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薬師寺東塔基壇から地鎮供養の「和同開珎」出土

薬師寺東塔基壇から地鎮供養の「和同開珎」出土

解体修理が行われている奈良市の国宝・薬師寺東塔の調査で、同寺などは8月17日、奈良時代に流通した貨幣「和同開珎(わどうかいちん)」4枚が土台下から出土したと発表した。730年とされる創建時に地鎮目的でまかれたと考えられ、調査した奈良文化財研究所と橿原考古学研究所は「広く流通する通貨を地鎮供養でまいた最古の例」としている。
和同開珎は、塔を貫く心柱(しんばしら)を支える石「心礎」の東側1.3㍍、土台部分の基壇表面から1.7㍍下で見つかった。基壇下は穴に土を埋めて固める工法「掘込地業(ほりこみちぎょう)」で造られ、貨幣は穴の底の辺りで見つかった。長さ20㌢、幅30㌢の範囲に散らばった4枚のうち2枚は完全な形で、残りも一部が腐食しているが状態は良かった。赤銅色に輝き摩耗も少ないものもあり、新しい貨幣をまいたらしい。
地鎮供養で貨幣を地面にまいた例として、奈良県明日香村・川原寺塔跡(7世紀後半)で無文銀銭が見つかっているが、広く流通した貨幣がまかれたのは、これまで8世紀後半以降だった。和同開珎を容器に入れた例は、8世紀前半の法隆寺で確認されている。

秀吉へ 2度目の遅参で焦る政宗の心情映す自筆書状発見

秀吉へ 2度目の遅参で焦る政宗の心情映す自筆書状発見

1590年、天下統一を前にした豊臣秀吉が関東と東北地方の大名を宇都宮城に集めた「関東・奥羽仕置」に伊達政宗が遅参した際の、事情を記した自筆書状が発見された。栃木県立博物館が8月13日発表した。
当時、政宗が居城としていた米沢城(現在の山形県)を出発してから宇都宮までの行動も明らかになった。専門家は「小田原攻めに続いて、2度目の遅参に焦る政宗の様子を伝える内容」と評価している。
書状の日付は天正18年(1590年)7月27日の「戌(いぬ)刻」(午後8時)。7月23日に米沢城を発ったが、人馬の疲弊などで宇都宮への到着が遅れていることを説明。26日の秀吉の到着に間に合わなかったことを「覚悟のほかに候」(予想外でした)とし、「今夜に打ち立ち候いて、明日は四ころに参るべく候」(今夜には出発し、明日午後10時ごろまでに参上できると思います)と、徹夜で向かうとしている。宛先は不明だが、秀吉に近い人物に状況を伝えたとみられる。
当時、政宗は、秀吉が北条氏を破った小田原攻めに遅れて同年6月5日に参戦し、所領の一部没収を言い渡されていたとされる。2度目の遅参で、7月28日に宇都宮城に着いた政宗は秀吉と対面し、取り潰しを免れ、その後会津に向かった。

淡路の銅鐸にひも「つり下げ鳴らした」国内初の発見

淡路の銅鐸にひも「つり下げ鳴らした」国内初の発見

兵庫県教育委員会、南あわじ市教育委員会(淡路島)、奈良文化財研究所(奈良市)は8月12日、南あわじ市の石材加工業者の砂山で発見された松帆銅鐸(まつほどうたく)について、銅鐸の取っ手と、内部で音を鳴らす棒状の舌(ぜつ)に、植物性のひもが付着し、痕跡も見つかったと発表した。いずれも国内初の発見で、奈文研は「銅鐸を、ひもでつり下げて鳴らしていたことを示す極めて重要な発見」としている。
発見された銅鐸7個のうち、内側に一回り小さい銅鐸をはめた「入れ子」状態の1組2個について、内部に詰まっていた砂を取り出して調べた。その結果、外側の銅鐸の紐(ちゅう)と呼ばれる取っ手部分から、太さ約2㍉のひもの一部と、繊維の凹凸がさびになるなどの痕跡が4カ所見つかった。舌の穴には太さ約5㍉のひもの結び目も残っていた。内側の銅鐸の取っ手にも、ひもの繊維と痕跡が確認され、舌の穴には太さ約4㍉のひもが付いていた。

9/6高野山で徳川・真田現当主が対談 大坂夏の陣400年

9/6高野山で徳川・真田現当主が対談 大坂夏の陣400年

1615年の「大坂夏の陣」から400年を迎える今年、激戦を繰り広げた徳川家と真田家の現当主の対談を含むバスツアーが、開創1200年を迎えた高野山で実施される。
ツアーは9月6日に大阪市内からバスで出発。高野山霊宝館の山陰加春夫副館長の歴史トーク、徳川・真田両家現当主対談、高野山奥の院散策などがある。出発は午前8時、解散は午後8時、定員800人。料金は1万1500円。JTB西日本が主催し、高野山金剛峰寺の協力で実現した。

長崎の海底で旧日本海軍の先進の潜水艦発見

長崎の海底で旧日本海軍の先進の潜水艦発見

海上保安庁は8月7日、長崎県・五島列島の東南東約35㌔の海底で旧日本海軍の潜水艦とみられる24隻の船影を発見したと発表した。この海域では、終戦後の1946年4月、当時世界最大の潜水艦だった「伊402」(全長約120㍍、水中排気量約6600cc)など24隻が処分のため米軍に撃沈されたとの記録があり、船影の大きさや形状と合致するという。
爆撃機を3機格納できる、当時世界最大級の潜水艦(「伊402」)の開発は、連合艦隊の司令長官、山本五十六の発案とされ、米国本土への攻撃に使用する計画があったという。だが、不運にも出撃することなく終戦を迎え、戦後処分された。

長崎・対馬市で3年ぶり「朝鮮通信使行列」

長崎・対馬市で3年ぶり「朝鮮通信使行列」

江戸時代に朝鮮王朝が来日した外交使節団を再現する日韓交流イベント「朝鮮通信使行列」が8月2日、長崎県対馬市で3年ぶりに開催された。
韓国からの参加者約40人を含む計約300人が、通信使や武士の衣装を身に着け練り歩き、伝統舞踊なども披露した。
2012年、市内の寺社から盗まれた仏像を韓国側が返還しなかった問題などを受けて、この間イベントは中止されていた。