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祇園祭・後祭は晴天の下、華やかに 辻回しに歓声

祇園祭・後祭は晴天の下、華やかに 辻回しに歓声

京都・祇園祭の後祭(あとまつり)のハイライト、山鉾巡行が7月24日、京都市内であった。17日の前祭(さきまつり)の山鉾巡行が、台風襲来で挙行が危ぶまれるほどの風雨交じりの中で行われただけに、関係者、見物客らの間では当日の空模様にも関心が集まっていた。
久々に晴れ上がった真夏の、うだるような暑さが戻った都大路を、華やかな懸装品(けんそうひん)で飾られた10基の山鉾が、ゆったりと進んだ。交差点では十数㌧の鉾の向きを90度変える豪快な「辻(つじ)回し」が披露されると、その勇壮な姿に、沿道に集まった見物客からは歓声が上がっていた。後祭の山鉾巡行は昨年、49年ぶりに復活した。

歌麿 水墨の美人画「花魁と禿図」肉筆画見つかる

歌麿 水墨の美人画「花魁と禿図」肉筆画見つかる

福岡市美術館は7月22日、江戸時代の浮世絵師、喜多川歌麿(1753年ごろ~1806年)が墨一色で花魁(おいらん)らを描いた肉筆画が見つかったと発表した。墨だけで描いた歌麿の美人画が確認されたのは初めてで、花魁を真正面から描いた作品も極めて珍しいという。
今回見つかった美人画は「花魁と禿(かむろ)図」で、縦117.6㌢、横46.3㌢。正面から捉えた花魁と、その世話をする「禿」の後姿を墨の濃淡や線の強弱で、立体感を持たせて描いている。江戸時代の戯作者、山東京伝の賛文が記されている。寛政2~5年(1790~93年)ごろに描かれ歌麿が円熟期を迎える前の作品とみられる。
歌麿の肉筆画はこれまで約50点が知られているが、美人画の多くは鮮やかな彩色で描かれている。また、花魁の姿を斜めでなく、真正面から描いている点珍しい。

血赤の芝居絵屏風に魅入る客 高知・香南市で絵金祭り

血赤の芝居絵屏風に魅入る客 高知・香南市で絵金祭り

「血赤」と呼ばれる鮮やかな色使いで知られる江戸時代の絵師・金蔵(1812~76年、通称・絵金=えきん)の屏風絵が商店街の軒先に並ぶ「絵金祭り」が7月18~19日、高知県香南市で行われた。店の前に並べられたのは歌舞伎や浄瑠璃を題材とした芝居絵図。血のような赤と苦しむ表情の人々の姿が、ろうそくの炎で浮かび上がり、一瞬異様な世界にタイムスリップしたように魅入っていた。
絵師・金蔵は、もとは土佐藩家老桐間家の御用を務める狩野派の絵師だったが、贋作事件に巻き込まれて城下追放となった。絵金祭りは昭和52年に現在の香南市商工会青年部の発議で始まり、今回で39回を数えた。保存されている芝居絵屏風23点は高知県保存有形文化財に指定されている。

大阪で700人が参加し「北前船寄港地フォーラム」

大阪で700人が参加し「北前船寄港地フォーラム」

江戸時代、北海道(当時は蝦夷地)と日本海側の各地を経由し、天下の台所・大阪(当時は大坂)を結んだ北前船。その北前船の寄港地だった都市が連携し、その航路を広域観光ルートに生かそうと、第16回「北前船寄港地フォーラム in 大阪」が7月17日、大阪市都島区の太閤園で開かれた。
今回は関西・大阪21世紀協会が主催。開催地代表としてあいさつした堀井良殷(よしたね)理事長は、「天下の台所といわれた大坂の基礎を築いたのは船、開運。とりわけ北前船の役割は大きかった。改めて北前船の文化、都市のつながりを未来に生かしたい」などと語った。催しには各地の首長、経済人ら約700人が集まる盛況ぶりだった。
北前船寄港地は江差、松前、箱館、根室、厚岸、釧路、様似、門別、青森、十三湊、鯵ヶ沢、能代、本荘、酒田、出雲崎、佐渡、柏崎、新潟、直江津、但馬、山口など。

 

京大 吉田松陰の志伝える「尊攘堂」石標 元の位置に

京大 吉田松陰の志伝える「尊攘堂」石標 元の位置に

幕末の思想家、吉田松陰(1830~59年)の遺志を継ごうと明治時代に京都大学(京都市左京区)の構内に建てられた「尊攘堂(そんじょうどう)」。その名称を刻む石標は、第二次世界大戦の終戦直後、マッカーサーの連合軍総司令部(GHQ)の目に触れることを恐れて、隠されたとみられ、所在不明になった。
だが、大学構内で見つかり2014年末に尊攘堂の脇に戻された。折から今年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」に取り上げられたこともあって、松陰の志を伝える歴史遺産として脚光を浴びている。
尊攘堂は明治36年建設。京大吉田キャンパスの時計台西側にある洋風建築で、現在は文化財総合研究センターの資料展示室として使われている。平成10年、国の登録有形文化財になった。石標は高さ約130㌢、幅約25㌢で、昭和15年に皇紀2600年を記念して設置された。

黒田清輝の油彩画「秋の清水寺」90年ぶりに確認

黒田清輝の油彩画「秋の清水寺」90年ぶりに確認

近代洋画壇の重鎮、黒田清輝(1866~1924年)が若いころに、京都を訪れて描いたとみられる油彩画「秋の清水寺」が7月18日、シンワアートオークションが東京・銀座で開いた競売に出品され、落札予想価格の上限の2倍以上となる580万円で落札された。
同社によると、「秋の清水寺」は1925年に発表された黒田の作品全集に図版が掲載された後、展覧会などに出品された記録はなく、90年ぶりに存在が確認された。作品は縦45㌢、横32.2㌢。緑の山を背景に、小さな建物や、ところどころ赤や黄色に色づいた木々が描かれている。