古都・奈良の夜空焦がす 若草山で冬の風物詩・山焼き
古都・奈良で1月28日、冬の風物詩、若草山(342㍍)の山焼きがあり、寒中の夜空にオレンジ色の炎が浮かび上がった。
スタートは約600発もの盛大な花火だった。これを合図に、消防団員らが33㌶の山肌の草地に火をつけるとみるみる広がり、さながら炎の海となっていく。
ふもとで見守る大勢の観光客らは、目の前で繰り広げられるその炎の迫力に息をのみ、見入っていた。
弥生時代中期の土偶出土 目鼻、耳の穴も原形とどめる
大阪府文化財センターによると、大阪府茨木市の郡(こおり)・倍賀(へか)遺跡で弥生時代中期とみられる人形土製品(ひとがたどせいひん)1点が見つかった。人をかたどった土偶の人形土製品は、弥生中期のものとしては府内では初めてで、ほぼ原形をとどめて出土したのも珍しいという。
今回の発掘調査で、140基を超す墓跡「方形周溝墓」とともに見つかったもので、高さ5.9㌢、胴幅3㌢で、球形の頭部と底が平らな円筒形の胴体部でできている。目鼻だけでなく、耳の穴まである精巧なものという。このほか、碧玉(へきぎょく)製とみられる装身具の管玉(くだだま)3点も見つかっている。
大阪・茨木市で弥生時代の大規模墓跡140基発見
大阪府文化財センターは1月26日、大阪府茨木市の郡(こおり)遺跡・倍賀(へか)遺跡で発掘調査の結果、集落の部分とは別の部分に大小140もの墓の跡が集まっているのが見つかったと発表した。
弥生時代中期のものとみられ、大きなものは縦12㍍、横18㍍、小さなものは約3㍍四方で、様々な大きさの墓跡が混在していた。これらは「方形周溝墓」という形で、周囲が溝で囲まれた墓。弥生時代の状態の良い墓の跡がこれほど多く見つかるのは珍しい。
同センターは「大阪北部の拠点だったとみられる大規模な村」と推定。大阪大学の福永伸哉教授は「墓数が多く、国内有数の規模だ。墓の規模にばらつきがあり、少し階層的な関係が芽生え始めていたことが分かり、集団の内部構造を知る重要な手掛かりになる」と話している。
今回2016年6月以降、約1万6500平方㍍を発掘調査したところ、ほぼ全域で140基以上の墓跡が確認された。
また、これらの墓跡群のすぐ東で22棟分の竪穴建物跡や装身具の管玉、人の歯、人の顔を表現した約6㌢の人形土製品なども見つかった。
淡路・舟木遺跡で大型鉄器工房跡 国内最大級か
兵庫県淡路市教育委員会は1月25日、弥生時代後期の舟木遺跡(淡路市舟木)から大型の鉄器工房跡を確認したと発表した。遺跡中心部から鉄製品57点と工房を含む竪穴建物跡4棟が見つかった。
同市教委は、同遺跡全体の鉄器工房の規模が、南西約6㌔にある国内最大級の鉄器生産集落で国史跡の五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡(淡路市黒谷)をしのぐ可能性があるとしている。
舟木遺跡は約40㌶の大規模な山間地集落遺跡。これまでに約5700平方㍍を調査し、弥生時代後期の竪穴建物跡10棟や土器、中国鏡の破片が出土しているが、鉄器工房は確認されていなかった。
今回出土した鉄製品の明確な使途は分かっていないが、鍛冶に関連したものと、工具とみられる針状のものなどがある。鉄の加工に使った台石や砥石など石製工具42点や祭事用と考えられる弥生時代終末期(3世紀初頭)の土器も出土した。
同市教委は、建物跡は鉄器生産工房と、鉄工具を使用した何らかの生産工房で、大規模な工房群の存在も想定できるとみている。