福呼ぶ「宝木」奪い合う 岡山・西大寺で奇祭はだか祭

福呼ぶ「宝木」奪い合う 岡山・西大寺で奇祭はだか祭

岡山市東区の西大寺観音院で2月18日夜、真っ白のまわし姿の男たちが福を呼ぶという木の棒「宝木(しんぎ)」を奪い合う「西大寺会陽(さいだいじえよう)」(通称はだか祭)があった。この奇祭は室町時代に始まったとされ、今年で508回目。
午後10時ごろに境内の明かりが消され、住職が高さ約4㍍の本堂の御福窓(ごふくまど)から2本の宝木(長さ約20㌢)を投げ込むと、冷水で身を清めた約1万人の男たちが激しい争奪戦を繰り広げる。厳しい寒さの中にもかかわらず、体と体のぶつかり合いで湯気が立ち上るほど。
そんな争奪戦を経て宝木を手に境内を出た男性が今年の「福男」になった。

「東アジア文化都市2017京都」合同イベント開幕

「東アジア文化都市2017京都」合同イベント開幕

日本、中国、韓国の3都市で交流を行い、1年を通じて文化芸術イベントを開催する「東アジア文化都市2017京都」の開幕式典が2月18日、京都・ロームシアター京都(京都市左京区)で開かれた。
会場には、今回(2017年)の開催都市に選ばれている京都市や長沙市(中国)、大邱(テグ)広域市(韓国)の関係者はじめ、一般の来場者を含め約2000人が詰め掛けた。
門川大作・京都市長の開幕式典のあいさつの後、日中韓文化交流公演や湖南省の少数民族トン族の民族舞踊、大邱広域市のミュージカルガラやオペラガラの上演、そしてメンバー全員が京都出身のロックバンド「くるり」による開幕コンサートも開かれた。
今年は11月の閉幕まで、世界遺産・二条城を舞台にした現代アートの展覧会が、長沙市、大邱広域市との共同開催として実施される予定。2018年は金沢市が日本の開催地に内定している。
このイベントは、日中韓3カ国の文化大臣会合での合意に基づき2014年から開催されており、今回で4回目。東アジア域内の相互理解を促し、多様な文化の国際発信力を強化することが目的で、文化芸術による発展を目指す都市を3カ国からそれぞれ選定してイベントを催している。国内ではこれまで横浜、新潟、奈良の各市が文化都市に選ばれている。

「白虎隊」の講演録など山川健次郎の遺稿の新資料発見

「白虎隊」の講演録など山川健次郎の遺稿の新資料発見

会津藩出身で東京帝国大総長を務めた山川健次郎(1854~1931年)の死後に近親者らがまとめた遺稿の新資料がこのほど、古書店で発見された。戦前に刊行されたものなど種類の違う3点の遺稿資料がこれまで確認されており、今回が4点目になる。
これまでの遺稿資料では未確認の記事や講演録が5編収録されていた。このうち「白虎隊」について、1928(將和3)年、兵庫県の赤穂中(現・赤穂高校)で行った講演録が収録されていた。遺稿に白虎隊に関する講演録が収録されるのは、今回の新資料が唯一という。
このほか、「山川博士遺稿」と題が付けられた上・下巻の2冊に合わせて約500㌻の資料が見つかったが、内容は講演録や新聞への寄稿などで多くがすでに確認されている遺稿資料3点と重複していた。
山川は晩年、戊辰戦争を」会津藩側の立場からみた「会津戊辰戦史」(山川の死後の1933年出版)の編纂を進めていた。

法隆寺「釈迦三尊像」3Dプリンターで複製 質感再現

法隆寺「釈迦三尊像」3Dプリンターで複製 質感再現

東京芸術大と富山県、高岡市、南砺市などでつくる協議会は、飛鳥仏の代表として知られる奈良・斑鳩町の法隆寺の「釈迦三尊像」(国宝、7世紀)を3Dプリンターや伝統技術で複製し2月16日、報道陣に公開した。
この複製は3月10~20日、高岡市のウイング・ウイング高岡で、再現された同寺金堂壁画とともに一般公開される。
東京芸術大が3次元計測した高精細なデータを基に3Dプリンターで樹脂製の原型を制作。それを元に銅器製造で知られる高岡市の伝統工芸高岡銅器振興協同組合が金銅の像を鋳造、井波彫刻協同組合が木製の台座を手掛け、東京芸術大のスタッフが仕上げと着色を行った。その結果、本物と同じ材料を使い、本物そっくりの質感と優美な微笑をたたえた釈迦三尊像を再現した。

古墳時代の腰掛け?ほぼ完全な形で出土 奈良・新堂遺跡

古墳時代の腰掛け?ほぼ完全な形で出土 奈良・新堂遺跡

奈良県橿原市教育委員会は2月15日、同市の新堂遺跡で古墳時代中期(5世紀ごろ)の腰掛けとみられる木製品がほぼ完全な形で出土したと発表した。
腰掛けは針葉樹のコウヤマキの一木造りで、高さ約12㌢、幅約35㌢。座面の縁に丸みがあり、2本の脚も緩やかな曲線を描くなど精巧なつくりとなっている。
専門家によると、古墳時代の腰掛けとみられる出土例は全国に数十例あるが、これほど完全な形で出土するのは異例という。

陰陽師・安倍晴明の子孫の墓崩壊のピンチ 京都・梅林寺

陰陽師・安倍晴明の子孫の墓崩壊のピンチ 京都・梅林寺

平安時代の陰陽師(おんみょうじ)・安倍晴明の直系子孫、土御門家(つちみかどけ)の菩提寺、梅林寺(京都市下京区)で、一族の墓が長年の劣化で崩壊しそうな状態になっている。半世紀近く子孫の消息が不明になっているためで、寺側は対応に苦慮しつつも、平安の御世から1000年以上にわたって天文や暦法を司った名門一族の供養を続けている。
土御門家は、晴明のころからは大きく時代は下っても江戸時代、京都の梅小路周辺に邸宅や私塾を構え、暦の作成や陰陽師の統括、天皇や公家の祭祀(さいし)や占いを行った。
太陰太陽暦から太陽暦に変更された明治以降は、その本拠は江戸(東京)に移ったが梅林寺の墓所には18世紀から大正期に建てられた一族の墓20基が残っている。