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大政奉還150年 政権返上の舞台・二条城で桜の記念植樹

大政奉還150年 政権返上の舞台・二条城で桜の記念植樹

世界遺産の二条城(京都市中京区)で12月4日、大政奉還から今年で150年になるのを記念して、桜の植樹式が行われた。
二条城は150年前の1867年、江戸幕府の最後の将軍、徳川慶喜が重臣らに政権返上の意思を伝え、大政奉還という歴史の大変革の舞台となった。4日は敷地内の庭園「清流園」で、2本の桜・ソメイヨシノの植樹式が行われた。関係者らは、二条城を観光に訪れた人たちが、この桜を見て150年前が日本の近代化の第一歩、大政奉還の年であることに想いを馳せてもらえたら、と話していた。

応仁の乱550年 発端の地、京都・御霊神社に石碑

応仁の乱550年 発端の地、京都・御霊神社に石碑

室町時代、京都の街を焦土と化した応仁の乱から今年で550年になるのを機に、歴史の新たな名所づくりにと、戦いが勃発したとされる京都市上京区の御霊神社に市民団体が石碑を設置し12月2日、除幕式が行われた。
石碑は高さおよそ1.3㍍、幅およそ90㌢で、除幕式にはおよそ80人が集まった。
応仁の乱は室町9代将軍の座をめぐり勃発、550年前の1467年に始まり、11年に及んだ戦乱。有力大名たちが東西に分かれて陣を構えたことから、今も西軍が陣を敷いた「西陣」という地名が残り、御霊神社には東軍の陣があったことから「東陣」と呼ばれている。

長崎・出島に130年ぶり「出島表門橋」開通

長崎・出島に130年ぶり「出島表門橋」開通

江戸、鎖国時代、海外への唯一の窓口だった出島にこのほど、約130年ぶりとなる架け橋が完成した。この出島表門橋は長さ38.5㍍、幅4.4㍍で鉄製のシンプルなデザインだ。夜間にはライトアップされる。
これは、長崎市が進めてきた出島復元整備事業に続き、平成29年度の出島表門橋架橋プロジェクトとして推進していたもの。これにより、江戸町側から、当時と同じように海を渡って出島に足を踏み入れることができ、海に浮かんでいた19世紀初頭の出島を実感できる姿となった。

天皇陛下退位日2019年4/30 5/1新天皇即位、新元号施行

天皇陛下退位日2019年4/30 5/1新天皇即位、新元号施行

政府は特例法に基づき12月1日、宮内庁で三権の長や皇族らでつくる「皇室会議」を開き、天皇陛下の退位日ついて意見を聴いた。
その結果、退位の日程について意見集約がなされ、天皇陛下が2019年4月30日に退位され、皇太子さまが翌5月1日に即位され、新元号が施行されることが固まった。
退位の日程が年度末の3月末ではなく、4月末となったのは、2019年の春には4年に1度の統一地方選挙が予定されているほか、新年度予算案の国会審議も行われていることなどを考慮したもの。

沈没「咸臨丸」の潜水探索調査も 東京海洋大・オランダ文化庁

沈没「咸臨丸」の潜水探索調査も 東京海洋大・オランダ文化庁

幕末、万延元(1860)年、軍艦奉行・木村喜毅、艦長・勝海舟ら日本人98人(ほかに11人のアメリカ人が同乗)を乗せて、日本人の操縦で初めて太平洋を横断し、1871(明治4)年、渡島管内木古内町のサラキ岬沖で沈没したとされるオランダ製軍艦「咸臨丸(かんりんまる)」の探索調査が行われることになった。明治時代から謎とされていた咸臨丸の詳しい沈没場所の解明につなげる。
探索調査するのは東京海洋大学の岩淵聡文教授とオランダ文化庁の委託を受けた調査官のレオン・デルクセンさんだ。同町内で聞き取りなどを行ったほか、来年度以降、専門ダイバーによる潜水探索も行うことを検討している。
オランダは世界各地のオランダ製の沈没船のリスト化と調査を進めており、咸臨丸については沈没船などの「水中文化遺産」が専門の岩淵教授と共同調査を行うことになった。

堀部安兵衛の遺骨300年ぶり故郷・新潟県新発田市へ

堀部安兵衛の遺骨300年ぶり故郷・新潟県新発田市へ

赤穂四十七士の一人、堀部安兵衛の遺骨が約300年ぶりに生まれ故郷、新潟県新発田市へ帰ることになった。安兵衛が眠る東京・泉岳寺から分骨してもらい、新発田市の長徳寺に墓を建立する。11月26日に納骨式が行われる。長徳寺は安兵衛の生家の中山家の菩提寺で、父の墓もある。
安兵衛は19歳で江戸へ旅立ったとされ、15年後、赤穂藩士として1703年2月、大石主税(ちから)らとともに34歳で切腹した。四十七士の多くが赤穂出身のため、安兵衛のように分骨して故郷に帰るのは珍しいという。

西本願寺から幕末将軍、家茂・慶喜関連の文書見つかる

西本願寺から幕末将軍、家茂・慶喜関連の文書見つかる

京都・西本願寺の史料から、徳川14代・15代将軍に関する貴重な文書が見つかった。これは家茂の容体を知るために、慶応2(1866)年に西本願寺が家茂の容体を診た朝廷の医師に秘かに依頼して入手していた文書で、また大政奉還後の慶喜への対応を記した文書も見つかった。
この文面から、家茂は脚気(かっけ)を患いつつあり、悪化すれば深刻な事態になるとの内容が記されている。大政奉還から2カ月後に西本願寺が別の寺に送った文書の控えには、京都から大坂城に移った慶喜には取りあえず内々に見舞いの品は整えるものの、親しく交際しているとみられないようにすることが記されていて、政治情勢が不透明な中、慶喜との関係に気を配り、慎重な姿勢を取っている様子がうかがえる。

11光年先の銀河系で地球そっくりな惑星発見

11光年先の銀河系で地球そっくりな惑星発見 ESO

欧州南天天文台(ESO)はこのほど、地球から約11光年離れた銀河系宇宙の片隅で赤色矮星(わいせい)と呼ばれる小さな恒星を回る地球そっくりな惑星が見つかったと発表した。これは、おとめ座の方向にある赤色矮星「ロス128」を回る惑星だ。
生命の存在に欠かせない液体の水や穏やかな環境があるとみられる。地球によく似た、太陽系外惑星の中では約4光年離れた惑星「プロキシマb」に次いで2番目に近いという。
研究チームは南米チリにあるESOの大型望遠鏡でこの惑星を観測。近くに建設を予定している次世代の超大型望遠鏡(ELT、直径39㍍)でこの惑星の大気を観測し、生命の存在につながる酸素の有無などを調べるとしている。

陛下の退位「皇室会議」12/1開催し意見聴く

陛下の退位「皇室会議」12/1開催し意見聴く

政府は首相ら三権の長、皇族らでつくる「皇室会議」を12月1日に開き、天皇陛下の退位日について意見を聴くことを決めた。天皇陛下の退位と、皇太子さまの即位について、「2019年3月31日退位・4月1日即位・改元」と「2019年4月30日退位・5月1日即位・改元」の2案を検討する。
皇室会議は首相が議長を務め、衆参両院の正副議長や最高裁判所長官、皇族ら10人で構成する。新年号は政府が2018年中に発表する方針だ。

河田小龍の竜虎図が寺の衝立 高知市で見つかる

河田小龍作の竜虎図が寺の衝立 高知市で見つかる

高知県立歴史民俗資料館によると、高知市内の臨済宗相国寺派の国清寺が保有する、両面に竜虎が描かれた衝立(ついたて)が、幕末の絵師、河田小龍の作品であることがこのほど分かった。
今回確認された作品は、縦約114㌢、横約165㌢、厚さ約3㌢の杉板両面に竜と虎が墨で描かれている。全体的に墨が薄くなるなど経年劣化はあるが、竜・虎の顔の部分は濃く残り、迫力は健在だ。小龍の作品の中で竜と虎が両面別々に描かれたものは専門家も見たことがない珍品という。同寺の住職もその価値を知らなかった。
河田小龍は、土佐藩士時代の若き坂本龍馬の世界観に影響を与えた人物の一人だ。

平城京 六条大路南北側溝を発見 大安寺旧境内で

平城京 六条大路南北側溝を発見 大安寺旧境内で

奈良市教育委員会埋蔵文化財調査センターは11月16日、同市東九条町の史跡、大安寺境内から奈良時代の平城京六条大路南北側溝とみられる溝が見つかったと発表した。
2016年に、今回の調査現場から西へ約50㍍の場所で南側溝を確認しており、境内の東西を大路が横断していたことを裏付けた。平城京内で最大の寺域を誇った大寺の姿を知る貴重な資料となる。

ロシアの永久凍土から絶滅した肉食獣見つかる

ロシアの永久凍土から絶滅した肉食獣見つかる

日本とロシアの共同研究チームによると、ロシアの永久凍土の中から、およそ1万年前に絶滅したとされる謎の肉食獣「ホラアナライオン」の赤ちゃんが見つかり、詳しく調べたところ、5万年以上前に生まれたとみられることが分かった。
11月15日会見した研究グループによると、2015年、ロシアのサハ共和国の永久凍土の中から、このホラアナライオンの赤ちゃん2頭が見つかり、このうち1頭は体長40㌢、重さ3㌔で、顔には毛が残り、まるで眠っているように見えるほど保存状態がいいという。同グループは9月にも、この2頭よりも成長したホラアナライオンの赤ちゃん1頭が見つかったとしている。
ホラアナライオンは、マンモスやサーベルタイガーなどと同じ時期にユーラシア大陸などに生息分布していた肉食獣で、およそ1万年前に絶滅したとされ、これまで見つかった化石も少ないため、体の特徴などは謎のままとなっていた。

奈良の円墳「富雄丸山古墳」は国内最大規模

奈良の円墳「富雄丸山古墳」は国内最大規模

奈良市がレーザーによる詳細な測量を行った結果、同市の円墳と呼ばれる古墳、「富雄丸山古墳」は直径が110㍍前後と円墳としては国内最大規模だったことが分かった。同古墳は石製の玉や銅の腕輪などが多数出土している4世紀後半に造られた大型の円墳で、昭和47年の調査で直径86㍍とされてきた。
今回、同市が5月から8月にかけて、上空からレーザーを当てて地形を詳細に計測したところ、直径がこれまで考えられていたよりも20㍍余り大きい110㍍前後であることが判明した。
これまで国内の円墳としては、埼玉県行田市の「丸墓山古墳」が直径105㍍で最大とされてきた。

龍馬没後150年 京都で墓前に「しゃも鍋」供え龍馬祭

龍馬没後150年 京都で墓前に「しゃも鍋」供え龍馬祭

身分を超え、新しい時代の青写真を描きつつ奔走した幕末の志士、坂本龍馬が暗殺されてから150年の命日となる11月15日、龍馬の墓がある京都市東山区の京都霊山護国神社で、その功績をしのぶ「龍馬祭」が行われた。
龍馬の墓前と、ともに暗殺された盟友の中岡慎太郎の墓前には、暗殺される直前に食べようとしていたとされる「しゃも鍋」がそれぞれ供えられた。このあと全国から集まった龍馬ファンたちにもおよそ1,000食が振る舞われた。
また、午後から執り行われた神事では、龍馬のふるさと高知県から運ばれたろうそくを墓の前に置き、関係者らが玉串を捧げた。

世界の地質時代に初、日本の地名「チバニアン」濃厚に

世界の地質時代に初、日本の地名「チバニアン」濃厚に

千葉県市原市の地層が、国際学会「国際地質科学連合」が決定する国際標準模式地の1次審査を通過。世界9カ国16人の専門家による、イタリア南部2カ所との投票選考で退けた。上位組織での審査がまだ残っているが、約77万~12万6000年前の地質時代が「千葉の時代」を意味する「チバニアン」と呼称され、世界の地質時代に初めて日本の地名が付く可能性が濃厚となった。
決め手は「千葉セクション」と呼ばれる千葉県市原市の地層で、確認できる地磁気逆転の痕跡と年代だ。地球は大きな磁石だ。過去に何百回もN極とS極が入れ替わっており、最後の逆転が起きた時期の特定が課題だった。それは磁力を持つ鉱物が含まれる岩石を調べれば、その時代のN極とS極の向きが分かる。
千葉セクションは240万年前から50万年前までの地層が観察できる希少な場所で、磁場逆転の痕跡も確認できる。この地層の堆積物を分析し、最後の逆転が77万年前だった証拠を見つけ、2年前に発表していた。

銀閣寺の国宝「東求堂」公開 現存最古の四畳半の間

銀閣寺の国宝「東求堂」公開 現存最古の四畳半の間

室町時代の八代将軍、足利義政が隠棲したとされる銀閣寺(慈照寺、京都市左京区)が、境内にある国宝建造物「東求堂(とうぐどう)」を公開している。現存最古といわれる四畳半の間「同仁斎(どうじんさい)」や義政の座像などが訪れる人たちを中世の東山文化に誘っている。
東求堂は文明18(1486)年の建立。入母屋造り、檜皮葺(ひわだぶ)きで、義政の持仏堂だった。4つの部屋のうち、仏間には阿弥陀如来立像とヒノキの寄せ木造りの義政像があり、そこから銀閣(観音殿)や白砂を盛った「銀沙灘(ぎんしゃだん)」が見える。
同仁斎には付書院の中央に硯(すずり)と硯屏(けんびょう)が置かれ、巻物、筆、墨、水差し、印箱などが並べられている。中国画を鑑賞するための秘伝書「君台観左右帳記」に描かれた室町時代の座敷飾りを再現しているという。公開は11月30日まで。

「南都焼討」で失われた興福寺の再建瓦窯跡?発見

「南都焼討」で失われた興福寺の再建瓦窯跡?発見

奈良県立橿原考古学研究所によると、奈良市の興福寺のかつての境内の発掘調査で、大きさが幅2㍍、奥行き2㍍ほどの、平安時代から鎌倉時代にかけての窯の跡が9基確認された。いずれも「有●式平窯」と呼ばれる瓦を焼くための窯で、このうち4基は平安時代末期から鎌倉時代初めのものとみられている。
同研究所によると、これらの窯が興福寺の当時の境内にあることや、平氏が奈良の寺院を焼き打ちした「南都焼討」のすぐ後の時代にあたることなどから、焼き打ちで失われた興福寺の建物を再建するための瓦が焼かれた窯とみられるという。

正倉院宝物の楽器と類似のゾロアスター教板絵を発見

正倉院宝物の楽器と類似のゾロアスター教板絵を発見

帝塚山大学(奈良市)のチームはウズベキスタン考古学研究所との共同調査で、8世紀初頭に焼失したウズベキスタンにあるシルクロード都市の遺跡「カフィル・カラ城」で、正倉院宝物に似た楽器が描かれたゾロアスター教関連の板絵が出土したと発表した。
木製で縦約1.3㍍、横約1.4㍍の4段構成。最上段に獅子に腰掛ける女神ナナー、下段に”くご”と呼ばれるハープに似た弦楽器や琵琶とみられる楽器を奏でる楽隊、火や供物を捧げる人が浮き彫りされている。炭化しているが、祭礼の場面とみられ、同様の板絵が完全な状態で発掘されたのは世界初という。
シルクロード交易を担ったソグド人は、西域文化の日本への伝来に重要な役割を果たしたことで知られ、これらの楽器も似たものが正倉院に伝わっている。
遺跡は中央アジア最大のシルクロード都市があったサマルカンドの東南約30㌔㍍にある。ソグド人の王の離宮で軍事拠点でもあったと考えられる。周辺の火災層や出土貨幣から、710年にイスラム勢力に攻められた際に焼け落ちたとみられる。

ダビンチ 「幻の作品」ニューヨークで公開

ダビンチ「幻の作品」ニューヨークで公開

ルネサンスの巨匠、レオナルド・ダビンチが代表作「モナリザ」に先立つ1500年ごろに制作したとみられる「サルバトール・ムンディ」という油絵が、今月ニューヨークでオークションにかけられるのを前に11月3日、メディアなどに公開された。
この作品は、深い青色のローブを身に着けたキリストが、祝福するように右手をあげ、左手に水晶を持っている姿が描かれている。17世紀にイギリス王室が所有していたが、18世紀半ばに所在が分からなくなり、1900年に見つかった後も、これはダビンチの作品ではないとされ、2011年にようやく専門家の鑑定によってダビンチのものと確認された。
オークション会社によると、現存するダビンチの16作品のうち、この作品だけ個人が所有しているということで、今月15日に行われるオークションでは1億㌦から1億5000万㌦、日本円でおよそ114億円から170億円で落札されると予想されている。

インドネシアで88年ぶり大型類人猿オランウータンの新種

インドネシアで88年ぶり大型類人猿オランウータンの新種

インドネシア・スマトラ島の森林地帯で大型類人猿オランウータンの新種が88年ぶりに見つかった。イギリスやインドネシアなどの国際研究チームが11月2日付の科学誌カレント・バイオロジーに発表した。
今回見つかった新種はシナモン色で縮れた体毛が特徴で、「タパヌリ・オランウータン」と名付けられた。生息数はおよそ800頭未満とみられる。生息地であるスマトラ島の森林は1985~2007年に約6割も減少しており、絶滅の危険性が高く、研究チームは早急な保護策の必要性を訴えている。
オランウータンはこれまでスマトラ島に生息する「スマトラ・オランウータン」と、海を隔てたボルネオ島に生息する「ボルネオ・オランウータン」の2種が知られている。

世界記憶遺産に「朝鮮通信使」「上野三碑」

世界記憶遺産に「朝鮮通信使」「上野三碑」

国連教育科学文化機関(ユネスコ)は10月31日、歴史的価値の高い文書などを対象とした「世界の記憶」(世界記憶遺産)に、江戸時代の朝鮮王朝が日本に派遣した外交使節「朝鮮通信使」に関する資料の登録を認めた。群馬県高崎市の古代石碑群「上野三碑(こうずけさんぴ)」も登録された。
朝鮮通信使は、朝鮮国王が徳川将軍家に派遣した使節団。対馬(長崎県)や江戸を経て、徳川家康が祀られている日光東照宮(栃木県)まで、一行が通った地域に外交文書や行列の様子を記した絵などが残っており、日韓の関係自治体や民間団体が共同で計333点の登録を申請していた。
このほか、日本が申請していた第2次世界大戦中に数多くのユダヤ人を救った岐阜県出身の外交官、杉原千畝の資料「杉原リスト」は、今回の登録に含まれていないとみられる。

坂本龍馬 剣術大会で対戦の桂小五郎に敗れる 新史料

坂本龍馬 剣術大会で対戦の桂小五郎に敗れる 新史料

前橋市の群馬県立文書館などによると、1857(安政4)年3月1日、江戸・鍛冶橋の土佐藩上屋敷で催された剣術大会で、坂本龍馬と桂小五郎(後の木戸孝允)が対戦し、2対3で龍馬が敗れたと記録する史料が、同館に保管されていることが分かった。
今回の史料は前橋藩領だった上州・中箱田村(現 群馬県渋川市北橘町箱田)で名主を務め、医院も営んだ「根井家」に伝わり、1994年に寄託されたもの。
折り畳んだ縦約16㌢、横約1㍍の和紙で、冒頭に「安政四三月朔日 松平土佐守上屋敷二而御覧」と記載。龍馬らに加え、著名な剣客だった斎藤弥九郎(2代目)や石川孫六、海保帆平ら計43人が一対一で戦った22試合の結果を、毛筆で縦書きに記している。

卑弥呼の外交をテーマに講演・討論会 纏向学フォーラム

卑弥呼の外交をテーマに講演・討論会 纏向学フォーラム

邪馬台国の有力候補地、奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡を調査、研究する同市纏向学研究センターのフォーラム(桜井市主催)が10月29日、東京都千代田区のよみうりホールで開かれた。
今回は邪馬台国の女王・卑弥呼の外交をテーマに講演と4人の討論会が行われ、参加した考古学ファンら約600人が聴き入っていた。大阪大学の福永伸哉教授や俳優で考古学研究者の苅谷俊介さんら4人が、卑弥呼を補佐したとされる「男弟」が外交で果たした役割や、中国の歴史書「魏志倭人伝」に魏から卑弥呼に贈られたとして記された鏡や刀の行方などについて、それぞれ講演した。
その後、寺沢薫・同センター所長の進行で4人が討論。「魏への朝貢は大きな賭けで、国際情勢の転機に乗じて決断した卑弥呼は、傑出した指導者だった」などと活発な意見が交わされた。

正倉院展始まる 初出展10件含む58件を展示 奈良国立博物館

正倉院展始まる 初出展10件含む58件を展示 奈良国立博物館

奈良時代の聖武天皇ゆかりの宝物を公開する「第69回正倉院展」が、10月28日から奈良国立博物館で始まった。11月13日まで。
初日は大勢の人たちが訪れ、開館前からおよそ1000人が列をつくった。今回は初出展の10件を含む58件が展示されている。
「緑瑠璃十二曲長坏」は、濃い緑色のガラスの盃(さかづき)で、緩やかな曲面に植物の文様やウサギの姿が施され、異国情緒を感じさせる。また、初公開の「伎楽面 迦楼羅」は、寺の儀式などで行われた仮面舞踊劇「伎楽」の面。「迦楼羅」は空想上の鳥を期限とする仏教の守護神という。

「本能寺の変」直後の秀吉の家臣宛て書状を新発見

「本能寺の変」直後の秀吉の家臣宛て書状を新発見

織田信長が天下統一を前に、明智光秀に討たれた1582(天正10)年の「本能寺の変」直後、羽柴(豊臣)秀吉が家臣に宛てた書状が愛媛県内の個人宅で発見された。書状の内容は、変後に横行した京都市中での略奪に対し、信長ゆかりの品々に限っては持ち主に返すよう命じたもの。
当時、略奪行為から守るため、安全面から武士や公家が寺社に財産を預ける慣行があった。東京大史料編纂所の村井祐樹准教授が現地で調査、筆跡や文面内容から新発見の書状と判断した。天正10年8月14日付で、秀吉が堀尾毛介(吉晴)ら3人の家臣に宛て、文末に「筑前守 秀吉」の名と花押がある。
天王山の戦いで明智勢を破って入京した秀吉は、横行していた略奪行為を目にして、略奪物の持ち主を確認するように家臣に命じたが、秀吉の家臣までもがこの略奪を始めたため、結局は容認する姿勢を示しつつも、主君・信長から賜った「上様御物」は返還を命じている。

平安京跡で貴族の収集品の保管場所見つかる

平安京跡で貴族の収集品の保管場所見つかる

京都市内の平安京の遺構の発掘調査で、中国産とみられるガラス製の水差しの破片や陶磁器などが多数見つかり、平安時代に貴族が集めた品々の保管場所があったことを示す貴重な飼料として注目されている。
今回発掘が行われているのは、京都市南区東九条のホテル建設予定地で、平安京の南東部分にあたる。当時この周辺には官位の高い貴族たちの住まいが建ち並んでいたことから、名の知れた貴族が各地から収集した品々を保管する場所だったとみられている。
奈良市の元興寺文化財研究所の調査によると、平安時代末期にあたる12世紀後半ごろの遺構から「水滴」と呼ばれる水差しの注ぎ口部分の破片が見つかった。破片は長さ2㌢、幅1.5㌢ほどの青みがかったガラス製で中国産とみられる。平安京の遺構からこのような水滴が見つかったのは初めてという。また、周辺からは他にも近畿や東海など国内各地でつくられたとみられる陶磁器や土器が多数見つかった。

世界遺産 平泉・無量光院跡で堀の跡発見

世界遺産 平泉 ・無量光院跡で堀の跡発見

岩手県平泉町教育委員会は10月17日、世界遺産「平泉の文化遺産」を構成する無量光院跡の発掘調査で、堀跡を発見したと発表した。隣接する柳之御所遺跡の堀跡と工法などが似ており、町教委は両遺跡の関連を示す手掛かりになるとみている。
堀跡は復元された無量光院跡の池から約50㍍離れた地点で見つかった。当初幅9㍍、深さ2.3㍍だった堀は、無量光院の造営時に深さ1.5㍍に改修。その後、幅2㍍、深さ60~70㌢に小規模化したと考えられる。堀跡からは土器や中国産磁器、扇の一部が出土。12世紀後半に藤原秀衡が無量光院を建立する以前から、この場所に宗教施設があったと推測されるという。
町教委は10月21日、午前11時から現地説明会を開く予定。

三角縁神獣鏡33枚など「黒塚古墳のすべて」展 橿原市

三角縁神獣鏡33枚など「黒塚古墳のすべて」展 橿原市

古代の鏡が数多く見つかった奈良県天理市の黒塚古墳の出土品を一堂に集めた展示会が橿原市で開かれている。11月26日まで。
この展示会は黒塚古墳の発掘調査から今年で20年になるのを記念して、橿原考古学研究所附属博物館が開いているもので、同古墳から出土した鏡や甲冑(かっちゅう)など国の重要文化財に指定されているおよそ150点が展示されている。
このうち三角縁神獣鏡は、古墳から出土した33枚すべてが展示されている。三角縁神獣鏡は、邪馬台国の女王・卑弥呼が中国から授かったという説もある古代の鏡で、1つの古墳でこれほど多く見つかった例がなく、出土当時、全国的に注目された。
また、「Y字型鉄製品」は二股の部分に布が付着していたことから、長い布をなびかせる儀礼用の道具とみられ、埋葬者の地位の高さを示しているという。

横山大観 生誕150年回顧展 18年4月東京でスタート

横山大観 生誕150年回顧展 18年4月東京でスタート

東京国立近代美術館(東京都千代田区)によると、日本画の巨匠、横山大観(1868~1958年)の回顧展「生誕150年 横山大観展」の概要が明らかになった。2018年4月、同館での東京からスタートする。
明治150年の節目に、約40㍍で日本一長い絵巻とされる重要文化財「生々流転」や、あでやかな「夜桜」「紅葉」など大観の代表作が一堂に揃う。このほか、100年ぶりに所在が明らかになったインド風の「白衣観音」や、ハレー彗星を題材にした「彗星」など前期の作品にもスポットを当て紹介する。
会期は東京が4月13~5月27日、関西は京都国立近代美術館(京都市左京区)で6月8~7月22日。

大政奉還150年「幕末サミット」20自治体が集結

大政奉還150年「幕末サミット」20自治体代表が集結

江戸幕府の最後の将軍、徳川慶喜(15代)が1867年、朝廷に政権を返上した「大政奉還」から150年となるのに合わせて、大きな役割を果たした藩や都市の代表が京都市に集まり、交流を深めていくことを確認した。
この会合は「幕末サミット」と名付けられ、会場となった京都市のホテルには薩摩藩のあった鹿児島市や長州藩のあった山口県萩市、会津藩があった福島県会津若松市、それに新選組ゆかりの東京都日野市、坂本龍馬を観光資源としている高知市など、幕末の舞台や時代を動かす人物が躍動した20の関係自治体の代表が集まった。
参加自治体の活動や関連イベントの紹介の後、京都市の門川市長が「歴史に学び歴史でつながり、都市の理想の実現を目指す」という共同宣言を読み上げた。一行はこの後、大政奉還の舞台となった二条城の国宝、二の丸御殿に場所を移し、共同宣言の文書を前に記念撮影した.

「銅鐸をつくった人々」展 茨木市・東奈良遺跡

「銅鐸をつくった人々」展  茨木市・東奈良遺跡

大阪府茨木市東奈良の茨木市立文化財資料館で、弥生時代の銅鐸など青銅器をつくった工人たちの動向に迫るテーマ展「銅鐸をつくった人々-東奈良遺跡の工人集団」が開かれている。11月27日まで。火曜日休館。入館無料。
今回は石製の銅鐸鋳型36点(国重要文化財)を同時初公開。同遺跡から「新発見」された高坏(たかつき)形土製品なども初公開されている。このほか、東奈良遺跡で働いていた工人の源流とみられる鬼虎川遺跡(東大阪市)から出土した銅鐸鋳型なども展示し、工人集団の動向や他集団への影響力も紹介している。
東奈良遺跡は昭和46年、水路改修工事現場で子どもたちが土器片を発見したことがきっかけで出土した弥生時代の集落跡。銅鐸鋳型や送風管など、鋳造用の道具類が大量に発見された。

幕府と薩摩・長州藩の鳥羽伏見の激戦伝える砲弾展示

幕府と薩摩・長州藩の鳥羽伏見の激戦伝える砲弾展示

京都市考古資料館(京都市上京区)で、大政奉還150年を記念した企画展「鳥羽伏見の戦いの痕跡」が開かれている。11月12日まで、月曜日休館、入館無料。
幕府軍の本陣だった伏見奉行所跡(伏見区)と、薩長同盟の舞台で知られる薩摩藩二本松屋敷跡(上京区)での発掘調査の解説パネルと出土品を並べ陳列している。奉行所の砲撃戦について、直径12㌢の砲弾や赤く焼けた地面を写真で紹介。二本松屋敷跡で射撃訓練に使ったとされる銃弾も並び、刀剣による激突ではなく、激しく銃弾が飛び交ったであろう鳥羽伏見の戦いを彷彿とさせる。

豪華11屋台に観光客感嘆の声 秋の高山祭始まる

豪華11屋台に観光客感嘆の声 秋の高山祭始まる

飛騨路の秋の風物詩、秋の高山祭が10月9日、岐阜県高山市で始まった。
晴れ渡った秋空のもと、金色の装飾や様々な彫刻が施された、きらびやかな11台の屋台が市中心部の桜山八幡宮の境内と参道に並ぶと、訪れた観光客、見物客らから感嘆の声が挙がっていた。境内では36本の糸で操られた人形が妙技を見せる「からくり奉納」が披露された。
祭りは10日までで、市は2日間で計20万人の人出を見込んでいる。
高山祭は国の重要無形文化財に指定されているほか、2016年秋、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産「山・鉾(ほこ)・屋台行事」に登録された日本全国33祭りの一つ。

家臣の給与指示する秀吉自筆の文書見つかる

家臣の給与指示する秀吉自筆の文書見つかる

豊臣秀吉が家臣の給与について、自ら指示した自筆の文書が見つかった。この文書は熊本県天草市の民家に保管されていたもので、今年8月、兵庫県姫路市の県立歴史博物館が調査した結果、秀吉が姫路城の城主だった当時のものと分かった。同博物館では、秀吉のまめな性格がよくわかり、当時の秀吉と家臣との関係を研究するうえで貴重な資料-としている。
文書は「切符」と呼ばれる家臣の給与について記したもので、秀吉が姫路城の城主だった1582(天正10)年3月の日付とともに、重臣の小出秀政に対し、配下の家臣に「五人扶持(ごにんぶち)」を与えるように命じる内容。五人扶持は5人を1年間養える給与で、家臣の中では高い地位とはいえず、現在の価値でいえば100万円程度とみられるという。
この文書は10月7日から同博物館で始まった特別展で展示されている。

平等院の木造聖観音菩薩立像は「来迎」の姿

平等院の木造聖観音菩薩立像は「来迎」の姿

京都府宇治市の世界遺産、平等院の平安時代の菩薩像が極楽浄土から死者を迎える「来迎(らいごう)」の姿を表していることが分かった。平等院が発表した。
平等院では境内にある塔頭(たっちゅう)に伝わる平安時代の菩薩像「木造聖観音菩薩立像」の修復を進めてきた。その結果、同像について①衣の部分が前から風を受けてたなびくような形に彫られている②衣の裾の一部が台座に入り込んでいることなどから、この像はもともとは前方に傾いていた-ことなどが分かったという。
このため、菩薩像は阿弥陀如来に付き従って極楽浄土から死者を迎えに来る、いわゆる「来迎」の姿を表したものとみられるという。平等院では寺院の歴史をする上で貴重な発見だとしている。

東大寺東塔 回廊は格式高い複廊・幅6㍍と判明

東大寺東塔 回廊は格式高い複廊・幅6㍍と判明

東大寺などは10月3日、奈良・東大寺の東塔を囲む回廊が、中に2つの通路が並行する複廊の構造だったことが分かったと発表した。
奈良文化財研究所、奈良県立橿原考古学研究所の調査団によると、鎌倉時代に再建された東塔のうち南側の南面回廊跡で、回廊の柱を立てた礎石の穴が見つかった。その並び方などから回廊には通路が2つあり、全体で幅約6㍍だったことが判明した。
南面回廊跡の中心には南門の遺構もあり、門の柱を立てた礎石の穴が12個見つかった。東西方向に4本、南北方向に3本並んでいたとみられる。門の東西の柱の間隔は中央約4.5㍍、左右約4.2㍍で幅は約13㍍。南北の柱の間隔は約3.6㍍ずつで、幅は約7㍍。これは京都市の東寺の国宝、蓮華門などに匹敵する大きさだという。

正倉院で年に1度の「開封の儀」 正倉院展は10/28~

正倉院で年に1度の「開封の儀」正倉院展は10/28~

奈良時代の聖武天皇ゆかりの品々を収めた奈良・正倉院で10月4日、年に1度宝庫の扉を開ける「開封の儀」があった。宮内庁の職員らが封を解いて中へ入った。11月30日まで宝物の調査や点検が続けられる。
宝物の一部を公開する正倉院展は10月28日から11月13日、奈良市の奈良国立博物館で開かれる。同展ではペルシャ風の図柄で羊などを描いた国産の屏風「羊木臈纈屏風(ひつじきろうけちのびょうぶ)」や聖武天皇が愛用したとされる鏡「槃龍背八角鏡(ばんりゅうはいのはっかくきょう)」など58件が展示される予定。

「日本書紀」「源氏物語」の写本など集め特別展

「日本書紀」「源氏物語」の写本など集め特別展

「日本書紀」など国宝3点を含む、合わせて70点余りの書物や掛け軸などが集められた特別展が、奈良県天理市で開かれている。
天理大学附属博物館、「天理参考館」の特別展でひと際目を引くのが「日本書紀」「源氏物語」などの写本。鎌倉時代に書かれた、神話の時代の出来事を記した日本書紀の写本、同じく鎌倉時代に書かれた紫式部の小説、源氏物語の写本だ。このほか、江戸時代の俳人、松尾芭蕉の生前の姿がうかがえる数少ない資料、芭蕉が全国を歩きながら俳句を詠んだ様子を描いた掛け軸「奥の細道行脚之図」など貴重な資料も少なくない。

東大寺「東塔」の回廊跡見つかる 初めて確認

東大寺「東塔」の回廊跡見つかる 初めて確認

奈良時代や鎌倉時代に合ったとされる東大寺の巨大な塔「東塔」の発掘調査で、塔の周囲に設けられた回廊の跡が見つかった。奈良文化財研究所や橿原考古学研究所などの調査団の発掘調査で今回見つかったもの。鎌倉時代に造られた回廊の一部とみられる。
東塔の回廊は、江戸時代の縮図から、かつて塔を囲むようにあったことが知られていたが、実際にその跡が確認されたのは今回が初めて。
東大寺の東塔は奈良時代、大仏殿の東にあった巨大な七重塔で、平安時代に平氏の焼き討ちに遭い、鎌倉時代に再建されたが、その後、再び火災で焼失したといわれている。
東大寺の東塔跡では10月7日、現地説明会が開かれる。

南方熊楠の手紙確認 昭和天皇の神島来訪を期待

南方熊楠の手紙確認 昭和天皇の神島来訪を期待

南方熊楠が同郷のジャーナリスト、杉村楚人冠に宛てた、昭和天皇の田辺湾の神島来訪を期待する旨を記した手紙が見つかった。千葉県我孫子市の「杉村楚人冠」記念館が、楚人冠の遺族から寄託された資料の中から見つけ、筆跡や内容などから熊楠のものと確認した。
これは熊楠が昭和4年5月に出した手紙で、生物学に造詣の深かった昭和天皇の神島来訪を切に期待する思いを記している。実際に1カ月後に、昭和天皇の神島訪問が実現し、熊楠は自ら採取した標本を献上している。
関係者は、神島に天皇を迎えることは、その保護に取り組んできた熊楠にとって千載一遇の機会だった。そんな熊楠の意気込みや期待感が表れた資料-と話している。
南方熊楠はイギリスの大英博物館などで研究に取り組んだ後、現在の和歌山県田辺市を拠点として粘菌学や民俗学など多岐にわたる分野で活動、数多くの業績を残した世界的な博物学者。

世界最古の生命の痕跡発見 39億年前の岩石から

世界最古の生命の痕跡発見 39億年前の岩石から

東京大学などの研究グループは、カナダで採取した39億年前の岩石から世界最古とみられる生命の痕跡を発見したと発表した。
同大学の小宮剛准教授らの研究グループは、カナダ北東部ラブラドル半島にあったおよそ39億5000万年前の岩石を採取し、詳しく調べた。その結果、自然界に存在する3種類の炭素のうち、生物の体内に多い最も軽い炭素の割合が高い塊が見つかり、研究グループでは生物の死骸の痕跡だと結論付けた。
痕跡の大きさは数十マイクロ㍍で、細胞内に核を持たない原始的な生物で、泥が積もってできた岩石から出てきたので、海に生息していたのではないかと考えられるという。
これまで確認された世界最古の生命の痕跡は、グリーンランドで見つかった38億年前のものだが、今回の発見はそれよりも1億年以上古いとしている。

主要作品集め「運慶」特別展 東京・国立博物館

主要作品集め「運慶」特別展 東京・国立博物館

天才仏師の運慶の主な作品を集めた特別展「運慶」が9月26日、東京・上野公園の東京国立博物館で始まった。11月26日まで。10月9日を除く月曜日休館。料金は一般1600円。
今回の特別展で特筆されるのは、肖像彫刻の最高傑作といわれる運慶作の無著(むじゃく)・世親菩薩立像(せしんぼさつりゅうぞう、1212年ごろ、国宝)と、近年運慶に手によるものとの可能性が指摘されている、四天王立像(13世紀、国宝)が顔を揃えたこと。どちらも運慶工房が奈良・興福寺北円堂のために制作したとの仮説に基づく展示で、仏像が居並ぶ、厳かな雰囲気の中、高さ2㍍前後の6体が”静”と”動”の見事なコントラストを演出している。

二葉亭四迷の死 漱石が夫人へ宛てたお悔み状初公開

二葉亭四迷の死 漱石が夫人へ宛てたお悔み状初公開

東京都目黒区の日本近代文学館で9月23日から、小説家・二葉亭四迷(1864~1909年)の死を知った夏目漱石(1867~1916年)が、四迷の夫人(長谷川柳子)に宛てたお悔み状が初公開されている。漱石全集にも未収録で、同館が四迷の遺族から2016年、寄贈を受けたもの。
当時、四迷と漱石は朝日新聞社員で同僚だった。四迷は特派員としてロシアに赴任していたが、病気で帰国途上、客死した。漱石は1909年5月15日付の朝日新聞で四迷の死を知り同日、日記に「二葉亭印度洋上ニテ死去。気の毒なり。遺族はどうする事だろう」と書き、柳子宛てに手紙を出したことも記している。ただ、その手紙は不明だった。
日本近代文学館の企画展「漱石・芥川・太宰から現代作家まで」は11月25日まで。

大伴家持生誕1300年「家持の時代展」人間像を紹介

大伴家持生誕1300年「家持の時代展」人間像を紹介

越中国守で万葉集の代表的歌人、大伴家持(おおとものやかもち)の生誕1300年を記念した「家持の時代展」が富山県高岡市で開かれている。10月22日まで。
同展では国宝2点はじめ、重要文化財を含む貴重な歴史資料を通じて大伴家持の人間像と、桓武天皇の御世、785年、長岡京の造宮使だった藤原種継暗殺事件に連座した者として死後、告発されるなど藤原氏主導の、彼が生きた波乱に満ちた時代を紹介している。
また、家持が国守として自筆した署名のある役所の公文書などおよそ90点の資料が並び、当時の生活や文化を感じ取ることができる。
家持は746年から5年間、国守として現在の高岡市伏木で過ごし、この間に万葉集の223首を詠んだとされている。

平安後期の大型住居跡 岩手県九戸村・外久保遺跡

平安後期の大型住居跡  岩手県九戸村・外久保遺跡

岩手県・九戸村教育委員会が発掘調査を進めている同村長興寺の外久保(そとくぼ)遺跡で、平安時代後期(10世紀後半)とみられる大型の竪穴住居跡が見つかった。
面積は約72平方㍍と県北の高地性集落では最大規模。南北を崖に挟まれ、尾根をふさぐような立地も珍しく、調査関係者は「特殊な役割や仕事を担う場所だったのではないか」とみている。
同遺跡は約2700平方㍍で、近接する同村江刺家の県史跡・黒山の昔穴(むかしあな)遺跡の関連調査として7月に発掘を始めた。これまで4棟の住居跡が見つかり、大型住居跡からは鉄をつくる炉へ風を送る羽口(はぐち)や鉄器の破片などが出土。鍛冶を行っていた可能性もあるという。

雪舟の幻の水墨画「倣夏珪山水図」84年ぶり確認

雪舟の幻の水墨画「倣夏珪山水図」84年ぶり確認

山口県立美術館(山口市)は9月19日、室町時代の代表的水墨画家、雪舟の幻の作品「倣夏珪(ほうかけい)山水図」の存在が確認されたと発表した。縦約30.1㌢、横約30.8㌢のうちわ型で、山や水面には緑や青で薄く彩色も施されている。
中国・南宋期の夏珪の作品に倣(なら)い、少なくとも12点描かれ、他に6点の存在が確認されている「倣古(ほうこ)図」シリーズの1点。雪舟60歳前後作品とみられる。
1933年、当時の所有者が売りに出した記録が残り、一部で存在が知られながら、長らく所在不明で、今回84年ぶりにその存在が確認された。専門家らは、構図や力強い筆致に雪舟のオリジナリティーが感じられ、重要文化財級の作品―と話している。

藤原京「京職」など宮外に都の民政担う3カ所の役所

藤原京 「京職」など宮外に都の民政担う3カ所の役所

奈良文化財研究所の調査、研究によると、日本初の都城・藤原京(694~710年、奈良県橿原市など)の宮殿の外に、都の民政を司る左右の「京職(きょうしき)」など少なくとも3カ所の役所があったことが分かった。
これらはこれまで、天武天皇の長男、高市(たけちの)皇子など有力貴族の邸宅跡などと考えられていたが、出土した木簡や建物配置などから判明した。持統天皇の治世のもと、行政組織などが整えられた国家の出発点、藤原京の実態解明につながる成果とみられる。同研究所がまとめた「藤原京左京六条三坊」の報告書の中で明らかにした。
藤原京の宮跡(藤原宮)に近接した「左京六条三坊」で1985~87年に実施された調査で4町(4区画=約1万2200平方㍍)を占める遺構を確認。出土した木簡に「左京職」と墨書されていたことや、儀式用の広場がある建物配置などから、702年の大宝律令施行で「京職」が左右に分かれたうち左京(京の東半分)を担当する「左京職」が置かれていたと判断した。
左京職と対になる右京職は「右京七条一坊」の3町以上の敷地にあり、「左京六条一坊」には、門の護衛を司る役所「衛門府(えもんふ)」が4町の敷地に設けられていたことも木簡の調査などから分かった。

大英博物館と共同で10/6から「北斎ー富士を超えてー」

大英博物館と共同で10/6から「北斎―富士を超えて―」

あべのハルカス美術館(大阪市阿倍野区)で2017年10月6~11月19日、稀代の浮世絵師、葛飾北斎の後期の作品を集めた特別展「北斎―富士を超えて―」が開催される。これは大英博物館との国際共同プロジェクトとして挙行されるもので、本来、大英博物館でしか見られない北斎の作品が数多く展示される。
北斎はゴッホやモネらに影響を与え、とりわけ「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」は「The Great Wave」として世界で最も多くの人々に知られる作品の一つだ。今回は肉筆画を中心に還暦以降の30年に焦点を当て、老いてなお貪欲に進化し続け、亡くなる90歳まで描き続けた、北斎が追い求めた世界に迫る。
開館時間は火~金曜日10時~20時、月土日曜日・祝日10時~18時。休館日は10/10、16、23、30、31日。料金は一般1500円、大学・高校生1000円、中学・小学生500円。

山本周五郎 未発表の未完小説の草稿見つかる

山本周五郎 未発表の未完小説の草稿見つかる

神奈川近代文学館によると、伊達騒動を独自の視点で描いた『樅(もみ)ノ木は残った』、『赤ひげ診療譚』、『五辯の椿』、『さぶ』などの作品で知られる作家、山本周五郎(1903~67年)が、生前に発表していない未完の小説「註文(ちゅうもん)の婿」の草稿が見つかった。
草稿は、200字詰め原稿用紙44枚に万年筆で書かれた、江戸が舞台のユーモア時代物。ストーリーは面倒な職務から逃れたい一心で、養子を迎え隠居しようと企てる藩の国家老の姿をユーモラスに描いている。
主人公が待望の余生を謳歌し始めるところで、意外なオチの予感を漂わせつつ、終わっている。評論家らは、この後を時間をかけて推敲(すいこう)し、書き込み仕上げる気持ちがあったのではないか―としている。市井に生きる庶民や名もなき流れ者などを主に描き、大衆小説作家といわれ幅広い読者層に支持されていた作家の、晩年まで自作の完成度を追求した、隠れた葛藤も伝わる貴重な資料だ。
この草稿は、9月30日に神奈川近代文学館(横浜市中区)で始まる「没後50年 山本周五郎展」で初公開される。

奈良・橿原市で夏季特別展「天武天皇 覇者の世界」

奈良・橿原市で夏季特別展「天武天皇 覇者の世界」

天皇を中心とした中央集権体制を確立したとされる天武天皇の軌跡を紹介する夏季特別展「天武天皇 覇者の世界」が、橿原市の「歴史に憩う橿原市博物館」で開かれている。飛鳥時代の建築工具や食器などの資料51点を展示している。9月18日まで。
会場では「天武の都づくり」「天皇の暮らし」「専務天皇の世界観」の3コーナーを設置。飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)の施行など天武天皇が制定したとされる律令、国史の編纂、貨幣の鋳造、藤原京(橿原市など)造営などの功績について紹介している。
古代天皇について、現在では聖徳太子が摂政を務めた推古天皇、その後の斉明天皇などと表現しているが、その当時「天皇」という言葉は存在せず、王の中の王という意味で「大王(おおきみ)」と呼ばれていた。「天皇」という称号が使われるようになったのは、天武天皇のころとされている。また、「倭国」と呼ばれていた国号も、同時期に「日本」と改められた。