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伏見城跡で”秀吉時代”の石垣見つかる

伏見城跡で”秀吉時代”の石垣見つかる

京都市伏見区の伏見城跡で、徳川家康が築いた石垣の内側から、それ以前の豊臣秀吉が築いたとみられる別の石垣が新たに見つかった。この石垣は伏見城跡の西側で予定されているマンションの建設に先立って行われた発掘調査で見つかったもの。
不動産調査会社の発表によると、家康が築いた石垣の内側から幅4.2㍍にわたって別の時期に築かれたとみられる石垣が新たに見つかったという。石の表面が赤茶色に変色したり、ひびが入ったりするなど炎にさらされた痕跡があることから、「伏見城の戦い」で焼けた秀吉時代の石垣とみられる。
秀吉の大坂城が焼失・崩落した後、家康によって再建された大坂城でもそうであったように、家康は伏見城再建にあたり、豊臣の城の痕跡を消すようにして石垣をつくり直し、天下人としての権威を世に知らしめようとしていたとみられる。
伏見城は1594(文禄3)年に豊臣秀吉が築城し、大地震で倒壊した後は、場所を変えて新たに築かれた。その後、関ケ原の戦いの前哨戦「伏見城の戦い」で焼け落ちたが、徳川家康によって建て直された。

与謝蕪村の”遊び心”伝わる、未知の8句見つかる

与謝蕪村の”遊び心”伝わる、未知の8句見つかる

「春の海 ひねもすのたり のたりかな」「菜の花や 月は東に 日は西に」などの句で知られ、俳画にも特異な才を発揮した江戸中期の俳人、与謝蕪村(よさぶそん、1716~1783年)が詠んだ未知の8句が見つかった。清泉女学院大の玉城司客員教授が京都市の古美術商から入手した資料で判明した。
句には、蕪村のひいきの芸者2人の名を組み合わせた名前が記され、一緒に軸装された弟子の松村月渓の画の文章が”種明かし”している。縦22.6㌢、横33㌢の紙に「昨非(さくひ)評十題」として、計10句が記されている。署名は「雛糸(ひな・いと)」。
その事情を説くのが月渓の画(縦19.2㌢、横31.4㌢)の文章。蕪村を指す「夜半翁(やはんおう)」が「昨非をだまして、その日の「座の」笑いを取ろうと、わざと下手な字で下手な句を詠んだ」との内容を説明するとともに、芸者の「小ひな」と「小糸」の2字を「かりそめに、たわむれの名(雛糸)」にしたと明かしている。句自体の評価はさておき、これらの経緯から蕪村の”遊び心”がたっぷり伝わってくる。

中生代に繁栄した海の爬虫類の最古の化石を発見

中生代に繁栄した海の爬虫類の最古の化石を発見

東京大学、ドイツのボン大学などの調査研究チームは、ドイツの約2.05億年前(三畳紀最末期)の地層から、中生代に繁栄した海の爬虫類、首長竜(プレシオサウルス類)の最古の化石を発見し、新属新種としてラエティコサウルス・メルテンシと命名した。
これまで首長竜は中生代のジュラ紀に出現したと考えられてきたが、今回の発見により首長竜の起源がジュラ紀より古い三畳紀まで遡ること、また首長竜が三畳紀・ジュラ紀境界(約2.01億年前)に起きた大量絶滅を生き延びていたことを明らかにした。
ラエティコサウルスを含む首長竜は、ずんぐりした体幹と4枚の翼状のひれを持ち、外洋で効率的に泳ぐことに適していたと考えられる。さらに骨組織の解析から、ラエティコサウルスを含む首長竜が爬虫類としては例外的に体温を高く保つことによって早く成長していたことも分かったとしている。

今年の漢字は「北」ミサイル発射繰り返した北朝鮮など反映

今年の漢字は「北」ミサイル発射繰り返した北朝鮮など反映

今年の世相を漢字ひと文字で表す「今年の漢字」が12月12日、京都・清水寺で発表され、「北」が選ばれた。例年通り、京都に本部がある日本漢字能力検査協会が一般から募集した結果、「北」が最も多かった。
この理由は①国連安保理の避難や警告を無視し、北朝鮮が弾道ミサイルの発射を繰り返すなど北朝鮮の動向に振り回され、脅威と不安を感じた1年だった②九州北部豪雨の災害で、福岡県朝倉市や大分県日田市などで大きな被害に見舞われた―などが挙げられている。
なお、2番目に多かったのは政治家の様々な不祥事など政治に絡む問題が相次いだことなどから「政」、3番目は「不」だった。

信長居館跡・庭園にカラフルな石敷き詰めた池の痕跡

信長居館跡・庭園にカラフルな石敷き詰めた池の痕跡

岐阜市教育委員会はこのほど、岐阜公園内にある織田信長居館跡の発掘調査で、庭園に赤、青、黄などカラフルな石を敷き詰めた池の痕跡が見つかったと発表した。
識者らは、平安時代の公家文化を取り入れたと推測。同市教委は、信長が招いた客人をもてなすため設けたものとみている。池に水がたまっていた跡は東西4㍍、南北1.8㍍。長径2~3㌢の河原石およそ1万個が敷き詰められていたとみられる。
石を敷き詰めた池は、平安時代中期、栄華を極めた貴族、藤原頼通が造った平等院鳳凰堂(京都府宇治市)の池などにもみられる。
調査は2007年に始まり、本年度が最後。庭園はこれまで7カ所が確認され、今回見つかった池は、居館南側の「庭園3」。

福岡・仲島遺跡で後漢の銅鏡、完全な形で出土

福岡・仲島遺跡で後漢の銅鏡、完全形で出土

福岡市によると、同市博多区の仲島遺跡で、2世紀前半(弥生時代後期)に中国・後漢で製作されたとみられる銅鏡が完全な形で見つかった。
弥生後期の銅鏡が欠けたり割れたりしていない状態で発掘されるのは極めて珍しく、福岡平野では初めてという。
今回見つかった銅鏡は直径11.3㌢で、「内行花文鏡」と呼ばれるタイプ。こうもりのような紋様に、子孫繁栄を意味する「長宜子孫」4文字が刻印されていた。さびもなく、ものがかすかに映り込むほど鏡面の状態が良かった。