わび茶「珠光茶会」15年2月は2日延長し7日間に
奈良市の春日神社や東大寺など7社寺を主な会場として奈良の茶文化に親しんでもらおうと開く「珠光茶会」が、2015年2月には7日間と今年より2日延長されることになった。奈良市などの実行委員会が決めた。今年2月に初めて開かれ、3日間で予想より2000人多い6000人が参加したことから、期間の延長で混雑を緩和する。茶会はわび茶の祖とされる室町時代の茶人、村田珠光が奈良市の出身であることにちなみ、今年2月に初開催した。
藤原宮 瓦最大産地の窯跡 奈良県高取町で発見
奈良県高取町教育委員会は12月18日、藤原宮(694~710年同県橿原市)の瓦を焼いた7世紀末の窯跡が、同町市尾で見つかったと発表した。周辺は藤原宮で使われた瓦の最大産地とみられていたが、窯跡の発見は初めて。燃焼室など窯の構成部分がすべて良好な状態で残り、天皇が執務する大極殿に使う軒丸瓦(のきまるがわら、直径約20㌢、厚さ約5㌢)も出土した。
窯跡は丘陵の西側斜面に造られ、全長6㍍、幅1.3㍍。粘土のブロックを棒状の道具で突き固めながら積んで窯を築き、木を燃やす燃焼室、瓦を焼く燃成室、煙が抜ける煙道をすべて確認できた。傾斜は約15度と緩く、「登り窯」から後世の「平窯」への過渡期とみられる。窯の中からは軒丸瓦や丸瓦、窯を使い終えた後の儀式で供えたらしい馬の下あごの骨も出土した。網伸也・近畿大教授は「7世紀後半に滅亡した百済からきた工人が伝えたのだろう。日本最初の都城を造った国家の意気込みを感じさせる」と話している。
京都・岡崎の尊勝寺で最大級の九体阿弥陀堂跡を確認
発掘調査会社のイビソク関西支店(京都市伏見区)は12月18日、左京区岡崎の発掘調査で、平安後期に建立された六勝寺の一つ「尊勝寺」の九体阿弥陀堂(くたいあみだどう)跡の南端を確認したと発表した。廂(ひさし)と孫廂を含めた建物の全長は約65㍍と判明、九体阿弥陀堂としては最大級という。南北に長い建物の南部分で、複数の柱穴跡を確認した。建物の南端を示す柱穴跡もあり、これまでの調査で判明している北限部分に照らして、廂を含めた柱間は17間、建物自体の柱間は13間と分かった。南端の柱穴は直径1.5~2㍍と大きく根固め石が敷き詰められていた。礎石は見つからなかった。
尊勝寺は法勝寺をはじめとして岡崎地区に建てられた六カ寺の一つ。九体阿弥陀堂は堀河天皇の発願で1105年に建立。9体の阿弥陀如来像と四天王像を安置したとされる。
藤原宮の東方官衙地区で発見の建物跡は楼閣・大型倉庫
奈良文化財研究所は12月11日、奈良県橿原市の藤原宮(694~710年)跡で大極殿の東側にあった官庁街「東方官衙(かんが)地区」で2年前に一部が見つかった礎石を据えた建物の跡について「全容が判明し、柱の配置から楼閣や大型倉庫などだったとみられる」と発表した。礎石建物は寺院など格式の高い施設に用いられた構造。藤原宮では大極殿などの中枢施設や門のほかはなかったという。
発掘の結果、規模が南北約8㍍、東西約11㍍と分かった。その西に南北約7㍍、東西約12㍍以上の大型の掘っ立て柱の建物跡も新たに発見。2棟とも大極殿の真東に位置し、中心軸が大極殿とほぼ一致しており、藤原宮の造営当初から計画的に配置されたとみている。平城宮、平安宮には類例がなく特殊な性格を持つ建物だったとみられる。
9000年超前の人骨 沖縄の洞穴遺跡から出土
沖縄県立博物館・美術館(那覇市)は12月11日、同県南城市のサキタリ洞遺跡で、9000年前より古い地層から頭や上半身の大部分が残る人骨が見つかったと発表した。人骨を覆うように複数の石が合ったことなどから、博物館は洞穴を墓として埋葬された可能性があるとしている。国内では愛媛県久万高原町の上黒岩岩遺跡など縄文時代早期の9000~8000年前の埋葬人骨が見つかっている。今回の人骨が埋葬と確認されれば国内最古級になる可能性がある。見つかった人骨は後期旧石器時代(3万5000~1万数千年前)の可能性もあるという。成人とみられ、仰向けの姿で頭や両手、胴体といった上半身の大部分が残っており、直径30㌢大の石が4個、頭や胸、腹などの上で見つかった。