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「舞鶴への生還」「東寺百合文書」世界記憶遺産に

「舞鶴への生還」「東寺百合文書」世界記憶遺産に

国連教育科学文化機関(ユネスコ)は10月9日、日本が申請していた「舞鶴への生還」と「東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)」が世界記憶遺産に登録されたと発表した。この結果、日本の世界記憶遺産は5件となった。
「舞鶴への生還」(申請者・京都府舞鶴市)は、第二次世界大戦後、舞鶴港に引き揚げたシベリア抑留者たちの手記など570点で、市文化財に指定されている。抑留者がストーブのすすをインク代わりにして綴った「白樺日誌」や、抑留中の収容所で発行された新聞のほか、戦後のヒット曲「岸壁の母」のモデル、故・端野いせさんが息子に宛てた手紙も含まれる。舞鶴市の舞鶴引揚記念館で約40点が常設展示されている。
東寺百合文書(申請者・政府)は、794年の平安遷都ともに建立された東寺に伝わる8~18世紀の文書約2万5000通。仏教史や寺院史の研究上、貴重な史料で、足利義満の直筆や織田信長の印入りの文書もある。

「琳派400年」を記念したファッションショー

「琳派400年」を記念したファッションショー

「琳派400年」を記念したファッションショーが10月9日、京都市東山区の京都国立博物館で開かれた。ファッションデザイナーのコシノジュンコさんが琳派をイメージしてデザインし、京友禅や西陣織の技術も取り入れた衣装が次々に登場した。江戸時代の遊びなどを金糸や漆を素材にして表現した着物やドレス約40点が披露された。囃子(はやし)やコシノさんの衣装を身にまとった能の演出もあり、招待客たちは華やかで雅な「琳派の美」を楽しんでいた。
2015年は琳派の祖・本阿弥光悦が徳川家康から京都・鷹峯(たかがみね)の領地を拝領した1615年から400年の節目となる。

藤原京大極殿の階段跡発見 平城京構造解明に手がかり

藤原京大極殿の階段跡発見 平城京構造解明に手がかり

奈良県文化財研究所は10月9日、国内初の本格的な都城・藤原京(694~710年、奈良県橿原市)の宮跡で、天皇の即位など重要儀式が営まれる大極殿の階段跡が3カ所見つかったと発表した。同研究所では「大極殿の構造の解明に役立つ重要な手がかりだ」としている。 また、大極殿の建物規模は推定で東西約45㍍、南北約20㍍と確認された。これは、平城京大極殿(第1次)とほぼ一致し、専門家は「平城宮大極殿は藤原宮大極殿を移築したとの定説を裏付ける成果」という。

鎌倉大仏 修理へ 16年1~3月拝観を停止

鎌倉大仏 修理へ 16年1~3月拝観を中止

神奈川県鎌倉市の鎌倉大仏殿・高徳院は国宝の本尊・銅造阿弥陀如来坐像(鎌倉大仏、高さ13・35㍍)の保存修理工事を、2016年1月13日から3月10日までの予定で実施する。
1959年から約2年半がかりで実施した耐震補強の「昭和の大修理」から半世紀以上が経過している。保存状態を詳細に調べるとともに、表面をきれいにする。調査で集めたデータは専門家らが分析し、問題が見つかれば別途修復工事を検討する。国庫補助事業で総工費は6496万円。

はためく恭仁宮 新年儀式 旗竿穴を確認 史書裏付ける

はためく恭仁宮 新年儀式 旗竿穴を確認 史書裏付ける

京都府教育委員会は10月8日、聖武天皇が奈良時代の一時期、都を置いた恭仁宮(くにきゅう、京都府木津川市)の朝堂院跡で、天皇や宮人らが新年を祝う朝賀の際に旗竿を立てた跡とみられる穴3個が見つかったと発表した。
平安初期の史書「続日本紀(しょくにほんぎ)」には、大極殿完成前の741年と742年の元日に朝賀が行われたとの記述があり、穴には装飾を施した宝幢(ほうどう、旗竿)7本を立てた際に掘られたらしい。同種の穴跡が確認された平城宮跡(奈良市)より古い。
穴跡は役人らが執務した朝堂院の敷地内で確認された。穴跡は約5.4㍍間隔で東西に並び、それぞれ横3㍍、縦1.1~1.2㍍、深さ50~90㌢。高さ約9㍍の旗竿の中央柱と脇柱を立てた穴の跡とみられる。その東側にも等間隔で4個の穴を掘り、西から順に玄武、白虎、月像、銅烏(カラス)像、日像、青龍、朱雀の各旗竿を立てたとみられる。
続日本紀には741(天平13)年正月「宮垣未就」(宮を囲う塀が未完成)、742年「為大極殿未成(中略)造四阿殿於此受朝」(大極殿は未完成だが、仮施設で朝賀を行う)と記されている。743年には大極殿で元日を祝う儀礼をしており、確認された穴跡は741年と742年の記述を裏付けるものとみられる。

大阪府・近つ飛鳥博物館で「ワカタケル大王」展 開幕

大阪府・近つ飛鳥博物館で「ワカタケル大王」展 開幕

大阪府・河南町の府立近(ちか)つ飛鳥博物館で10月3日、雄略天皇の時代を考古資料で探る特別展「ワカタケル大王の時代」が開幕した。河内平野に築かれた巨大古墳から出土した豪華な副葬品などが展示され、訪れた古代史ファンが「倭(わ)の五王(ごおう)」の時代に思いを馳せた。会期は11月29日まで。
雄略天皇は5世紀後半に実在したヤマト王権の大王で、中国・宋に使節を派遣した倭の五王のうち最後の「武」としても知られる。日本書紀では第21代・大泊瀬幼武天皇(おおはつせのわかたけのすめらみこと)とおくり名されている。5世紀はヤマト王権の勢力が伸長した時期で、各地の首長の墓である前方後円墳も巨大化した。また、国際化の時代で、朝鮮半島に出兵したり、先進技術ががもたらされたりした。
特別展では、埼玉県行田市にある稲荷山古墳から見つかり、「ワカタケル大王」と読める文字が刻まれた金錯銘(きんさくめい)鉄剣のレプリカをはじめ、真の雄略天皇陵の可能性が指摘される岡ミサンザイ古墳(藤井寺市、仲哀天皇陵)出土の埴輪などが展示されている。
また、5世紀代の近畿各地の古墳の多様な出土品や墓に供えられた須恵器なども公開。この時代の国際色豊かな文化のありようを探っている。
10月25日には仁藤敦史・国立歴史民俗博物館教授による講演「『治天下大王』の支配権」があるほか、多彩な講座、シンポジウムが行われる。10月4、17、31日と11月21、29日のいずれも午後2時からは学芸員が展示解説を行う。