@club2 のすべての投稿

国内最古の真珠と確認 飛鳥寺で約60年前に出土

国内最古の真珠と確認  飛鳥寺で約60年前に出土

奈良文化財研究所の最新の分析によると、6世紀末に建立された日本最古の本格的な寺、奈良県明日香村の「飛鳥寺」で、およそ60年前に行われた発掘調査で出土した品々の中に真珠があったことが確認された。国内の寺で出土した真珠としては最も古いという。
真珠は直径1.5㍉から2㍉ほどの大きさで14個あり、真ん中には小さな穴が開けられている。ガラス玉や武具などとともに出土したが、傷みが激しく、これまで材質は分かっていなかった。同研究所のX線など最新の方法で分析した結果、主な成分が炭酸カルシウムで何層も重なってできていることなどが分かり、真珠と確認された。
真珠は仏教の世界では七つの宝、「七宝」の1つとされ、金や銀と並ぶ貴重なものとして珍重されてきたが、国内の寺で見つかった埋納品としては最も古いという。

若冲の墨画発見 塩飽水軍の子孫所有 鑑定番組で

若冲の墨画発見 塩飽水軍の子孫所有 鑑定番組で

江戸時代の、鶏をモチーフにした作品で知られる画家、伊藤若冲(1716~1800年)の鶏図(墨画)が見つかった。今回見つかったのはテレビの鑑定番組に出されて本物と分かったもの。かつて瀬戸内海で活躍した塩飽(しわく)水軍の本拠地、香川県丸亀市の本島にある水軍の子孫の旧家で、50年以上、蔵で眠っていたものという。
作品は、若冲が得意とした鶏を描いた左右一対の掛け物で、雄がひなと雌を見守っている構図。鑑定で「本物」と判定され、1500万円の評価額が付いた。

「お千度の儀」「くじ取り式」祇園祭の行事始まる

「お千度の儀」「くじ取り式」祇園祭の行事始まる

7月に入り、京都の夏を彩る祇園祭の様々な行事が始まった。1日には「お千度の儀」、2日には「くじ取り式」が行われた。
祇園祭の無事を祈る神事、お千度の儀は八坂神社(京都市東山区)で、山鉾巡行で先頭を行く長刀鉾の稚児らが祭りの無事を祈った。
2日には祇園祭の見せ場となる山鉾巡行で、山と鉾が進む順番を決めるくじ取り式が、京都市議会の議場で行われた。
くじ取り式は、あらかじめ順番が決まっている山と鉾を除く24基の順番を決めるもので、争いを避けるためおよそ500年前に始まったといわれている。紋付き袴姿の山と鉾の代表者が、京都市の門川市長の立ち会いのもと、くじを引いていく。
その結果、前祭(さきまつり、7月17日)の巡行で先頭を務める「長刀鉾」の次を行く注目の山一番は「占出山」、また後祭(あとまつり、同24日)で「橋弁慶山」と「北観音山」の次を行く山一番を引き当てたのは「鯉山」だった。

2000万年前のキノコ蘇る 八戸沖海底で採取の菌類

2000万年前のキノコ蘇る 八戸沖海底で採取の菌類

海洋研究開発機構(神奈川県横須賀市)によると、地球深部探査船「ちきゅう」が2012年に八戸沖の海底から取り出された地層から約2000万年前に陸地と一緒に海に沈んだとみられる菌類が採取されたことが分かった。
69の菌類が見つかり、このうち「スエヒロタケ」の一種を培養すると子実体(キノコ)を形成した。人類の誕生以前の菌類であり、現代と比較することで、人の活動が地球の生命進化に与えた影響などを知る手がかりとなる可能性があるという。
菌類はアクレモニウム、スエヒロタケ、アオカビなどで、一般にはカビやキノコとして知られる。古代の森林や湿地に生息していた菌類の胞子が海底で保存され、研究室の培養で蘇ったとみられる。

板垣退助がルイ・ヴィトンの鞄を日本人で初めて購入

板垣退助がルイ・ヴィトンの鞄を日本人で初めて購入

フランスの高級ブランド「ルイ・ヴィトン」の鞄を日本人で初めて購入したのは、自由民権運動の指導者、板垣退助だったことが分かった。
板垣の事績を顕彰する「板垣会」の公文豪・副理事長がルイ・ヴィトンジャパン(東京都)を通じてパリ本店に照会して判明した。
記録によると、1883(明治16)年1月9日に「Itagaki」という人物がシリアルナンバー「7720」のトランクをパリで購入していることが判明し、名前とナンバーが板垣の子孫が保管していたトランクと一致した。そして、この3週間後の同月30日、後藤が2つのトランクを購入した記録があるが、現物は確認されていない。
高知県はこれまで元土佐藩士で、明治新政府で要職を務めた後藤象二郎と紹介してきたが、これよりさらに3週間早く板垣が購入していたことが分かったもの。
共に土佐藩士だった板垣と後藤は1882(明治15)年、横浜からフランスの郵船に乗り、香港などを経てパリに到着。その後もロンドンなどを外遊し、翌年帰国している。

三浦按針墓地を発掘調査 骨片出土 長崎・平戸

三浦按針墓地を発掘調査 骨片出土 長崎・平戸

徳川家康の外交顧問を務め、平戸で没した英国人ウイリアム・アダムス(日本名:三浦按針)を埋葬したとされる平戸市大久保町の公園で6月27日、市が発掘調査を始めた。初日は骨片などが見つかり、市は按針の遺骨かどうか調べる。
調査場所は崎方公園の「三浦按針墓地」一帯で墓の位置を示す石碑周辺(縦1.8㍍、横3㍍)と隣接する道路部分(縦2㍍、横4㍍)、石碑を取り除くと、下から縦約10㌢、横約60㌢、厚さ約40㌢の骨片1個と、割れたつぼが見つかった。
按針はオランダ、イギリスの商館が平戸に開設される際にも活躍し、故郷へ戻ることなく1620年に死没した。1931年10月11日付の長崎新聞は、周辺を調査した警察署員や当時の平戸町助役らが、人の頭部や足の骨片数十個を発見したと報じている。ただ市によると、再び埋め戻したとの話もあり、資料がなく不明という。