@club2 のすべての投稿

祇園祭・前祭の山鉾巡行 台風襲来の中、そろり挙行

祇園祭・前祭の山鉾巡行 台風襲来の中、そろり挙行

日本三大祭りの一つ、京都・祇園祭の前祭(さきまつり)の山鉾巡行が7月17日、台風11号の影響が懸念される中、挙行された。今回は、異例のことになるが最悪、中止・順延を含め、17日午前4時から祇園祭山鉾連合会の理事らが協議、実施を決定した。山鉾の屋根に乗る際には命綱を着用するなどの安全基準を設け、実施に踏み切った。
断続的な風雨に見舞われたが、23基の山鉾が例年以上に慎重に都大路を進んだ。各山鉾を飾る懸装品は雨除けのシートで覆われた状態で、例年の華やかさには欠けたが、交差点で重さ十数㌧の鉾が豪快に方向転換する「辻回し」が披露されると、沿道から大きな歓声が上がっていた。24日には後祭(あとまつり)の山鉾巡行がある。

日本に大型ティラノサウルス?長崎で歯の化石発見

日本に大型ティラノサウルス?長崎で歯の化石発見

福井県立恐竜博物館(同県勝山市)と長崎市は7月14日、長崎市の長崎半島西海岸に分布する白亜紀後期(約8100万年前)の地層「三ツ瀬層」から、ティラノサウルス科の獣脚類(肉食恐竜)の大型種のものとみられる歯の化石2点が見つかったと発表した。
歯の大きさから体長は10㍍前後と推測される。ティラノサウルス科の大型種の化石は北米やアジアで多数見つかっているが、国内では初めてという。
恐竜博物館によると、長崎市との共同調査で2014年5月に発見した。1点は先端から歯根部の長さが8.2㌢、歯冠基部(根元)は最大幅が3.8㌢、厚さが2.7㌢。保存状態が良く、水平断面は膨らみのある楕円形。もう1点は欠損や変形があるが、いずれも獣脚類の特徴であるノコギリのような突起「鋸歯(きょし)」や「血道(けつどう)」と呼ばれる溝があった。2点の発見場所は約1㍍しか離れていなかったが、同じ個体のものかは不明。

飛鳥・奈良期の出雲氏屋敷跡?京都・上京遺跡から出土

飛鳥・奈良期の出雲氏屋敷跡?京都・上京遺跡から出土

飛鳥時代から奈良時代にかけて京都北部の賀茂川西岸で勢力を誇った出雲氏の屋敷跡とみられる建物跡が、京都市の上京遺跡から出土したことが7月11日、分かった。出雲氏にまつわる本格的な建物跡が複数見つかるのは珍しく、調査を行った民間の発掘団体「古代文化調査会」は遷都以前の京都の歴史知る上で貴重な資料になるとみている。
調査地は京都市上京区にある上御霊(かみごりょう)神社北西隣のマンション建設予定地、約300平方㍍を調べた結果、北西隣と南東隣から一辺約60~70㌢の方形の柱穴が計5カ所出土した。ともに出土した土器などから出雲氏が全盛を誇った7世紀後半に建てられたとみている。
出雲氏は弥生時代に島根県の出雲地方から移住してきたとされ、これまで同神社の境内などから、出雲氏が創建した氏寺・出雲寺のものとされる奈良時代前期の瓦片が多数出土している。出雲氏は奈良時代には、長屋王の夫人の従者として仕えた「安麻呂」や、多くの農民を従えていた「真足(またり)」らを輩出している。

川端康成、三島由紀夫らの舟橋聖一宛て未公開書簡発見

川端康成、 三島由紀夫らの舟橋聖一宛て未公開書簡発見

作家の舟橋聖一宛てに川端康成や三島由紀夫らが送った未公開書簡約1000通が、舟橋聖一記念文庫(滋賀県彦根市)や東京新宿区の自宅でに見つかっていたことが7月10日までに分かった。今回見つかった書簡の中には、作家仲間だけでなく、中曽根康弘元首相や十一代市川團十郎といった政治家、役者のものもあり、舟橋の交友の広さがうかがわれる。

秀吉「木下」姓最後?の文書 兵庫県豊岡市で発見

秀吉「木下」姓最後?の文書  兵庫県豊岡市で発見

兵庫県豊岡市教育委員会は7月11日までに豊臣秀吉が、木下姓で出した文書を発見したと明らかにした。これまでに見つかった木下姓での文書の中でも最も後の時期のもので、羽柴姓への改姓時期が絞られた。
同市教委によると、「木下藤吉郎秀吉」と名乗っていたが、秀吉が「羽柴姓」に改姓した時期は分かっていない。今回の文書は元亀4年(1573年)5月24日付で、これまで木下姓での最後の文書は、元亀3年12月に出されたものだった。
現存する史料では、元亀4年7月20日には羽柴姓を名乗っている。したがって、今回の発見により木下姓から羽柴姓への改姓時期を、元亀4年5月20日~同年7月20日に絞ることができるという。

幕末と世界史のうねり 司馬遼太郎記念学術講演会

幕末と世界史のうねり 司馬遼太郎記念学術講演会

作家、司馬遼太郎さんの業績をしのび、日本人と日本の文化について考える「司馬遼太郎記念学術講演会」が7月11日、大阪市北区のサンケイホールブリーゼで開かれ、法政大学総長の田中優子氏と東京大学名誉教授の山内昌之氏が「幕末への道~世界史のうねりと日本の知性」をテーマに、講演と対談を行った。
田中氏は、江戸時代はインドなどから伝来した技術をもとに日本独自の産業を発展させ、遠近法や印刷術も発達させた」などと述べ、江戸時代をグローバリゼーションの時代と位置付けた。
山内氏は、幕末は迫りくる欧米やロシアからいかに国を守り、近代化や産業化を図っていくかが課題だった」と指摘。薩摩藩などが半独立国家として自ら産業育成や改革に取り組んだことに触れ、「先人の知恵に学ぼう」と述べた。対談では、秋田蘭画や浮世絵の話でも盛り上がった。