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清水寺で15世紀「応仁の乱」で焼失「轟門」礎石確認

清水寺で15世紀「応仁の乱」で焼失「轟門」礎石確認

京都府教育委員会は11月11日、清水寺(京都市東山区)の重要文化財「轟(とどろき)門」の解体修理に伴う発掘調査で、15世紀中ごろの礎石が見つかったと発表した。現在の轟門は1633年の建立。今回南半分の地中を調査したところ、それより古い遺構が四つの時期にわたって確認された。このうち15世紀のい遺構で見つかった礎石1個は幅約50㌢、奥行き約40㌢、高さ約25㌢。礎石と同時代の土に焼けた跡があることから、門は応仁・文明の乱で焼失したとみられる。その前後の年代の地層でも、礎石を据えた穴の遺構や瓦の一部が見つかり、江戸初期までの約200年間に少しずつ位置をずらして、頻繁に建て替えられたことも分かった。門の変遷を裏付ける史料となりそうだ。

平安期の東北の英雄アテルイらに思い馳せ、記念の法要

平安期の東北の英雄アテルイらに思い馳せ、記念の法要

平安時代の蝦夷の英雄、アテルイとモレの顕彰碑が建立されて20年を記念する法要が11月8日、碑が建つ京都市東山区の清水寺で営まれた。二人にゆかりのある岩手県と福島県の関係者や、関西在住の東北出身者ら約150人が集い、1200年前の歴史に思いを馳せた。

アテルイとモレは当時の東北地方の指導者で、平安時代、桓武天皇の御世、朝廷から派遣された征夷大将軍・坂上田村麻呂らと数次にわたり激闘を繰り広げた。勝利した田村麻呂は二人を連れて都に凱旋し、朝廷に二人の助命を嘆願したが、許されず、処刑されたと伝わる。関西在住の岩手県出身者が、田村麻呂ゆかりの清水寺に二人の碑を建てさせてもらえるよう持ち掛け、平安遷都1200年に合わせて1994年に実現した。

古墳壊し敷地造成、藤原宮・大極殿院建設の痕跡

古墳壊し敷地造成、藤原宮・大極殿院建設の痕跡

奈良文化財研究所は11月6日、694年に造営された藤原宮跡(奈良県橿原市)の発掘調査でで、天皇が即位などの重要儀式を行う地区「大極殿院」から、古墳を囲んでいた周溝の跡や埴輪片が見つかったと発表した。当初あった古墳を壊し、敷地を造成したとみられる。大極殿院は東西約120㍍、南北約170㍍の区画で、中心に大極殿があり、内庭を挟んで南側に南門があった。石敷きの内庭の下の地層から古墳の周溝が見つかった。

周溝は幅約1.5~2㍍の弧状の溝で、形状などから古墳は直径約12~15㍍の円墳とみられる。円筒埴輪の一部や土器などが出土し、周辺から耳環や管玉など古墳の副葬品らしい遺物も見つかった。墳丘を削って平らにし、宮を造営したらしい。藤原宮跡ではこれまで、大極殿院の南側でも別の古墳の周溝の一部が見つかっている。たとえ古墳を壊すことになったとしても、大和三山に囲まれた景勝の地に宮を造営することが大切だったものとみられる。

 

狩野探幽の龍 迫力蘇る 泉涌寺仏殿の大修理終わる

狩野探幽の龍  迫力蘇る 泉涌寺仏殿の大修理終わる

古都の名刹、泉涌寺(京都市東山区)の重要文化財の仏殿で大規模修理がこのほど終わり、美しさを取り戻した狩野探幽の天井画や仏像の前で11月1日、法要が営まれた。今回の大修理は2008年に始まった。約350年前の再建時に探幽が描いた龍の天井画や飛天の絵は、一度剥がしたうえで裏打ちし、破損箇所などを直し、迫力が蘇った。鎌倉時代の運慶の工房で造られたとされる阿弥陀・釈迦・弥勒の3体の仏像は、台座、後背を修復した。このほか、須弥壇(しゅみだん)などは剥落止めをし、彩色を復元した。法要では僧侶らによる読経の中、4流派による献茶や献花が行われた。

 

平城京天平祭2014~花と古のフェスティバル~11/1~

平城京天平祭2014~花と古のフェスティバル~ 11/1~

奈良市・平城宮跡で11月1~9日、「平城京天平祭2014~花と古のフェスティバル~」が開催される。期間中、大極殿・広場、朝堂院で花絵巻、花桟敷、竹の四神(朱雀、青龍、白虎、玄武)、風車が奏でる黄龍の風、、巨大木琴などが常設展示されるほか、平城宮跡周遊謎解きイベントが行われる。

また、土・日・祝日には朱雀門などで衛士 隊、広場では古代行事「万葉蹴鞠(けまり)」がそれぞれ再現される。天平時代の衣装を身に着けたり、蹴鞠の体験コーナーもある。東院庭園では雅楽と舞で表現する「よみがえる古都の宴」と題した、天平時代の宴が再現される。このほか、土・日・祝日には地元の名店など奈良のおいしいが集まった飲食物販&ものづくり体験コーナーが設けられる。

大阪城 豊臣時代の本丸と内堀 現代の技術で921億円

大阪城  豊臣時代の本丸と内堀  現代の技術で921億円

ゼネコン大手、大林組が1983年、豊臣時代の本丸と内堀を現代の技術で再現したらいくらかかるのか、極めて興味深い試算をしている。これによると、土木工事は、土の掘削など50億円、石積み480億円、その他付帯工事30億円、建築工事は、天守閣40億円、表御殿53億円、奥御殿54億円、その他(櫓、門、塀など)73億円。建築工事は計221億円。土木を含めた総工費は781億円となる。1983年に比べ消費者物価は18%上昇しているので、その分を修正すると921億円となる。

ただ、これはあくまでも本丸の工事代。豊臣時代の大阪城は、その外側に二の丸、惣構があった。見積もりでは石垣にとくに金がかかっている。より大きな外堀の工事を含む総事業費となると、かなり膨らむはずだ。