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明治の岩倉使節団30年後の”同窓会”の集合写真など見つかる

明治の岩倉使節団30年後の”同窓会”の集合写真など見つかる

明治維新直後に政府が米欧に派遣した岩倉具視を団長とする使節団(1871~73年)の”同窓会”の集合写真や随行員任命書など、希少性の高い多数の写真や文書が東京都内で見つかり、長崎歴史文化博物館(長崎市)に引き取られた。資料は元佐賀藩士で、明治政府で文部官僚を務めた中島永元(ながもと、1844~1922年)に関する約1100点。中島は佐賀藩が長崎に設けた藩校・致遠館(ちえんかん)の元教師で、岩倉使節団にも加わり欧米を視察。貴族院議員も務めた。

資料は約600点の写真史料と約500点の文書史料からなる。集合写真は幕末から明治にかけて活躍した写真家、上野彦馬が撮影したもの。1902年(明治35年)に開かれた「岩倉大使同行記念会」の写真は縦40㌢、横56㌢。写真に収まっている26人の中には、津田塾大の創立者、津田梅子も写っている。

台湾沖の海底で「アジア第4の原人」化石見つかる

台湾沖の海底で「アジア第4の原人」化石見つかる

国立科学博物館などの国際チームは1月27日付の英科学誌ネイチャー・コミュニケーションズ(電子版)に、台湾沖の海底で新たな原人の化石が見つかったと発表した。北京原人などアジアの他の原人とは異なる特徴を持つ「第4の原人」と考えられ、古代の人類が各地で多様に進化していたことを示す発見として注目される。同チームによると、発見されたのは下あごの骨の右半分の化石。時期は不明だが、台湾本島と澎湖(ほうこ)諸島の間の海域で底引き網に引っかかり、地元収集家が保管していた。この海域では台湾が大陸と陸続きだったころに生息していたゾウの化石が大量に見つかっている。

今回見つかったあごの骨の幅は、75万~40万年前の北京原人の化石の平均よりも4㍉以上厚く、親知らずの一つ手前の第2大臼歯も一回り大きかった。80万年前のジャワ原人よりも大きい。進化に伴って歯やあごは小さくなるため、ジャワ原人、北京原人の子孫ではないと結論付けた。アジアではこれまで、ジャワ原人(120万~5万年前)、北京原人(75万~40万年前)、そして2003年にインドネシアで見つかった小型のフロレス原人(100万~数万年前)の三つの原人グループが知られている。

日露戦争で陸軍作戦指揮の児玉源太郎の手帳・書類etc400点

日露戦争で陸軍作戦指揮の児玉源太郎の手帳・書類etc400点

日露戦争(1904~05年)で陸軍の作戦を指揮した軍人で政治家の児玉源太郎が記した手帳や書類など約400点が東京都内の児玉の旧宅で見つかった。桂内閣が進めた露との講和(05年9月5日)を「失敗」と記した覚書もあり、当時の政治に不満、不信感を抱えた、合理的な政略家としての児玉の一面がうかがえる。

児玉は直筆1次史料が少なく近現代史研究の第一級史料といえそうだ。児玉の長男・秀雄氏(故人)の調査を進める過程で発見された。とくに日露戦争関連が多い。

子規、漱石、熊楠らの東大予備門時の成績表見つかる

子規、漱石、熊楠らの東大予備門時の成績表見つかる

愛媛県松山市の「坂の上の雲ミュージアム」は1月27日、松山出身の俳人・正岡子規、夏目漱石、南方熊楠らが東大予備門(現教養学部)1年の時の成績表が見つかり、2月24日から展示すると発表した。1学期の修身学や和漢文など11科目評価。子規は「日本歴史」が得意な半面、英語で出題された幾何学は苦手だった。全体では110人中34位と「中の上」だった。成績表には子規と同学年だった夏目漱石(22位)の本名・塩原金之助や南方熊楠(69位)の名前もみえる。

奈良県・纏向遺跡で占い用「骨」初めて出土

奈良県・纏向遺跡で占い用「骨」初めて出土

奈良県桜井市教育委員会は1月29日、同市の纏向(まきむく)遺跡(国史跡)で、3世紀後半~4世紀初め(古墳時代前期)に占いに使ったとみられる動物の骨「卜骨(ぼっこつ)」が見つかったと発表した。邪馬台国の有力候補地とされる纏向遺跡で卜骨が出土したのは初めて。当時の祭祀(さいし)のあり方を考えるうえで意義深い発見という。卜骨はイノシシの成獣の右肩甲骨で、長さ16.7㌢、幅6.7㌢。人工的に掘られた穴の底部から見つかった。直径1㌢ほど丸く削った部分が3カ所あり、それぞれ点状に焦げた跡があった。先端が細い熱した道具を押し付けてできたとみられる。

中国の歴史資料「魏志倭人伝」に、3世紀の日本では人々が骨を焼き、割れ方を見て吉凶を占ったとの記述がある。卜骨は紀元前の弥生時代前期から全国で確認され、古墳時代に減少。7世紀以降の律令時代には国が祭祀の部署を設け、亀の甲羅を焼く占いをした。

奈良・若草山で春呼ぶ山焼き 古都の夜空を焦がす

奈良・若草山で春呼ぶ山焼き 古都の夜空を焦がす

古都・奈良の恒例行事、若草山(奈良市)の山焼きが1月24日夜にあり、ふもとの奈良公園などに集まった観光客ら約19万人が山肌に広がる炎に見入っていた。山焼きに先立ち、約600発の花火が打ち上げられた後、山肌に散らばった地域の消防団員約300人がラッパの合図に合わせて一斉に着火。炎は煙を上げて広がり約33㌶を焼いた。