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南方熊楠の手紙確認 昭和天皇の神島来訪を期待

南方熊楠の手紙確認 昭和天皇の神島来訪を期待

南方熊楠が同郷のジャーナリスト、杉村楚人冠に宛てた、昭和天皇の田辺湾の神島来訪を期待する旨を記した手紙が見つかった。千葉県我孫子市の「杉村楚人冠」記念館が、楚人冠の遺族から寄託された資料の中から見つけ、筆跡や内容などから熊楠のものと確認した。
これは熊楠が昭和4年5月に出した手紙で、生物学に造詣の深かった昭和天皇の神島来訪を切に期待する思いを記している。実際に1カ月後に、昭和天皇の神島訪問が実現し、熊楠は自ら採取した標本を献上している。
関係者は、神島に天皇を迎えることは、その保護に取り組んできた熊楠にとって千載一遇の機会だった。そんな熊楠の意気込みや期待感が表れた資料-と話している。
南方熊楠はイギリスの大英博物館などで研究に取り組んだ後、現在の和歌山県田辺市を拠点として粘菌学や民俗学など多岐にわたる分野で活動、数多くの業績を残した世界的な博物学者。

世界最古の生命の痕跡発見 39億年前の岩石から

世界最古の生命の痕跡発見 39億年前の岩石から

東京大学などの研究グループは、カナダで採取した39億年前の岩石から世界最古とみられる生命の痕跡を発見したと発表した。
同大学の小宮剛准教授らの研究グループは、カナダ北東部ラブラドル半島にあったおよそ39億5000万年前の岩石を採取し、詳しく調べた。その結果、自然界に存在する3種類の炭素のうち、生物の体内に多い最も軽い炭素の割合が高い塊が見つかり、研究グループでは生物の死骸の痕跡だと結論付けた。
痕跡の大きさは数十マイクロ㍍で、細胞内に核を持たない原始的な生物で、泥が積もってできた岩石から出てきたので、海に生息していたのではないかと考えられるという。
これまで確認された世界最古の生命の痕跡は、グリーンランドで見つかった38億年前のものだが、今回の発見はそれよりも1億年以上古いとしている。

主要作品集め「運慶」特別展 東京・国立博物館

主要作品集め「運慶」特別展 東京・国立博物館

天才仏師の運慶の主な作品を集めた特別展「運慶」が9月26日、東京・上野公園の東京国立博物館で始まった。11月26日まで。10月9日を除く月曜日休館。料金は一般1600円。
今回の特別展で特筆されるのは、肖像彫刻の最高傑作といわれる運慶作の無著(むじゃく)・世親菩薩立像(せしんぼさつりゅうぞう、1212年ごろ、国宝)と、近年運慶に手によるものとの可能性が指摘されている、四天王立像(13世紀、国宝)が顔を揃えたこと。どちらも運慶工房が奈良・興福寺北円堂のために制作したとの仮説に基づく展示で、仏像が居並ぶ、厳かな雰囲気の中、高さ2㍍前後の6体が”静”と”動”の見事なコントラストを演出している。

二葉亭四迷の死 漱石が夫人へ宛てたお悔み状初公開

二葉亭四迷の死 漱石が夫人へ宛てたお悔み状初公開

東京都目黒区の日本近代文学館で9月23日から、小説家・二葉亭四迷(1864~1909年)の死を知った夏目漱石(1867~1916年)が、四迷の夫人(長谷川柳子)に宛てたお悔み状が初公開されている。漱石全集にも未収録で、同館が四迷の遺族から2016年、寄贈を受けたもの。
当時、四迷と漱石は朝日新聞社員で同僚だった。四迷は特派員としてロシアに赴任していたが、病気で帰国途上、客死した。漱石は1909年5月15日付の朝日新聞で四迷の死を知り同日、日記に「二葉亭印度洋上ニテ死去。気の毒なり。遺族はどうする事だろう」と書き、柳子宛てに手紙を出したことも記している。ただ、その手紙は不明だった。
日本近代文学館の企画展「漱石・芥川・太宰から現代作家まで」は11月25日まで。

大伴家持生誕1300年「家持の時代展」人間像を紹介

大伴家持生誕1300年「家持の時代展」人間像を紹介

越中国守で万葉集の代表的歌人、大伴家持(おおとものやかもち)の生誕1300年を記念した「家持の時代展」が富山県高岡市で開かれている。10月22日まで。
同展では国宝2点はじめ、重要文化財を含む貴重な歴史資料を通じて大伴家持の人間像と、桓武天皇の御世、785年、長岡京の造宮使だった藤原種継暗殺事件に連座した者として死後、告発されるなど藤原氏主導の、彼が生きた波乱に満ちた時代を紹介している。
また、家持が国守として自筆した署名のある役所の公文書などおよそ90点の資料が並び、当時の生活や文化を感じ取ることができる。
家持は746年から5年間、国守として現在の高岡市伏木で過ごし、この間に万葉集の223首を詠んだとされている。

平安後期の大型住居跡 岩手県九戸村・外久保遺跡

平安後期の大型住居跡  岩手県九戸村・外久保遺跡

岩手県・九戸村教育委員会が発掘調査を進めている同村長興寺の外久保(そとくぼ)遺跡で、平安時代後期(10世紀後半)とみられる大型の竪穴住居跡が見つかった。
面積は約72平方㍍と県北の高地性集落では最大規模。南北を崖に挟まれ、尾根をふさぐような立地も珍しく、調査関係者は「特殊な役割や仕事を担う場所だったのではないか」とみている。
同遺跡は約2700平方㍍で、近接する同村江刺家の県史跡・黒山の昔穴(むかしあな)遺跡の関連調査として7月に発掘を始めた。これまで4棟の住居跡が見つかり、大型住居跡からは鉄をつくる炉へ風を送る羽口(はぐち)や鉄器の破片などが出土。鍛冶を行っていた可能性もあるという。