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大阪・藤井寺市の林遺跡で釣鐘の鋳造跡

大阪・藤井寺市の林遺跡で釣鐘の鋳造跡

 大阪府藤井寺市教育委員会は6月27日、同市の林遺跡で大小2基の釣鐘の鋳造跡が見つかったと発表した。出土した土器や瓦の年代から7世紀末から8世紀前半(飛鳥~奈良時代)に使われていたとみられる。

  大きい釣鐘の遺構は長辺3.5㍍、短辺3㍍の穴が掘られ、底には平瓦が並べられていた。同市教委によると、近くに7世紀後半に創建された拝志廃寺があったことから、同寺で使う鐘がつくられていた可能性があるという。

大仏次郎の生原稿発見 当時の編集者宅で

大仏次郎の生原稿発見 当時の編集者宅で

 小説『鞍馬天狗』などの作品で知られる作家の大仏次郎(1897~1973年)が59年に執筆したノンフィクション「パナマ事件」の生原稿や手紙が当時の編集者、秋山範義さん(故人)宅で見つかり、6月25日までに大仏の養女、野尻政子さん(85)=神奈川県鎌倉市=に返却された。

 野尻さんは24日、それらを大仏次郎記念館(横浜市)に寄贈。同館で近く公開される見通し。返却されたのは、週刊誌「朝日ジャーナル」創刊時に掲載され、後に単行本化された『パナマ事件』全27回分の生原稿。このほか、風間完さん(1919~2003年)の挿絵、ノンフィクション『パリ燃ゆ』の粗筋が書かれた生原稿、その取材のために赴いたパリからの手紙なども見つかり、寄贈された

富岡製糸場 世界遺産登録が正式決定 産業遺産で初

富岡製糸場 世界遺産登録が正式決定 産業遺産で初

 カタール・ドーハで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)の第38回世界遺産委員会は6月21日、「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県)の世界文化遺産への登録を正式決定した。委員会は遺産群について「国際的な技術交流を示す貴重な存在だ」と高く評価した。日本の世界遺産登録は18件目で、近代の「産業遺産」としては初めて。

 富岡製糸場と絹産業遺産群は富岡製糸場(群馬県富岡市)、近代養蚕農家の原型「田島弥兵旧宅」(伊勢崎市)、養蚕教育機関「高山社跡」(藤岡市)、蚕の卵の貯蔵施設「荒船風穴」(下仁田町)の計4資産で構成する。

    1872年に官営で操業開始。1893年に三井家、1902年に原合名会社、1939年に片倉工業へと経営は移り変わったが、施設はほぼ原型のまま引き継がれた。そして、1987年に操業停止した片倉工業は2005年に富岡市に寄贈するまでの18年間、「売らない、貸さない、壊さない」の3原則を掲げて、年間1億円をかけ維持管理に努めた。

          

軍艦島を国史跡に 世界遺産登録目指し保全枠組み

軍艦島を国史跡に 世界遺産登録目指し保全枠組み

 文化審議会は6月20日、端島(通称・軍艦島)や高島を含む幕末から昭和期の炭鉱跡で構成する「高島炭鉱跡」(長崎市)など9件を史跡に指定するよう下村博文文部科学相に答申した。端島などは「明治日本の産業革命遺産」の一部として、政府が2015年の世界文化遺産登録を目指しており、保全の枠組みが整う。また、45万年前のワニ類の化石「マチカネワニ化石」(大阪府豊中市)など6件を登録記念物とするよう求めた。近く答申通り告示され、史跡は1733件、登録記念物は88件となる。

与謝野晶子の未発表短歌 愛知の飲食店で発見

与謝野晶子の未発表短歌 愛知の飲食店で発見

 歌人の与謝野晶子(1878~1942年)の直筆で、全集などにも載っていない未発表の短歌2首が、愛知県津島市の飲食店で見つかっていたことが6月16日、分かった。津島市立図書館によると、未発表作は「くれなゐの牡丹咲く日は大空も地に従えるここちこそすれ」と、「春の夜の波も月ある大空もともに銀糸の織れるところは(あるいは「ところぞ」)」。いずれも晶子の署名がある。

    飲食店「まのや」で直筆の短歌5首が書かれた短冊が入った箱が見つかり、図書館に鑑定依頼があった。図書館や、晶子の生地、堺市にある堺市立文化館与謝野晶子文芸館が、筆跡鑑定や文献調査などを行い直筆と判明。うち2首が歌集や雑誌に掲載されていないことが確認された。

    晶子は1935年10月、津島高等女学校(現県立津島高)の創立20周年記念式典で講演するため津島市を訪問。「まのや」で食事をした際に書かれたという。箱の中には、歌人柳原白蓮の短冊もはいっていたが、別の機会に白蓮が名古屋市を訪れた際に詠んだとみられる。

白色鮮やかな新生「白鷺城」改修の囲い撤去

白色鮮やかな新生「白鷺城」改修の囲い撤去

 兵庫県姫路市の世界遺産・姫路城で、大天守を覆っていた改修作業用の囲いが6月14日までに、ほぼ撤去され、鮮やかな白色に塗り直された「白鷺城」が再び姿を現した。改修は2009年10月にスタート。囲いは10年12月に完成して大天守が見えなくなっていた。屋根の修理としっくいの塗り替えが終わり、囲いの撤去が進められていた。今後は石垣に残る囲いや基礎の撤去し、2015年3月27日から内部公開される。