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岩手で旧制中学の「ミライの賢治」描いた直筆ノート

岩手で旧制中学の「ミライの賢治」描いた直筆ノート

岩手県出身の童話作家、宮沢賢治(1896~1933年)と交流のあった旧制中学時代の先輩の実家から見つかったノートが、筆跡の鑑定の結果、賢治の直筆のものだったことが分かった。地元研究グループの「矢巾町 宮沢賢治を語る会」が発表した。
ノートは2001年、賢治の1学年先輩で、同県矢巾町にある藤原健次郎さんの実家の蔵で発見された。計算式や英文のほか、「ミライの賢治」と書かれた落書きがあり、オルガンを弾いたり、勲章を付けた軍人姿の賢治が描かれている。また、「南無妙法」との書き記しもあり、賢治がこの時期から仏教思想を意識していたことをうかがわせる。藤原さんと賢治は学校の宿舎が同室で、一緒に山に登るなど、親交が深かったという。

加賀・前田家の屋敷跡か 伏見城下で巨大礎石穴

加賀・前田家の屋敷跡か 伏見城下で巨大礎石穴

京都市文化財保護課は6月23日、豊臣秀吉が建てた伏見城(京都市伏見区)の大名屋敷があったとされる区域から、礎石を据えるための巨大な穴が7カ所見つかったと発表した。穴の大きさは直径約1.7~2㍍で、深さ2.3㍍以上のものもあり、城下で最大級だった。
江戸時代の絵図から加賀百万石を築いた前田家の屋敷跡とみられ、豊臣政権で要職に就いた前田家の権威を物語る遺構という。同課によると、穴の中は直径2~3㌢の小石の層と粘土層を交互に積み上げながら、細い棒で突き固めて礎石や建物が沈み込まないように地盤改良していた。

記憶遺産候補に伊能忠敬作製地図、信長公記など応募

記憶遺産候補に伊能忠敬作製地図、信長公記など応募

文部科学省は6月23日、2017年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)記憶遺産への登録を目指す候補として、全国から16件の応募があったと発表した。千葉県香取市が保有する伊能忠敬作製の地図や、織田信長の家臣が書き残し、京都市の神社に伝わる「信長公記」、第二次世界大戦中に「命のビザ(査証)」で数多くのユダヤ人を救った外交官・故杉原千畝氏の関連資料(岐阜県八百津町)、特攻隊員の遺書や手紙(鹿児島県南九州市)などの応募も寄せられた。
日本ユネスコ国内委員会の19日までの公募に対し、地方自治体や史料を保有する寺社などが申請した。同国内委は有識者会議を開いて9月に2件を選び、2016年3月にユネスコに推薦。17年夏ごろにユネスコが審査し、登録の可否を決める。

高山右近「福者」に バチカンが認定手続き開始

高山右近「福者」に   バチカンが認定手続き開始

安土桃山時代のキリシタン大名、高山右近(1552~1615年)が近く、キリスト教カトリックで最高位の「聖人」に次ぐ「福者」に認定される見通しとなった。バチカン(ローマ法王庁)の神学審査委員会が6月18日、認定手続きを進めることを了承した。
今後、高位聖職者である枢機卿の会議を経て、フランシスコ・ローマ法王が承認する。発表は2015年末~16年1月になる見込み。「列福式」は16年中に日本で開催される予定だ。法王は列福式に「可能なら行きたい」と述べたという。15年は右近の没後400年にあたり、日本司教団や関係地方自治体などが働きかけてきた。
右近は12歳の時に洗礼を受け、、高槻城主となって織田信長や豊臣秀吉に仕えた。「バテレン追放令」を出した秀吉に棄教を迫られたが、当時、右近と同様キリシタン大名といわれたすべての有力大名、武将が棄教、改宗した中で、彼はこれを拒否。信仰の前にすべてを棄て、最終的に徳川家康による国外追放令を受けてフィリピン・マニラに渡り、現地で死亡した。カトリックでは、迫害下に信仰を死守した殉教者を崇敬している。

弥生時代の集落近くに水田、墓地 高槻・安満遺跡

弥生時代の集落近くに水田、墓地    高槻・安満遺跡

大阪府高槻市教育委員会は6月19日、弥生時代の環濠集落「安満遺跡」(同市八丁畷町)で、弥生前期(約2500年前)の大規模な水田跡(約9000平方㍍)と遺体の埋葬に用いたとみられる土器棺や木棺墓跡が見つかったと発表した。
以前の調査で建物跡が見つかっており、広大な水田跡が一体となって確認されたのは珍しいという。遺跡公園の予定地1万5000平方㍍を発掘調査。東西約90㍍、南北約100㍍で水田跡を確認した。あぜ(幅約20㌢、高さ約5㌢)で、10~65平方㍍の長方形に区切られていた。

「佐渡鉱山」重要景観に 名勝に徳島「大歩危」

「佐渡鉱山」重要景観に 名勝に徳島「大歩危」

文化審議会は6月19日、「佐渡相川の鉱山および鉱山町の文化的景観」(新潟県佐渡市)など3件を重要文化的景観に、吉野川中流の渓谷「大歩危」(徳島県三好市)など3件を名勝に指定するよう下村博文文部科学相に答申した。6件の史跡指定や3件の天然記念物指定、3件を登録記念物にすることも求めた。近く答申通り告示され、史跡・名勝・天然記念物は計3163件、重要文化的景観は50件、登録記念物95件になる。