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坂本家子孫 勝海舟の書など龍馬記念館に史料寄贈

坂本家子孫 勝海舟の書など龍馬記念館に史料寄贈

坂本龍馬に関する数多くの史料を、北海道で保存してきた坂本家の子孫が、数百点を高知市の県立坂本龍馬記念館に寄贈、寄託していたことが分かった。
これらの史料の中には、勝海舟が龍馬没後15年に、龍馬の甥、直に宛てた「(龍馬との)思い出が色あせることはない」との内容を記した書や、日露戦争(1904~05年)を率いた東郷平八郎の言葉が入った龍馬の肖像画もある。
坂本家から公的機関への多数の寄贈は1931年以来となる。

平城京跡で出土の木簡に「皇」「太子」の文字

平城京跡で出土の木簡に「皇」「太子」の文字

奈良文化財研究所 の調査によると、奈良市の平城京跡で出土した木簡の削りくず2点に「皇」「太子」と読める文字があることが分かった。2点は同じ木簡の表面を削ったとみられ「皇太子」と記す木簡が見つかったのは初めて。
出土場所は、聖武天皇の母方の祖父、藤原不比等(659~720年)の邸宅跡に近く、皇太子とは即位前の聖武天皇を指すとみられる。2点は不比等邸跡に創建された法華寺南側の溝から2014年に出土。1点は長さ約5㌢、幅約2㌢で「皇」の一部などが残る。もう1点は長さ約2.5㌢、幅1㌢「太子」の文字の一部があった。2点は木目が酷似し、同一の木簡にひと続きで「皇太子」と書かれていた可能性が高いという。当時、木簡は表面を削って再利用していた。
同じ溝からは「養老七年」(723年)や「神亀元年」(724年)の年号、従者を指す「舎人(とねり)」の文字などを記した木簡も出土している。

香川の7世紀古墳からササン朝ペルシャ産ガラス玉出土

香川の7世紀古墳からササン朝ペルシャ産ガラス玉出土

香川県まんのう町教育委員会は6月30日、町内の古墳から出土したモザイク模様のガラス玉(直径1.45㌢)が、奈良文化財研究所の調査で西アジアのササン朝ペルシャ(226~651年)産と判明したと発表した。当時、盛んに交易が行われていたことを示す史料とみている。
同町教委によると、ガラス玉は同町羽間の「安造田(あそだ)東三号墳」(7世紀初頭)から1990年に出土した。古墳は直径約12㍍、高さ約3.5㍍の円墳で、香川県内では中規模クラス。被埋葬者は当時、この地域を支配していた上層階級の人物とされる。西アジア産のガラス玉は、国内では他に宮城県で出土例があるのみで珍しいという。

白亜紀前期の恐竜 新種の卵殻化石 兵庫県丹波市

白亜紀前期の恐竜 新種の卵殻化石 兵庫県丹波市

兵庫県立人と自然の博物館(同県三田市)は6月29日、同県丹波市の白亜紀前期の約1億1000万年前の地層から発掘した恐竜の卵殻の化石が新種と判明し、「ニッポノウーリサス・ラモーサス」と命名したと発表した。恐竜の卵としては世界最小級という。6月29日付の国際学術雑誌「クリティシャス・リサーチ」(電子版)に論文が掲載された。
博物館は、2007年から丹波市山南町の「篠山層群」と呼ばれる地層で恐竜化石の発掘調査を進め、1㌢から数㍉の大きさの卵の殻の化石約90点を発見。このうち約70点は5種類の恐竜の卵で、うち1種は新種認められた。新種とされる卵殻は8片あり、大きさは最大約7㍉、厚みは約0.4㍉。

小堀遠州作の茶室「擁翠亭」140年ぶりに復元

小堀遠州作の茶室「擁翠亭」140年ぶりに復元

茶人で建築・造園家としても知られる小堀遠州(1579~1647年)作の茶室「擁翠(ようすい)亭」が京都市北区の古田織部美術館の庭園に約140年ぶりに復元された。
擁翠亭は遠州が京の金工師、後藤覚乗(かくじょう)の依頼で建てた入母屋造りの茶室。のちに洛西の寺に移築され、明治元年の廃寺に伴い解体された。建材は京都市内の数寄屋大工の倉庫で保管されていた。15年前に図面とともに見つかり、今回復元された。13の窓を持つことから「十三窓席(じゅうさんそうのせき)」とも呼ばれ、明るく優美で開放的なことが最大の特徴。

淡路島で出土の「入れ子」の銅鐸の内部に舌 全国初

淡路島で出土の「入れ子」の銅鐸の内部に舌 全国初

兵庫県南あわじ市(淡路島)の石材加工業者の砂山で、4月に発見された松帆銅鐸(まつほどうたく)7個のうち、内側に一回り小さい銅鐸をはめた「入れ子」状態の2組4個について、兵庫県教育委員会は6月26日、コンピューター断層撮影装置(CT)による解析結果を発表した。4個いずれも内部に音を鳴らす青銅製の舌(ぜつ)が1本ずつあることが確認された。銅鐸に舌を内蔵した状態で見つかったのは全国で初めて。
過去の出土例と異なり、舌を外さず、ひもで吊るして音を鳴らす使用状態のまま埋められたとみられる。ひもは見つかっていない。いずれも弥生時代前期末~中期初め(紀元前3~前2世紀)の古い型式。舌はすでに3本見つかっており、7個すべてが舌を伴っていたことになる。
過去に全国で出土した520個以上の銅鐸のうち、舌と一緒に見つかったのは2例3個のみで、舌は外して埋めると考えられていた。
奈良県文化財研究所では「銅鐸埋納ではこれまで約束事として舌を外していた。音を出す祭器として機能を奪う意味があったのだろうが、今回は違った。地域色ではないか。埋めたのは河内や大和、摂津などの畿内集団ではなく、南あわじ市周辺の地域勢力だった可能性が高い」とみている。