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平城京にペルシャ人役人が勤務していた 木簡に名前

平城京にペルシャ人役人が勤務していた 木簡に名前

奈良文化財研究所の調査によると、奈良市の平城宮跡から出土した8世紀中ごろの木簡に、ペルシャ(現在のイラン付近)を意味する「破斯(はし)」という名字を持つ役人の名前が書かれていたことが分かった。
国内でペルシャ人の名前を記した出土遺物が確認されたのは初めてで、奈良時代の日本の国際性を裏付ける成果といえる。
木簡は1966年、人事を扱う式部省があった平城宮跡東南隅の発掘調査で出土した。今年8月、赤外線撮影した結果、役人を養成する「大学寮」でのペルシャ人役人の宿直に関する勤務記録と分かった。
表側の上部に「大学寮解 申宿直官人事」、下部に定員外の特別枠で任じられた役人「員外大属(いんがいだいさかん)」という役職名、中国語でペルシャ人を表す「波斯(はし)」と同じ読み・意味の「破斯」という名字を持つ「破斯清通」という人名と、「天平神護元年(765年)」という年号が書かれていた。

長さ1㍍超の最大級の恐竜足跡、ゴビ砂漠で発見

長さ1㍍超の最大級の恐竜足跡、ゴビ砂漠で発見

岡山理科大学は9月29日、モンゴル・ゴビ砂漠の白亜紀後期(7,000万~9,000万年前)の地層から、長さが1㍍を超える恐竜の足跡の化石が見つかったと発表した。
モンゴル科学アカデミー古生物学地質学研究所との共同調査で、発見したのは恐竜の左後ろ足の跡。長さが1㍍6㌢あり、形状から四足歩行で首や尾が長いのが特徴のティタノサウルスの仲間とみられ、体長は20~30㍍と推定される。
1㍍超の足跡の化石は、世界でも報告例が少なく、非常に珍しいという。

藤原宮跡で旗竿の穴見つかる 律令制下の朝廷儀式で使用

藤原宮跡で旗竿の穴見つかる 律令制下の朝廷儀式で使用

奈良文化財研究所(奈文研)は9月28日、日本初の本格的な都とされる奈良県橿原市の藤原京(694~710年)の中枢部、藤原宮跡で、天皇が正月に臨んだ儀式などに使われた「幢幡(どうばん)」と呼ばれる特殊な旗竿(はたざお)を立てたとみられる7基の柱の穴が見つかったと発表した。
幢幡の数などが奈良時代の正史『続日本紀(しょくにほんぎ)』に記された大宝元(701)年の元日朝賀の記述と合致し、7世紀後半の、藤原不比等を中心に進められたといわれる律令国家形成期の歴史の一場面を、具体的に復元できる手掛かりになるとみられる。
奈文研によると、柱の穴は天皇が重要儀式の際に出御する大極殿院の南門のさらに南約11~21㍍で出土。深さ約80㌢~1㍍、柱の太さは約70㌢とみられる。宮殿の中軸線上に1基、その左右対称の位置に3基ずつ三角形に配置されていた。

国宝・金地螺鈿毛抜形太刀 異例の高純度の金を使用

国宝・金地螺鈿毛抜形太刀 異例の高純度の金を使用

春日大社(奈良市)は、平安時代の傑作として国宝に指定され春日大社に伝わる国宝の「金地螺鈿毛抜形太刀(きんじらでんけぬきがたたち)」の柄(つか)などの装飾金具の一部がきわめて純度の高い金でつくられていたことが分かったと発表した。
専門家によると、この時代の工芸品は銅や銀などにめっきする場合が多く、純度の高い、多量の金が使われるのは異例。金の使用量の多さから、強大な権力者による奉納品との見方が強まった。
太刀の長さは96.3㌢。分析依頼された奈良文化財研究所によるX線CTスキャンなどの調査から、柄や鍔(つば)、鞘(さや)の金具の一部が純金(24金)に近い22~23金とみられることが判明した。
10月1日に開館する春日大社国宝殿で展示する。10月31日まで。

江戸時代初期の様子記した文書 オランダで見つかる

江戸時代初期の様子記した文書 オランダで見つかる

徳川政権が確立する最後の戦となった「大坂の陣」(1614~15年)前後の、江戸時代初期の様子が記された文書がオランダ・ハーグの国立文書館で見つかった。同国ライデン大学と共同調査している国際日本文化研究センター(京都市)がこのほど発表した。
当時、東インド会社の拠点だった長崎の平戸オランダ商館のオランダ人関係者らが1609~1633年に作成した書簡524点や日記で、幕府高官や日本の商人から聞き取った情報などが記されている。
例えば、大坂夏の陣で大坂城が落城した直後の1615年6月11日付の報告には次のような記述がある。東インド会社の商務員ワウテルセンが平戸オランダ商館長に宛てたものだ。
「皇帝(徳川家康)、その息子(徳川秀忠)および全軍は、(豊臣)秀頼の(大坂)城を攻囲するために6月2日に大坂へ出発し同3日に到着した。(形勢不利と判断した)秀頼(軍)の数人の大名が赦免が得られると考え、皇帝側に寝返るため、城に火をつけたが、(事態が発覚し)彼らは逃げる前に秀頼(の指示)によって、その場で(城壁から)落とされて死んだ」とある。

日本人のルーツ探る草船航海 台湾発は1年延期 竹製船案

日本人のルーツ探る草船航海、台湾発は1年延期 竹製船案

日本人のルーツを探る航海実験を進める国立科学博物館などのチームは8月27日、2017年7月に予定していた台湾発の航海を1年延期することを明らかにした。
この実験航海の目的は約3万年前、日本人の祖先がどのようにして琉球諸島へ移住したのかを検証すること。今年7月行われた航海では、草舟で沖縄県の与那国島から約75㌔㍍東の西表島を目指したが、潮流に流され、予定ルートの半分以上を伴走船に引かれる結果に終わっている。
台湾から与那国島への航海は100㌔㍍以上になるほか、黒潮を越える必要もあり、さらに難易度は高い。
東京都内で27日開かれた報告会では今後、与那国島-西表島間の再航海は行わず、台湾発の航海では草船に比べ、耐久性の高い竹を材料に検討する方針が示された。