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谷崎の恋愛模様示す288通の書簡など遺族が保管

谷崎の恋愛模様示す288通の書簡など遺族が保管

文豪、谷崎潤一郎(1886~1965年)と、妻松子やその妹重子らの間で交わされた未公開の書簡計288通を遺族が保管していたことが11月25日分かった。谷崎が松子との結婚に際し「忠僕として御奉公(ごほうこう)申上(もうしあげ)主従の分を守り候(そうろう)」などと綴った「誓約」の手紙も含まれる。女性崇拝をモチーフにした谷崎作品と、密接に結びついた恋愛模様を伝える貴重な資料だ。

松子や重子は、代表作「細雪」に登場する4姉妹のモデルとされる。書簡は谷崎が書いたものが180通、松子が95通、重子が13通で、谷崎が松子と出会った27年から谷崎晩年の63年までの36年間に交わされた。

古都の年の瀬「吉例顔見世興行」のまねき上げ

古都の年の瀬「吉例顔見世興行」のまねき上げ

古都・京都の年の瀬恒例の南座(京都市東山区)公演「吉例顔見世興行」を前に、出演する歌舞伎役者の名を書き入れた看板を劇場正面に掲げる「まねき上げ」が11月25日行われた。看板は53枚で、長さ180㌢、幅30㌢のヒノキ板。「勘亭流」という丸みを帯びた太文字で板いっぱいに書かれた、真新しい板が今年も年の瀬を迎えたことを告げてくれる。

南方熊楠の自画像発見 奈良県五條市の旧家で

南方熊楠の自画像発見  奈良県五條市の旧家で

生態学や民俗学の先駆者として知られる博物学者、南方熊楠(みなかたくまぐす、1867~1941年)の自画像を描いたはがきが、奈良県五條市近内町の旧家「藤岡家住宅」(国登録有形文化財)で見つかった。熊楠が1921年11月に元官僚で当主の藤岡長和に宛てたもの。自画像は上目遣いの迫力ある表情で、縦じまの黒いどてらをまとって紺の帯を締めた姿。右手に巾着を持ち、左手を差し出している。

「おや方が  おや方那(な)くて  暮の秋」「原首相殺され  嚢中偶(のうちゅうたまたま)空ときたので」とあり、4日前に発生した、官僚の親方である原敬首相暗殺事件に触れる一方、財布が空になったと伝える。ちゃめっ気で描いたと考えられる、熊楠らしいはがき–と専門家はみている。専門家によると、熊楠は自画像をいくつか描いているが、こうした写実的な描写は珍しいという。

正岡子規主宰の「新年句集」原本 秋田市で発見

正岡子規主宰の「新年句集」原本  秋田市で発見

俳人・正岡子規(1867~1902年)が1899年1月に開いた新年句会での俳句計300句集をまとめた「新年句集」の原本が秋田市で見つかった。子規は新年句会を4回開き、句集が作られていたが、今回の発見で4回分のほぼすべてが確認された。子規の自筆部分が含まれ、専門家は「当時の俳句会を知る貴重な資料だ」としている。秋田市出身の俳人、石井露月(1873~1928年)の生家を管理している長谷部清一さん(81)が今年5月、倉庫を整理中に発見した。

宣教師ザビエルの遺体10年ぶりインドの教会で公開

宣教師ザビエルの遺体10年ぶりインドの教会で公開

16世紀に日本に初めてキリスト教を伝えた宣教師フランシスコ・ザビエルの遺体が11月22日、インド南部ゴア州オールドゴアで一般公開された。公開されたのは、あおむけの状態で衣装をまとったミイラ化した遺体。10年に一度の機会で2015年1月4日までの公開期間中、約500万人の来訪が見込まれている。

遺体は通常、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産にある「ボム・ジーザス教会」に安置されている。数千人の信者が見守る中、透明の棺(ひつぎ)を聖職者らが路上を担いで運び、公開場所の約500㍍離れた別の教会に移された。

北原白秋の故郷、袋田の滝など10件を名勝に

北原白秋の故郷、袋田の滝など10件を名勝に

文化審議会は11月21日、日本三大名瀑の一つとされる「袋田の滝」(茨城県大子町)など10件を名勝に、7世紀に築造された日本最古のダム式ため池「狭山池」(大阪府大阪狭山市)など13件を史跡に指定するよう下村博文文部科学相に答申した。名勝はほかに、詩人・歌人の北原白秋の生家や旧城下の掘割(水路網)が残る「水郷柳河(すいきょうやながわ)」(福岡県柳川市)、東京大学の迎賓施設に利用されている旧加賀藩主邸庭園の「懐徳館庭園」(東京都文京区)などが対象とされた。