奈良公園で秋の風物詩「シカの角切り」
古都・奈良の秋の風物詩「シカの角切り」が10月10日、奈良公園(奈良市)の鹿苑(ろくえん)で始まった。江戸時代初期から続く伝統行事。
和太鼓の音とともに、角切り場に放たれたシカを、鉢巻きに法被姿の勢子(せこ)約20人が追い回し角に縄を引っ掛けて捕獲。烏帽子を付けた神職役が、のこぎりで角を切り落とすと観客から大きな歓声が上がった。角切りは11日、12日も正午から午後3時まで行われる。


「舞鶴への生還」「東寺百合文書」世界記憶遺産に
国連教育科学文化機関(ユネスコ)は10月9日、日本が申請していた「舞鶴への生還」と「東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)」が世界記憶遺産に登録されたと発表した。この結果、日本の世界記憶遺産は5件となった。
「舞鶴への生還」(申請者・京都府舞鶴市)は、第二次世界大戦後、舞鶴港に引き揚げたシベリア抑留者たちの手記など570点で、市文化財に指定されている。抑留者がストーブのすすをインク代わりにして綴った「白樺日誌」や、抑留中の収容所で発行された新聞のほか、戦後のヒット曲「岸壁の母」のモデル、故・端野いせさんが息子に宛てた手紙も含まれる。舞鶴市の舞鶴引揚記念館で約40点が常設展示されている。
東寺百合文書(申請者・政府)は、794年の平安遷都ともに建立された東寺に伝わる8~18世紀の文書約2万5000通。仏教史や寺院史の研究上、貴重な史料で、足利義満の直筆や織田信長の印入りの文書もある。
はためく恭仁宮 新年儀式 旗竿穴を確認 史書裏付ける
京都府教育委員会は10月8日、聖武天皇が奈良時代の一時期、都を置いた恭仁宮(くにきゅう、京都府木津川市)の朝堂院跡で、天皇や宮人らが新年を祝う朝賀の際に旗竿を立てた跡とみられる穴3個が見つかったと発表した。
平安初期の史書「続日本紀(しょくにほんぎ)」には、大極殿完成前の741年と742年の元日に朝賀が行われたとの記述があり、穴には装飾を施した宝幢(ほうどう、旗竿)7本を立てた際に掘られたらしい。同種の穴跡が確認された平城宮跡(奈良市)より古い。
穴跡は役人らが執務した朝堂院の敷地内で確認された。穴跡は約5.4㍍間隔で東西に並び、それぞれ横3㍍、縦1.1~1.2㍍、深さ50~90㌢。高さ約9㍍の旗竿の中央柱と脇柱を立てた穴の跡とみられる。その東側にも等間隔で4個の穴を掘り、西から順に玄武、白虎、月像、銅烏(カラス)像、日像、青龍、朱雀の各旗竿を立てたとみられる。
続日本紀には741(天平13)年正月「宮垣未就」(宮を囲う塀が未完成)、742年「為大極殿未成(中略)造四阿殿於此受朝」(大極殿は未完成だが、仮施設で朝賀を行う)と記されている。743年には大極殿で元日を祝う儀礼をしており、確認された穴跡は741年と742年の記述を裏付けるものとみられる。