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奈良・興福寺で阿修羅像など26点一堂に特別公開

奈良・興福寺で阿修羅像など26点一堂に特別公開

奈良・興福寺の仮講堂で、「興福寺 国宝特別公開2017 阿修羅~天平乾漆群像展」(興福寺など主催)が3月15日から始まった。国宝の阿修羅像をを含む八部衆像、十大弟子像など26点が展示されている。6月18日まで。開館時間は午前9時~午後5時まで。東金堂との共通券で大人900円。
これらの像を安置している国宝館が耐震補強工事で年末まで休館中のため、今回は仮講堂に移して公開される。

京都・北野天満宮の樹齢350年の神木・梅の木は接ぎ木

京都・北野天満宮の樹齢350年の神木・梅の木は接ぎ木

菅原道真を祀る京都市上京区の北野天満宮にある樹齢約350年のご神木の梅の木は、接ぎ木によって受け継がれてきた可能性があることが分かった。神社から委託を受けて、この梅の保存に関する研究を進めている大手住宅メーカー、住友林業が、この梅のDNA検査をした結果、明らかになったもの。
検査で、梅の葉と根からそれぞれ細胞を取り出して詳しく分析したところ、葉と根では遺伝子の型が異なっていたという。自然に育った場合、ひとつの梅の木から異なる遺伝子の型が見つかることは考えにくい。そのため、住友林業ではご神木の梅が接ぎ木によって受け継がれてきた可能性があると結論付けた。

広瀬淡窓の咸宜園跡地市有地に 18年度にも発掘調査

広瀬淡窓の咸宜園跡地市有地に 18年度にも発掘調査

大分県日田市教育委員会は3月9日、広瀬淡窓(ひろせたんそう、1782~1856年、儒学者、教育者)が開いた江戸時代最大の私塾「咸宜園(かんぎえん)」の西塾跡地(約1100平方㍍)を地権者から2016年12月に取得したことを明らかにした。これにより、咸宜園跡地はすべて市有地化が完了した。同市教委は、西塾に関する文献を調べたうえで、18年度にも発掘調査に入る。
西塾跡地は広瀬淡窓が1807(文化4)年に咸宜園の最初の塾舎や居宅を建てた場所。明治時代の閉塾後、日田郡役所などとして利用され、昭和初期に国史跡指定を受けた。
なお、咸宜園のうち、秋風庵や遠思楼(えんしろう)が現存する東塾跡は14年度に史跡整備を終えている。
広瀬淡窓の門下生には蘭学者の高野長英はじめ、大村益次郎など多数の俊英がいる。

色鮮やかに蘇った陽明門 日光東照宮の大修理 竣功式

色鮮やかに蘇った陽明門 日光東照宮の大修理 竣功式

世界文化遺産の日光東照宮(栃木県日光市)で3月10日、「平成の大修理」と呼ばれる工事が終わった陽明門の完工を祝う式典「竣功式(しゅんこしき)」が執り行われ、お色直しをした姿が披露された。門の屋根や精細な彫刻が色鮮やかに蘇った。
2013年に始まった今回の大修理は約40年ぶりで、総工費は約12億円。観光への影響を考慮して、当初6年とされた工期を4年に短縮した。また、建設当時の姿を残すため、漆はすべて国産を使うなど、古来の工法で行われた。

平城宮跡から出土の木簡 初の国宝指定へ

平城宮跡から出土の木簡 初の国宝指定へ

文化庁の文化審議会は3月10日、奈良市の平城宮跡から出土した木簡など奈良県に関係する3件の文化財を新たに国宝に指定するよう文部科学相に答申した。
このうち奈良文化財研究所が保管する「平城宮跡出土木簡」は、奈良時代に天皇が儀式や政治を行った平城宮の跡地から見つかったおよそ3200点の木簡。文書や荷札などの木簡があり、中には現在の奈良県から滋賀県に農作業に行くための通行許可証とみられる木簡もある。
このため、当時の社会や日常生活が具体的にうかがえる貴重な史料として、木簡で初めて国宝に指定されることになった。

弥生時代の技術で銅戈鋳造 春日市が再現実験に成功

弥生時代の技術で銅戈鋳造 春日市が再現実験に成功

福岡県春日市教育委員会は、2014年に同市の須玖遺跡群・須玖タカウタ遺跡で出土した弥生時代中期前半(紀元前2世紀ごろ)の青銅器の土製鋳型を分析し、当時に近い技術で再現した鋳型で、武器の銅戈(どうか)を鋳造する実験に成功した。9月に市奴国の丘歴史博物館で行われる考古企画展で公開される。
同市教委は、九州歴史資料館(小郡市)などの支援を受け、コンピューター断層撮影法(CT)による内部構造の把握など、鋳型の分析を進めてきた。そのうえで、「土製の鋳型で実際に青銅器をつくることができていたのか?」という鋳造学の観点から、再現実験に着手した。その結果、鋳型をより強く固定することにより、二度目の実験で成功した。
須玖遺跡群は『魏志倭人伝』に記されている「奴国」の中枢部とされ、北部九州で青銅器生産の中心的な役割を果たしたとされる。2014年に見つかった土製鋳型は、青銅器生産が始まった最初期の技術を解明する手がかりになるとして注目されている。