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奈良・橿原市で弥生期の脚付き編み籠出土 全国初

奈良・橿原市で弥生期の脚付き編み籠出土 全国初

奈良文化財研究所は6月21日、奈良県橿原市の瀬田遺跡で弥生時代後期末(2世紀後半)の箱形の脚が付いた編み籠が見つかったと発表した。脚付きの編み籠の出土は全国初。
円形周溝墓から台座のような脚が付いた編み籠が出土。ラーメン鉢のような形とみられるが、半分は失われ、つぶれた状態で出土した。上辺9㌢、下辺11㌢、高さ3.5㌢の台形の板を四つ組み合わせ、植物で結んで脚同士と籠を固定している。ササ類の茎で編まれ直径約30㌢。底部は「網代編み」、側面は「ござ目編み」など部分によって4種類の編み方を使い分けていた。
同研究所では、状態も良く、素材や製作方法が分かり、弥生時代の工芸技術を知る貴重な例-としている。食料の運搬や貯蔵などに使った日用品と考えられるという。脚付きは、土の上に直接置かないようにするためだったとみられる。

出島和蘭商館跡と対岸結ぶ新設「出島表門橋」試験点灯

出島和蘭商館跡と対岸結ぶ新設「出島表門橋」試験点灯

長崎市の国史跡「出島和蘭(オランダ)商館跡」と、川をはさんだ対岸を結ぶ「出島表門(おもてもん)橋」で6月20日、LED照明の点灯試験があった。
鎖国下の江戸時代にあっても、外国への唯一の門戸となっていた出入口「出島」の石橋が撤去されて以来、約130年ぶりに架かる表門橋は11月に完成する予定だ。同日は橋げたに取り付けられた6120個のLED灯が、さながら江戸時代と現代をつなぐ光の列のように梅雨空の夕暮れに淡く浮かび上がった。橋は11月24日に予定されている完成記念式典から渡れるようになり、夜間にはこのLED照明が点灯される。

大山崎瓦窯跡で平安京造営時の瓦窯跡の範囲確定

大山崎瓦窯跡で平安京造営時の瓦窯跡の範囲確定

京都府・大山崎町教育委員会は、国史跡・大山崎瓦窯跡(大山崎町大山崎)でこれまで確認されていた最北端の窯跡の北から瓦を大量に廃棄した大きな穴が出土したと発表した。
穴は直径約10㍍、深さ0.7㍍で、中から瓦片が大量に見つかった。この穴以北に窯跡はなく、遺跡の北端と判明。この結果、同窯跡がこれまでの調査で出土した12基(南半分の10基と北半分の2基)の窯の範囲で確定した。
同教委では、北半分の2基が瓦を製造する過程で生じた焼け損じ品などを、今回見つかった穴に捨てたものとみている。瓦の様式から、2基は平安京に遷都した桓武天皇の息子、嵯峨天皇の時代に瓦を供給していたことも分かった。

龍馬の手紙 新たに6枚発見 文面に西郷、高杉ら登場

龍馬の手紙 新たに6枚発見 文面に西郷、高杉ら登場

高知県は6月15日、坂本龍馬(1836~1867年)が兄・権平の家族に宛てた手紙が新たに6枚見つかったと発表した。これらの手紙には龍馬が京・伏見の船宿、寺田屋で幕府の役人に襲撃された事件や、幕府と長州藩との戦争の様子が生々しく記述されている。幕末動乱の時代を動かした当事者の記録だ。
県などによると、6枚の手紙はいずれも縦25㌢で、幅は30㌢前後。龍馬が慶応2年12月4日(1867年1月)に記したもの。手紙の存在は写本で知られ、原本の一部も見つかっていたが、この6枚は今回初めて原本が確認された。
手紙の1枚目は寺田屋事件について記している。幕府役人の追手を辛くも逃れ、かくまわれた薩摩藩亭で小松帯刀や西郷隆盛らと語り合い、笑ったことなどが書かれている。3枚目の文面には幕府と長州藩との戦争が描写されている。奇兵隊を組織した長州藩の高杉晋作が錦ののぼり旗を振って指示を出したり、味方の戦意高揚を図るため酒を振る舞い気勢を上げる様子などが記されている。

名古屋城襖絵 来秋にも本丸御殿で初の一般公開

名古屋城襖絵 来秋にも本丸御殿で初の一般公開

名古屋市は6月12日、名古屋城本丸御殿で国重要文化財の襖(ふすま)絵「竹林豹虎図(ちくりんひょうこず)」の実物を2018年秋にも設置、展示すると発表した。これまで単体で展示されたことはあるが、敷居と鴨居にはめ込んだ形での一般公開は、当初の本丸御殿の戦災焼失後、初めて。
竹林豹虎図は1614年、狩野派の絵師が描いた全4枚、表裏8面の襖絵。名古屋城来訪者の控室だった玄関の一之間と二之間の境に設置されていた。本丸御殿は太平洋戦争末期、1945年5月の空襲で天守とともに焼失したが、竹林豹虎図を含む障壁画1047面は空襲前に疎開していたため、現存している。

ブラジル移民とコーヒーの歴史展 神戸・交流センター

ブラジル移民とコーヒーの歴史展 神戸・交流センター

明治末期、神戸からブラジルに渡った移民たちをきっかけに、日本で広く知られることになったコーヒーの歴史をたどる展示会が、神戸市中央区の海外移住と文化の交流センターで開かれている。神戸港開港150年記念事業の一環。
同展では、明治41年に最初の移民が神戸港から出港し、ブラジルでコーヒー栽培を始めたことなど、移民とコーヒーのつながりを示すパネルや資料など48点が展示されている。
この中には最初の移民たちを引率し、”移民の父”として知られる水野龍氏が、サンパウロ州政府と交わしたコーヒー豆の無償提供を受ける契約書もあり、水野氏がこの豆をもとに日本にコーヒーを広めた経緯も紹介されている。