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百舌鳥・古市4度目挑戦、佐渡鉱山も準備 世界遺産へ

百舌鳥・古市4度目挑戦、佐渡鉱山も準備 世界遺産へ

2019年の世界文化遺産登録を目指し、大阪府はじめ北海道、東北の自治体などが動き出している。
現在明らかになっているのは、「仁徳陵古墳をを含む百舌鳥・古市古墳群」(大阪府堺市、羽曳野市、藤井寺市)、「北海道・北東北の縄文遺跡群」(北海道、青森、岩手、秋田3県)、「金を中心とする佐渡鉱山の遺跡群」(新潟県)などだ。
このうち2013年から国内候補を3度落選し、今回4度目の挑戦になるのが大阪府の百舌鳥・古市古墳群だ。大阪府と堺、羽曳野、藤井寺3市の登録推進本部会議が3月29日、大阪府庁で開かれ、文化庁に提出する推薦書原案を了承した。原案は約650ページ。国が英文でユネスコに提出する推薦書のベースになる。今回の原案では歴史的な価値をより丁寧に説明。保存状態が万全でない古墳10基を候補から除外し、構成資産を45件(49基)に見直した。

石見銀山の坑道跡「大久保間歩」7月から一般公開

石見銀山の坑道跡「大久保間歩」7月から一般公開

島根県太田市は3月23日、世界遺産・石見銀山遺跡内で最大規模の坑道跡「大久保間歩」の公開区域拡大工事を終え、報道陣に公開した。世界遺産登録から10周年を迎える今年7月から一般公開される。
大久保間歩は、江戸時代の初代銀山奉行・大久保長安が馬に乗って入ったという伝承がこの名前の由来で、全長900㍍とされる。同間歩は江戸~明治時代に掘削された。
坑道口から160㍍までは、2008年から一般公開されていたが、市は約3000万円を投じ、さらに15㍍奥まで公開区域を拡大した。これにより良質な銀が豊富に採取された空間「福石場」(高さ約20㍍、幅約15㍍)が見学可能となった。遺跡の坑道図面には11カ所の福石場が記載されているが、一般公開は初めて。

南極の海氷 観測史上最小に 2000年代より3割減

南極の海氷 観測史上最小に 2000年代より3割減

国立極地研究所と宇宙航空研究開発機構(JAXA)は3月23日、南極域の海氷面積が3月1日に過去最小を記録したと発表した。JAXAの観測衛星「しずく」のデータを分析した。
発表によると、この日の面積は約214.7平方㌔㍍。1978年に始めた観測で、これまでの年最小面積だった1997年2月19日の約225.1万平方㌔㍍を下回った。今回の値は2000年代の年最小面積の平均より3割も少ないという。今年は2月11日に97年の記録を更新、3月1日まで小さくなり、2日から回復傾向が確認されている。
海氷は、南極では9月ごろ最大に、2月ごろに最小となる。北極はほぼその反対で、地球上にある海氷面積の合計は例年2月ごろに最小となる。米航空宇宙局(NASA)も3月23日、今年2月13日に合計面積が観測史上最小になったと発表している。

藤原定家『明月記』の「赤気」はオーロラ 極地研など

藤原定家『明月記』の「赤気」はオーロラ 極地研など

国立極地研究所や国文学研究資料館などのチームは、平安・鎌倉時代の著名な歌人、藤原定家(1162~1241年)が日記『明月記』に書き記した「赤気(せっき)」という現象について、研究・解析した結果を米地球物理学連合の学術誌に発表した。
これによると、赤気とは「太陽の異常な活発化によって京都の夜空に連続して現れたオーロラだった可能性が高い」という。同チームは過去2000年の地磁気の軸の傾きを計算した。その結果、北米大陸方向に傾いている現在の軸が、1200年ごろには日本列島側へ傾いていてオーロラが出現しやすい時期だったことが分かった。また、中国の歴史書『宋史』の同2月の記録に「太陽の中に黒点があり、ナツメのように大きい」と書かれていることに着目。この時期は太陽活動が活発化していた可能性が高いと分析した。
明月記には1204年2~3月にかけて、京都の北から北東の夜空に赤気が連続して現れ、定家は「山の向こうに起きた火事のようで、重ね重ね恐ろしい」と書き記している。この時代、連続したオーロラの観測記録としては国内最古という。

「聖徳太子」「鎖国」復活へ 指導要領改訂案を修正

「聖徳太子」「鎖国」復活へ 指導要領改訂案を修正

文部科学省は、小中学校の学習指導要領の改訂案で不評だった「聖徳太子」「鎖国」など歴史上の人物や出来事などの表記を一転、元に戻したり、復活させることが分かった。こうした修正を反映した指導要領は3月末に告示される。
文科省は3月15日まで改訂案について、パブリックコメントで意見を募った。その結果、とくに不評だったのが聖徳太子の表記。改訂案では、小学校で「聖徳太子(厩戸王=うまやどのおう)」、中学校は「厩戸王(聖徳太子)」としていた。これは学会などの歴史研究を踏まえたものだった。しかし、「小中学校で表記が異なると教えづらい」といった声が出て、国会でも「歴史に対する冒瀆(ぼうとく)だ」などの批判の声が相次いだ。
このため、文科省は小中学校とも「聖徳太子」に戻し、中学の指導要領には「古事記や日本書紀で『厩戸皇子』などと表記され、のちに『聖徳太子』と称されるようになった」などと加えることにした。

山形・庄内砂丘で平安時代に起きた巨大津波の痕跡

山形・庄内砂丘で平安時代に起きた巨大津波の痕跡

山形大学の研究チームの調査によると、山形県の庄内砂丘でこれまで知られていなかった、高さ30㍍を超えるような巨大津波に襲われていた可能性を示す痕跡が見つかった。
山形大の研究チームは、海岸からおよそ1㌔ほど内陸に入った斜面にある泥の層に着目。この泥の層は標高25㍍から37.9㍍の付近にあり、含まれていた植物から年代を測定したところ、西暦1000年代から1100年代前半、平安時代後期にできたとみられることが分かった。同チームは、巨大津波によって、低いところにあった近くの沼の泥が巻き上げられたみている。
山形県の想定では、今後起こる可能性のある巨大地震等自然災害による津波の高さは最高で16.3㍍としており、今回見つかった痕跡が津波によるものだとすると、想定を大幅に上回ることになる。