尾形光琳の代表作 国宝「燕子花図屏風」公開 根津美術館
江戸時代の画家、尾形光琳(1658~1716年)の代表作、国宝「燕子花(かきつばた)図屏風」が4月13日から東京・南青山の根津美術館で公開されている。5月15日まで。
この作品は平安時代に成立した伊勢物語の第九段東下り、燕子花の名所八つ橋の一節をテーマにしたと考えられている。双金地の六曲一双屏風で、琳派最大の巨匠の一人、尾形光琳が40代前半ごろに手掛けたとされる傑作。
諏訪大社・御柱祭下社山出しの観客9万1000人減少
下諏訪町を舞台とする勇壮な諏訪大社御柱祭の下社山出しは4月10日、目通り(目の高さ)周囲3.35㍍と最も太い「秋宮一之」など御柱3本の「木落し」を行い、3日間の日程を終えた。計8本の御柱は終着点の「注連掛(しめかけ)」で、5月14日に始まる「里曳(び)き」まで安置される。
諏訪地方観光連盟御柱祭観光情報センターによると、氏子と観客を合わせた3日間の人出は延べ46万8000人。平成22年の前回に比べ氏子は2万3000人増えたが、観客は9万1000人減少、合計で6万8000人前回を下回った。同センターでは、安全面を考慮した周辺での通行規制や、木落し坂の無料観覧席の廃止などが影響したと分析している。
日本初の兵糧パン再現 江川英龍家の秘蔵資料公開
伊豆の国市韮山の江川英龍邸を管理する公益財団法人江川文庫は4月9日、「江川邸パンフェスタ」を開いた。日本で初めて兵糧パンを焼いたことから「パン祖」と呼ばれる江川英龍(坦庵)にちなんだ催しで、2015年に続き2回目。
江川家に残るレシピに基づき英龍が焼いたパンを再現したほか、秘蔵資料の特別公開や特産市などを行った。パンの再現には、三島市芝本町の石渡食品が協力した。
当時のレシピは小麦粉と塩、水、酒種を使用。今回は食べやすくするため、多少のイースト菌を加えた。土間の大かまどに火を入れ、レシピに習って鉄鍋を焼いた。本来は携帯食として1年ほど保存できるように、水分を飛ばしてカリカリに仕上げたという。
パンはキリスト教徒ともに日本に伝わったが、徳川幕府が禁止した。それを進取の精神に富み合理的な考え方の持ち主でもあった英龍は、工夫して伝来したもののレシピを変えてパンを焼きあげ、砲術を学ぶために全国各地から江川塾に集まった塾生を通じて全国に広めたのだ。
顕如の書状2通修復 一向一揆の一級資料 石川・林西寺
石川県白山市白峰の林西寺は、16世紀後半、浄土真宗本願寺の11代法主・顕如(けんにょ)が鳥越城主の鈴木出羽守(でわのかみ)に宛てた書状2通(同寺所有)を修復した。
この書状は、一向一揆に対する織田信長軍の弾圧に、勇猛に戦った白山山麓の一揆衆への感謝などを記したもので、県史を語るうえで重要な史料とされる。しかし、傷みが進んでいたため、ここ10年以上公開されていなかった。4月16日から寄託先の石川県立歴史博物館で展示される。
2通の書状「顕如上人書翰(しょかん)二双」は、鈴木出羽守の子にあたる林西寺6代目住職釈幸信(しゃくこうしん)が、同寺へ養子に入る際に持参したと伝わっている。
1578(天生6)年4月12日付の書状は、鈴木出羽守が率いる山麓の山内衆(やまのうちしゅう)の活躍を称え激励する内容で、1580(同8)年4月1日付の書状は、織田信長との講和を伝えている。
石川県文化財修復保存協会は、横折れ対策として太い芯を採用し、風合いを損ねないため、、本紙部分に薄美濃紙、台紙部分に美濃紙を使って展示に耐えられるよう修復した。
天下三名槍「御手杵の槍」旧前橋藩主の末裔が復元
旧前橋藩主の松平大和守家(やまとのかみけ)が代々継承し、東京大空襲で焼失した「御手杵(おてぎね)の槍(やり)」を、17代目の現当主、松平直泰さん(71)が復元した。先祖の徳川家康が逝去して400年の命日にあたる4月17日に前橋東照宮に奉納される。
御手杵の槍は、福岡藩主の黒田家伝来の「日本号」(福岡市博物館所蔵)、戦国武将の本多忠勝が愛用した「蜻蛉切(とんぼきり)」とともに、日本三名槍(そう)として称えられた名高いやりのレプリカは、東照宮で常設展示される。
戦国時代につくられた槍で、手杵の形をした鞘(さや)が名前の由来。刃渡り約140㌢で、柄を含めた全長は約380㌢。同家は参勤交代の際に、馬印として先頭に配置した。近年の刀剣ブームを受けて、松平さんは17日に行われる家康の400回忌、「薨去(こうきょ)400年祭」に合わせて家宝を私費で復元したもの。