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後期難波宮の屋根瓦落下跡 埋め戻しから54年ぶり公開

後期難波宮の屋根瓦落下跡 埋め戻しから54年ぶり公開

大阪市中央区の史跡「難波宮跡」の発掘調査現場で、昭和の発掘調査の後、埋め戻され保存されてきた後期難波宮の屋根瓦落下跡が、このほど54年ぶりに一般公開され、多くの考古学ファンが見学に訪れた。
倒壊した塀から落下した屋根瓦が、落下したままの状態で大量に残っている珍しいケースだ。史跡整備を計画する大阪市が、屋根瓦落下跡などの有効活用策を検討するために再公開した。
後期難波宮は8世紀、聖武天皇が造営した宮殿。1961年、大阪市の発掘調査で後期難波宮の屋根瓦が出土したが、大量に発見されただけではない。南北方向に走る屋根瓦付きの築地塀が、何らかの事情で東側に倒れ込んだ。その際、塀もろとも瓦屋根が裏返しになる形で、地面へ落下したと推定される状態のまま発見されたのだ。
そして発掘調査後、瓦落下跡の長さ約10㍍のエリアをコンクリートブロックで囲い、瓦の表面に特殊な合成樹脂を塗る保存作業を施されたうえで埋め戻されたものだ。

厚さ11㌢の「大型構造船」の部材発掘 滋賀塩津港遺跡

厚さ11㌢の「大型構造船」の部材発掘 滋賀塩津港遺跡

滋賀県文化財保護協会は12月10日、琵琶湖北端にある同県長浜市の塩津港遺跡で、板を組み合わせた「大型構造船」の部材が見つかったと発表した。平安時代後期(12世紀)の船の一部とみられ、国内最古級という。
構造船はこれまで鎌倉時代後期から使われたと考えられていたが、専門家は今回の部材の発見により、100年以上前の平安時代の琵琶湖ですでに就航していたことを裏付ける、日本造船史上、貴重な史料-としている。
見つかった部材は長さ205㌢、幅58㌢、厚さ11㌢。船の側面か底に使われていたとみられ、板を繋ぐ「縫いくぎ」が打たれた跡が3カ所あった。部材の厚さなどから、船は長さ20㍍以上あった大型構造船とみられる。
塩津港は北陸の物資を京都に運ぶ中継地として栄え、12世紀には埋め立て造成で本格的な港が築かれていたことが分かっている。今回は荷物を運ぶ道路(長さ10㍍、幅3.7㍍)や、道路東側に築いたとみられる塀の大きな柱なども複数確認された。

「出雲そば」200年遡る最古の文書見つかる

「出雲そば」200年遡る最古の文書見つかる

島根県のご当地グルメ「出雲そば」が江戸時代前期にはすでに食べられていたことを示す最古の記述が、同県立出雲歴史博物館の調査で見つかった。出雲そばについてこれまで確認されていたものを約200年遡る文書記録という。
出雲大社の神職、佐草自清の日記の中で寛文6(1666)年3月27日に、江戸前期に出雲大社で行われた造営工事に関し、本殿の柱を立てる相談をした後、日が暮れたところで、そば粉を練って細く切った「蕎麦切」が振る舞われたとの記述があった。
出雲そばは、松本城主だった松平直政が寛永15(1638)年に松江へ移った際、信州から蕎麦切が伝わったのが始まりとされる。出雲そばが記述された文書は、これまで嘉永2(1849)年のものが最古だったが、この日記はこれを約200年遡る。

四天王寺 五重塔を耐震改修 2016年7月お披露目

四天王寺 五重塔を耐震改修 2016年7月お披露目

耐震改修工事が行われている四天王寺(大阪市天王寺区)の五重塔が報道陣に公開された。五重塔は高さ39㍍で、最上層からはあべのハルカスや通天閣なども見渡せる。
2022年には、聖徳太子が亡くなって1400年を迎える。聖徳太子ゆかりの四天王寺のこの工事は「聖徳太子千四百年御聖忌」に伴う整備事業の一環として行われているもの。新しい五重塔は2016年7月ごろにお披露目される予定。
工事で取り外されたものの一部は、12月14日から2016年1月10日まで一般公開される。

東大寺大仏の螺髪は定説の半分 レーザー解析で判明

東大寺大仏の螺髪は定説の半分  レーザー解析で判明

奈良・東大寺の大仏の毛髪、螺髪(らほつ)が定説の「966個」ではなく「492個」だったことが分かった。東大寺から委嘱された東京大学生産技術研究所がレーザーを使った最新技術で調査した結果、分かったもの。1000年近く伝えられてきた定説を覆し、実態を解き明かした。
奈良時代、聖武天皇の命で建造され、752年に完成した初期の大仏については、文献には螺髪を966個つくったと記されている。しかし、その後何度か火災に遭い、現在の大仏は江戸時代に修復されたもので、その際、減ったのか?などは不明だという。ただ、江戸、明治時代の文献にも螺髪は「966個」と記されており、ずっと定説とされてきた。

「後期難波宮」の瓦を再発掘 保存状態良好

「後期難波宮」の瓦を54年ぶり再発掘 保存状態良好

大阪市教育委員会は12月1日、聖武天皇が726年から造営した後期難波宮(大阪市)で、昭和36年に行われた調査時に出土し、埋め戻して保存していた瓦を54年ぶりに再発掘したと発表した。史跡の整備に先立ち、劣化していないか確かめるのが目的で、保存状態は良好だった。12月6日午前10時~午後3時半に一般公開する。
瓦は36年4月、大阪市中央区馬場町で見つかった。多くが裏向けになっており、瓦を使った塀が倒壊し、そのまま残されたと考えられる。塀は天皇の生活空間だった内裏を囲っていた。
難波宮は、中大兄皇子らと「大化の改新」を遂行した遂行した7世紀中ごろの孝徳天皇の時代から整備された「前期」と、奈良時代に聖武天皇が造営した「後期」に分かれる。