成邸で文豪らの直筆の書簡や絵画、大量に発見

神奈川県鎌倉市のノーベル賞作家の川端康成(1899~1972年)の自宅で、夏目漱石や北原白秋、林芙美子、横光利一、田山花袋ら著名作家の直筆の書や書簡などが大量に見つかった。
書や書簡、絵画など70点以上に上った。このうち書は52点。漱石の五言絶句、田山花袋の七絶詩、北原白秋の自作歌など、川端より前世代の文豪ほか、生前交流のあった同世代の作家らの書もあった。
川端邸の遺品を整理していた川端康成記念会が昨年末、発見した。

「一代限り」の退位を推奨 有識者会議が論点整理

「一代限り」の退位を推奨 有識者会議が論点整理

天皇陛下の退位をめぐる政府の「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」(座長:今井敬・経団連名誉会長)は1月23日、今の天皇に限った退位を推奨する論点整理を取りまとめ、公表した。退位を実現をするための具体的な法整備のあり方を明示せず、有識者らの意見を並べて方向性を示した。事実上、政府が検討する「一代限り」の特例法を後押しする内容となった。

一茶が題材の「遥かなる信濃」藤沢周平の小説草稿発見

一茶が題材の「遥かなる信濃」藤沢周平の小説草稿発見

1月26日に没後20周年を迎える藤沢周平(1927~97年)の未発表小説の草稿が見つかった。江戸後期の俳人、小林一茶を題材に、遅咲きの藤沢が作家デビューした1971年ごろに書かれたとみられる。
草稿は「遥かなる信濃」と題され、原稿用紙で実質74枚。内容は40代後半の一茶が世話になった俳人、夏目成美の別邸で起きた盗難事件で犯人扱いされたことや、その後の日々を綴っている。
元担当編集者の鈴木文彦さんが1月21日発売された月刊誌「オール読物」2月号(文芸春秋)で概要を発表している。草稿の全文は紹介されていない。
藤沢は1978年に評伝小説「一茶」を刊行しており、一茶に対する藤沢の思い入れの深さを感じさせる。