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出雲大社「庁舎」建て替え 平成の大遷宮 30年完成

出雲大社「庁舎」建て替え 平成の大遷宮 30年完成

出雲大社(島根県出雲市)は、境内で異彩を放っているモダンなスタイルの「庁舎(ちょうのや)」を、和風建築の施設に建て替える方針を固めた。
新しい庁舎には伝統の神事で使う「榊の間(さかきのま)」を復活させる考えで、国宝・本殿などを改修した「平成の大遷宮」が一段落する3月以降、2期工事として着手、平成30年ごろの完成を見込んでいる。
庁舎は、社務所や迎賓館としての役割を果たしてきた施設。

門外不出の『葉隠』が佐賀尊皇派から久留米藩に伝播か

門外不出の書『葉隠』が佐賀尊皇派から久留米藩に伝播か

佐賀藩の門外不出の秘本と思われていた『葉隠』が幕末、久留米藩に伝わっていたことが分かった。葉隠研究会理事の大園隆二郎さん(63)の研究で明らかになったもの。
大園さんは久留米藩士、真木和泉守(いずみのかみ)の読んだ本を記録した目録に『葉隠』の記載があったことから関連文献を調査。その結果、正確な伝播ルートは不明だが、佐賀藩の枝吉神陽ら尊皇派を通じた伝播の可能性が浮かび上がった。
『葉隠』は武士の生き方を説いた佐賀藩士、山本常朝の口述を同藩士・田代陣基(つらもと)がまとめた書。本来の武士道とかけ離れていたことから藩内では当初、禁書扱いになった。ただ、藩士の読書会でテキストとして用いられるなど徐々に重要視される書になっていた。

福井で発見の恐竜化石は新種 現代の鳥類並みの聴力

福井で発見の恐竜化石は新種 現代の鳥類並みの聴力

福井県立恐竜博物館は2月26日、同県勝山市で2007年に見つかった小型獣脚類の恐竜が新種と判明し、「フクイベナートル・パラドクサス(逆説の福井の狩人)」と学名を付けたと発表した。国内で見つかって学名がついた恐竜は7種目、福井県では5種目。獣脚類では2種目。
化石は2007年8月、勝山市の白亜紀前期(約1億2000万年前)の地層から約160点見つかった。同一個体の全身骨格の7割がそろい、全長2.45㍍、体重25㌔と推定される。
内耳の器官の発達具合や骨の形状などの特徴から新種と判断された。内耳の聴力をつかさどる器官が発達し、現代の鳥類に匹敵する聴力があったとみられる。

濃姫御殿か 岐阜城の織田信長居館跡で金箔瓦の破片発見

濃姫御殿か 岐阜城の織田信長居館跡で金箔瓦の破片発見

岐阜市教育委員会は2月19日、織田信長が一時拠点とした岐阜城(岐阜市)の居館跡で、多数の金箔瓦の破片が見つかったと発表した。今回見つかったのは庭園遺構や金箔瓦片約30点。
1567年に美濃(岐阜)を攻略した信長が入場直後に工事を始め、途中で設計を変更し、庭園に隣接するよう御殿の敷地を拡張したとみられる。
文献などを参考に調べた結果、屋根を金箔瓦でふいた信長の正室・濃姫の御殿の可能性があるという。

シーボルトのオランダ語直筆書簡見つかる 植物研究で

シーボルトのオランダ語直筆書簡見つかる 植物研究で

博物学者で江戸時代日本に西洋医学を伝えたドイツ人医師シーボルトが、医療の傍ら、日本の植物研究にも取り組んでいた。その研究のさなかに交わされた直筆のオランダ語の書簡が見つかり、研究者らは日本の植物学の原点を記した貴重な資料だとしている。
今回見つかった書簡は、シーボルトが1828年11月に遭遇した「シーボルト事件」で国外追放になる直前、当時50人以上いた弟子の一人、賀来佐一郎(かく・さいちろう)、佐之(すけゆき)宛てに「日本植物目録」の推敲を依頼する旨、したためられたもの。神田外国語大学の「洋学文庫」の中から見つかった。
長崎・鳴滝塾の門下生だった賀来に関しては歴史上謎が多く、今回の発見で植物学におけるシーボルトの一番弟子とされている伊藤圭介(いとう・けいすけ)と並ぶ重要人物であることが判明した。シーボルトは約1600種の植物標本に学名と和名を付けて分類し、目録を作成する作業を、既述の2人の協力を得て、1827年10月末から長崎県の出島で精力的に行い、半年後「日本植物目録」の草稿を完成させている。
シーボルトの書簡は日本に6本現存しているが、国外追放前に日本植物研究について書かれたものとしては、日本で初めて発見されたものとなる。なお、今年はシーボルト没後150年の節目の年で、2016年2月17日は生誕220年。

飛鳥寺西方遺跡で遷都後の平安時代の皿出土

飛鳥寺西方遺跡で遷都後の平安時代の皿出土

奈良県明日香村教育委員会は2月9日、中大兄皇子、中臣鎌足らによる大化改新をはじめ飛鳥時代の需要なできごとに関する舞台となった「槻(つき)の木の広場」とされる飛鳥寺西方遺跡で、10世紀の土器の皿が数枚重ねられた状態で、複数箇所で見つかったと発表した。平安時代の祭祀(さいし)跡とみられ、平安京への遷都後も広場が特別な空間だったとみられるという。
飛鳥寺西門跡の南西約60㍍で土師器(はじき)の皿(直径10㌢)を5~8枚重ねたものが、110㌢間隔で計3カ所から出土。2㍍北側で皿(直径14㌢)が重なっていた。近くでは炭や焼けた土が交じった長方形の穴も確認された。