@club2 のすべての投稿

大阪府・近つ飛鳥博物館で「ワカタケル大王」展 開幕

大阪府・近つ飛鳥博物館で「ワカタケル大王」展 開幕

大阪府・河南町の府立近(ちか)つ飛鳥博物館で10月3日、雄略天皇の時代を考古資料で探る特別展「ワカタケル大王の時代」が開幕した。河内平野に築かれた巨大古墳から出土した豪華な副葬品などが展示され、訪れた古代史ファンが「倭(わ)の五王(ごおう)」の時代に思いを馳せた。会期は11月29日まで。
雄略天皇は5世紀後半に実在したヤマト王権の大王で、中国・宋に使節を派遣した倭の五王のうち最後の「武」としても知られる。日本書紀では第21代・大泊瀬幼武天皇(おおはつせのわかたけのすめらみこと)とおくり名されている。5世紀はヤマト王権の勢力が伸長した時期で、各地の首長の墓である前方後円墳も巨大化した。また、国際化の時代で、朝鮮半島に出兵したり、先進技術ががもたらされたりした。
特別展では、埼玉県行田市にある稲荷山古墳から見つかり、「ワカタケル大王」と読める文字が刻まれた金錯銘(きんさくめい)鉄剣のレプリカをはじめ、真の雄略天皇陵の可能性が指摘される岡ミサンザイ古墳(藤井寺市、仲哀天皇陵)出土の埴輪などが展示されている。
また、5世紀代の近畿各地の古墳の多様な出土品や墓に供えられた須恵器なども公開。この時代の国際色豊かな文化のありようを探っている。
10月25日には仁藤敦史・国立歴史民俗博物館教授による講演「『治天下大王』の支配権」があるほか、多彩な講座、シンポジウムが行われる。10月4、17、31日と11月21、29日のいずれも午後2時からは学芸員が展示解説を行う。

大阪 本町橋・松竹座の資料発見 戦前の上方寄席

大阪 本町橋・松竹座の資料発見 戦前の上方落語

戦前、大阪・生國魂(いくくにたま)神社の分社・御旅所(おたびしょ)=大阪市中央区本町橋=境内にあった寄席「松竹座」の建築許可証や見取り図が、経営者の遺品から見つかった。
当時、大阪の中心部には二十数軒の寄席があったとされるが、その多くは太平洋戦争の空襲で罹災(りさい)しており、専門家は「当時の寄席の見取り図は大変珍しい。全体像がよく分かる貴重な資料」と話している。
松竹座は1911(明治44)年開場。経営者の飯沼梅吉さんと妻タケさんの名前が「松竹梅」にちなむことから命名した。見つかったのは「建築許可証」(大正10年大阪府発行)や「興行場検査証」(大正11年同)と、それぞれに添付された見取り図。「検査証」によると、戦況が悪化した昭和19年、「大阪府貨物自動車運送事業組合」に貸与され、同20年の空襲で焼失した。
見取り図などによると、2階建てで総面積約200平方㍍。1階中央は「平場(ひらば)」と呼ばれる畳席で79人収容。ほかに1階左右と2階正面、左右に桟敷席があり、計187人収容した。

大阪・寝屋川の小路遺跡で古墳時代初期の集落跡出土

大阪・寝屋川の小路遺跡で古墳時代初期の集落跡出土

大阪府寝屋川市小路南町の小路遺跡で、2世紀後半~3世紀の古墳時代初めとみられる大規模な集落跡が出土したと、同市教育委員会が発表した。北河内地域で、この時代の集落跡が確認されたのは初めて。同市教委では、同地域で古墳が出現した時代を解明する手掛かりになるとしている。
市教委によると、今年3月から9月まで土地区画整理事業に伴い、約4000平方㍍を発掘調査。地表から約50㌢の部分で柱穴や井戸、溝などの遺構を発見した。ごみを捨てたとみられる穴からは約2000点の土器片が出土した。集落跡は東西200㍍、南北約300㍍の範囲に広がっていたと推定される。
土器の中には吉備地方(岡山県)や東海地方(愛知県)のものも見つかり、こうした地域との交流も想定される。遺構から南東に約500㍍離れた四条畷市岡山には、古墳時代前期の前方後円墳(忍岡古墳)があり、集落跡との関連も考えられるという。

新婚 三島由紀夫の幸せ報告 手紙見つかる

新婚 三島由紀夫の幸せ報告  手紙見つかる

作家の三島由紀夫(1925~70年)が、新婚旅行中に書いた英文の手紙が見つかった。米出版社の社長宛てで、妻の瑤子さんを「かわいくて良い子(cute and sweet)」と紹介するなど、後年の三島のイメージからはあまり連想できないほど、幸せがにじむ文面が綴られている。
手紙は1958年6月4日付。33歳の三島が新婚旅行中の宿泊先だった箱根富士屋ホテルの便箋2枚を使い、『仮面の告白』英語版の出版社の社長に近況を報告したものだ。
三島は母の手術と回復を報告。続けて「私は6月1日に結婚しました。今はハネムーン中です。私の妻瑤子は21歳の大学生です。彼女はとてもかわいくて、良い子です」と紹介している。手紙は米国の骨董商が見つけた。

「式年造替」の春日大社で本殿修理 朱塗り替え

「式年造替」の春日大社で本殿修理 朱塗り替え

社殿を20年に1度修復する「式年造替」を行っている春日大社(奈良市)で9月28日、国宝・本殿の修理がが始まり、屋根飾りの「千木(ちぎ)」などが取り外された。修理では檜皮(ひわだ)屋根の吹き替えや、柱の朱の塗り替えなども行い、2016年秋に完成予定。
1863(文久3)年建築の本殿は幅約1.9㍍、奥行き約2.5㍍、高さ約5.7㍍の神殿4棟が横に並ぶ独特の構造。かつては式年造替のたびに建て替えたが、明治以降は文化財保護のため修理している。春日大社の千木は長さ2.4㍍のヒノキ部材2本を交差させて朱を塗り、金箔を張った銅製金具を用いた豪華な造り。近くの仮殿に移されているご神体は、本殿修理後の16年11月、遷座祭で本殿に戻る。

「命のビザ」の業績説明 記憶遺産候補に杉原氏資料

「命のビザ」の業績説明 記憶遺産候補に杉原氏資料

第二次世界大戦中、ユダヤ人に「命のビザ(査証)」を大量に発給しナチス・ドイツの迫害から救った外交官・故杉原千畝(すぎはらちうね)氏(1900~86年)の資料(杉原リスト、所在地・岐阜県)と、古代石碑「上野三碑(こうずけさんひ)」(群馬県)の2件が、2017年の登録を目指す記憶遺産の候補に選ばれた。
外交官・杉浦千畝氏の資料(杉原リスト)は20点で構成。ビザを記入したパスポートや発給者リストの外交公電のほか、自筆手記、避難者が日本に上陸した後の記録が含まれる。
「上野三碑」は現存では日本最古とされる「山上碑」、楷書体の字体や碑の形状に当時の中国文化の影響がみられる「多胡碑」、仏教の広がりや家族制度の様子を記した「金井沢碑」の三つの石碑。7~8世紀に現在の群馬県高崎市に建立され、国の特別史跡。