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秀吉築城の”幻の城”最初の伏見城の石垣見つかる

秀吉築城の”幻の城”最初の伏見城の石垣見つかる

民間発掘調査団体の関西文化財調査会は11月18日、豊臣秀吉が天下統一後の1592年から築城した最初の伏見城(指月城)とみられる石垣が京都市伏見区で見つかったと発表した。
今回見つかったのは、最初の伏見城の石垣の一部とみられ、長さ14.5㍍、高さ2.8㍍。自然のままの石や加工された石が6段から7段積み上げられ、隙間が小さな石で埋められていた。また、石垣に沿って幅がおよそ20㍍とみられる堀の跡も見つかった。
この指月城は、秀吉が築いてわずか4年後に慶長伏見地震(1596年)で倒壊したことから”幻の城”ともいわれる。その後、別の場所で再建されたが、史料が少なく、詳しい位置などは分かっていない。それだけに、城の全容を知るうえで、貴重な遺構として注目されている。

蘭学者・前野良沢が翻訳したオランダ語の原書発見

蘭学者・前野良沢が翻訳したオランダ語の原書発見

江戸時代の蘭学者で『解体新書』の実質的な翻訳者として知られる前野良沢が翻訳し、博物書として江戸時代に紹介されたオランダ語の原書が千葉市で発見され、当時の蘭学を知る貴重な資料として注目されている。
今回発見されたのは、鉱物などを紹介した江戸時代の博物書『諸術秘蔵』のオランダ語で書かれた原書。千葉市の神田外語大学にある海外の書物を集めた文庫で見つかった。
前野良沢は、この『諸術秘蔵』のうち、当時の日本では広く知られていなかったアスベストに関する記述の部分を翻訳したが、原書は見つかっていなかった

秀吉の太閤検地の記録も 奈良の庄屋に伝わる古文書展

秀吉の太閤検地の記録も 奈良の庄屋に伝わる古文書展

奈良県・田原本町の庄屋に伝わる古文書に、太閤検地の記録も残されている、唐古・鍵考古学ミュージアム(青垣生涯学習センター)の田原本町合併60周年記念企画展「小林家文書展-庄屋に伝わる350年の歴史」が、同ミュージアムで開かれている。11月27日まで。
小林家は同町小室で代々庄屋を務め、16世紀末から昭和まで約350年にわたる1,130点ほどの文書が残されている。これらの文書群などは、平成24年度に同町文化財に指定された。
今回の展示会では絵図9点を含む計75点の資料を公開。いずれの資料からも当時の地域の生活が垣間見える内容となっている。このうち最古のものは、天下人となった豊臣秀吉の命令で実施された太閤検地の記録。文禄4(1595)年の大和国十市郡田原本検地帳(写し)で、同家がこれをもとに年貢の徴収実務を行っていたことがうかがえる。
また、干ばつでの不作が続いた明和9(1772)年の救済米の積み増しを求める嘆願文(写し)からは、同家が村人の困窮を訴え、村人と役所の間を取り持った様子が読み取れる。
同ミュージアムの開館時間は9時~17時、月曜休館。

若冲作「果蔬涅槃図」の高精細複製画、誓願寺に奉納

若冲作「果蔬涅槃図」の高精細複製画、誓願寺に奉納

世界的に知られる江戸時代の絵師、伊藤若冲が描いた水墨画「果蔬涅槃図(かそねはんず)」の高精細複製画が完成し11月14日、京都市中京区の誓願寺に奉納された。誓願寺の本堂で関係者が集まる中、完成した複製画が奉納され、法要が営まれた。
この複製画は、若冲が今年、生誕300年を迎えたことを記念して伊藤家の菩提寺である宝蔵寺が、元々所蔵されていた本山の誓願寺に納めようと作製したもの。これまで数多くの文化財の複製を手掛けてきた大手印刷会社の協力を得て作製された。
果蔬涅槃図は、伊藤家一族の冥福を祈るために描かれた作品と言われ、若冲が晩年に野菜と果物で釈迦の入滅を描いた水墨画だ。現在、京都国立博物館に所蔵されている。
この複製画は11月25~27日、京都市中京区の新京極商店街で開催される「若冲ウィーク」で一般公開される。また、実物は11月15日から京都市美術館で開かれている「若冲展」で公開されている。

大坂の陣の両軍の布陣・配置絵図初公開 舞鶴市資料館

大坂の陣の両軍の布陣・配置絵図初公開 舞鶴市資料館

江戸時代に田辺藩主を務めた牧野家に伝わったとされる大坂冬の陣、夏の陣の徳川、豊臣両軍の布陣を描いた絵図が、京都府舞鶴市南田辺の田辺城資料館で展示されている。
大きさは冬の陣が縦120㌢、横84㌢、夏の陣が縦127㌢、横110.5㌢。江戸時代に作成されたとみられ、大坂城や大和川など建物や地形、徳川家康や真田幸村(信繁)をはじめとした各武将の軍の配置や合戦に関する記述がみられる。
「家康との交渉が決裂し、秀頼は籠城の支度を始めた」「真田が天王寺へ出て戦い、多くの敵を討ち取った」などの内容で、戦いの流れや武将の活躍も書き込まれている。
この絵図は牧野家の分家が所有していたもので、今回が初公開。12月18日まで。9時~17時、月曜と11月24日は休館。無料。

秀吉が築いた新たな”御土居”の一部を発掘 本格土木工事

秀吉が築いた新たな”御土居”の一部を発掘 本格土木工事

京都市埋蔵文化財研究所によると、安土桃山時代に豊臣秀吉が、周囲の外敵から守るため、当時の京を囲んで築いた”御土居”の一部が京都市北区の発掘調査で見つかった。
緩やかな段丘に盛り土した急勾配の土塁や、2例目となる地下排水溝があり、御土居の造営法を考えるうえで貴重な史料となりそうだ。
調査地は北区紫野花ノ坊町の住宅地。南北44㍍にわたって御土居が見つかった。自然の段丘の西側を4.5㍍掘り下げて堀にし、生じた土などを段丘に盛り土した跡が良好な状態で確認できた。土塁と堀はともに幅18㍍、堀の底から最も高い位置までの高低差は9㍍と推定される。
握り拳大の石を敷き詰めた長さ6㍍の地下排水溝(幅40㌢、深さ40㌢)も見つかった。この種の地下排水溝は上京区の北野天満宮境内の御土居に続いて2例目。
同研究所は「地形を生かすだけでなく、想像以上に大規模な土木工事を行っていた」とみている。